眠れない夜
夏休みいっぱいは生口島の別荘で過ごしたい。
そんなワガママをまさか、兄が承諾してくれるとは思ってもみなかった。
周はシャープペンシルを机の上に転がし、一人でこげ茶色の壁を眺めながら伸びをする。
一人になりたかった。
義姉とは一切顔を合わせたくなくて、アルバイトも辞めた。
別荘へは兄の賢司が車で送ってくれた。猫達も一緒だ。
少し溜まり気味だった夏休みの宿題もだいぶはけた。あとはとにかくゴロゴロしよう。
昨夜も暑くて眠れなかった。
昼過ぎになってテレビもつまらなくなり、周はベッドに転がった。
眼を閉じるが少しも眠れない。それどころか、頭の中を様々な記憶が甦って来る。
『俺、サキちゃんに疑われてるみたいなんだ』
孝太の声。悲しげな表情。
『……どういうことですか?』
『こないだ、桑原って新聞記者が殺された事件あっただろ? あいつ、俺の古い知り合いなんだよな。ちょっと気に障ることを言われて、俺があいつと言い争ってるところをたまたまサキちゃんに見られた。そのこと、どうも警察に通報されたみたいなんだ』
『そんな……』
『そりゃな、サキちゃんのしたことは間違ってない。そのことで彼女を恨むつもりはないさ。俺も過去にいろいろあったし。ただやっぱり、色眼鏡で見られるのは辛いよ。どうせ昔の悪い癖が抜けてないんだろうって……』
『義姉はそんな人じゃ……』
『わかってるよ。けどな、周。もしかしたらだけど……サキちゃん、あの人に手柄を立てさせてやりたいって思ったのかもしれない』
『あの人? 手柄……?』
勝手にストーカーだと思っていたあの駿河という刑事が、かつて美咲と婚約までした仲だったなどと、周は孝太から聞くまでまったく知らずにいた。
『じゃあ、どうしてうちの兄と……?』
『それは俺も知らない。けど、今でも彼のことを好きなのは間違いないだろうな』
かつて周は義姉に訊ねた。
どうして賢司と結婚したのか?
彼女の答えは『お金のため』だった。確かにそう言った。
『何度か見たことあるんだ、俺。サキちゃんが周の兄貴と結婚してからも彼と……あの駿河っていう刑事と会ってるところ』
『嘘だ……』
『嘘じゃねぇよ、他にも見たって人が何人もいる。それに、あれだけいろいろあったんだから、そう簡単に忘れられる訳ないよな』
ふと、頭の片隅に追いやっていたことを思い出す。
まだ一学期の中ごろのことだ。
家に差出人不明の手紙が届いていて、あなたのお義姉さんは浮気していますとかなんとか、同封されていた写真に映っていたのが駿河である。
『でも、義姉は……そんな話一度だって……』
『サキちゃんだって周の前では言わないよ、本当の気持ちなんて。でも俺には本音を話してくれた。しがない公務員の妻より、将来的には製薬会社の社長夫人になれる方がいいかと思ったけど、旦那は仕事ばっかりで少しもかまってくれない。身も心も寂しくてたまらないって』
そんなの嘘だ。
真実があるとすれば、兄が義姉をほったらかしだったことぐらい。
『俺に、旦那の代わりに抱いてくれって言ったこともある』
『違う、義姉はそんな女じゃ……!!』
『何が違うんだよ。お前、知らないだろ? サキちゃんの母親のこと。俺が昔ワルだったっていうことで偏見を持たれるんだったら、俺だって同じようにするさ。彼女の母親は何年も前、妻子のある男を寝盗ったことがある。まわりから売女だって言われた、そういう女の娘なんだよ』
周は激しく首を横に振り、嫌な記憶を振り払おうとした。