ひろみさん
その夜の捜査会議ではこれと言って目新しい情報がもたらされる訳でなく、真相はまだ深い闇の中、といった様子で、次第に管理官も苛立ってきた。
「小倉雪奈っていう女を任意で引っ張って来ればいい。今のところ一番怪しいのは、被害者と肉体関係のあったその女だろう?」
横尾管理官は面倒くさそうに、ホワイトボードに貼られた写真を叩く。
「それを言うなら、高島亜由美もそうです」聡介が反論すると、
「被害者は女物のアクセサリーの切れ端を握っていたんだったな? どこにでもある量産品で、安物だそうじゃないか。今をときめくMTホールディングス社長が身につけるものとも思えんだろう」
確かにそういう点で言うなら、まだ学生の小倉雪奈の方が怪しい。
だが、まだ今の段階で取調べというのは、どうしても聡介には納得がいかない。
状況証拠だけで自白を強要すれば、裁判になった時に引っ繰り返される危険が高い。
そもそも検事を納得させるにはもう少し根拠が弱い。
なかなか進展しない捜査に、全員苛立ってきているようだ。
「よし、この際別件でもいい、とにかく引っ張ってこい!」横尾管理官は言った。
「別件って、無茶苦茶じゃありませんか」
「今時の女子大生だろう? 何か後ろ暗いことをやってるに決まっている」
それはただの偏見だ。
本気でそんなことを言っているのだとしたらだいぶ疲れているようだ。
聡介でさえそう思うのだ、和泉が何か失礼な発言でもするのではないかと気になったが、当の息子は心ここにあらず、ぼんやりと資料をめくっている。
結衣が発言を求めて手を挙げた。
彼女は先ほどから何度もそうしているのだが、管理官は指名してくれないでいた。
聡介は横尾の向こう脛を蹴飛ばしてやりたかったが、さすがに足が届かない。
何度も手を挙げてやっとのことで何だ? と発言が許可された。
「タレコミの件で石岡孝太本人から話を聞いてきました。被害者とは顔見知りで、ここ最近も何度か会っていたようです。さらに被害者が殺害された日の前後、体調不良を訴えて休暇をとっています」
「その石岡という男の、この島での目撃情報は?」
「……それはまだ、確認できていません」
管理官は舌打ちをした。
しかし結衣はめげずに続ける。
「この男性は元中四国連合鳳凰会という暴走族のリーダーでしたが、今は宮島の御柳亭という旅館で板前をしています。そんな過去を持つ彼ですが、同じ職場で働く女性に想いを寄せていましたが、彼女は他の男性と結婚、失恋したことを被害者に冷やかされて、口論になったと言っています。」
簡潔でまとまった報告だ。
だいぶ成長したな、と聡介は嬉しくなる。
「アリバイなしで動機ありか……おい、誰かそのなんとか会に詳しい奴はいないのか」
応援で来ていた三原中央署の刑事が手を挙げた。
「自分は昔、安芸東署にいたことがありますが、確かに石岡孝太はこの地域でもっとも勢力の強いグループのリーダーでした。障害で数件、無免許運転、まぁ輝かしい歴史の持ち主ですよ。性格は推して知るべし、短気ですぐに手をあげる。何人か交通課の警官も被害にあっています」
「そういう性格の人間なら、口論する傍から手をあげて殺してしまいそうですけどね」
友永が不意に口を挟んだ。
「石岡は被害者が旅館に訪ねてきた時、口論になったと話しています。資料によるとそれは事件よりだいぶ前の話です。それなのに後日わざわざ仮病を使って仕事を休んで、生口島まで行って、バカにされたと怒りをぶつけて海に投げ込んだりしますか?」
いつもなら和泉が意見を差し挟む場面だ。
しかし彼はボンヤリして、会議の内容をちゃんと聞いているのかどうかすら不明である。
「とにかく、小倉雪奈と石岡孝太から目を離すな! 動きがあったら別件でもいい、署っぴいてこい! 以上だ、解散!!」
会議が終わると既に午後11時半を回っていた。
「あの、高岡警部……」
結衣がこそっと聡介に近づく。彼女も今日は泊まり込みとなるだろう。
「根本的な疑問なんですが、普通は自分から被害者と口論してましたとか、元はバリバリのヤンキーでしたとか、自分に不利な情報を話したりしますか? こっちが予め調べて、こうでしたよね? とか、目撃した人がいるんですよ、とか言うのがセオリーですよね」
「……確かにな」
「自分は絶対に犯人じゃないからっていう自信なんですかね?」
「わからんな。しかし、確かに妙だ」
「妙と言えばあの人……大丈夫ですかね?」
結衣は和泉の方をちらりと見て言った。
聡介もそちらを見て溜め息を一つつく。
「彰彦か。放っておくしかないだろう」
「飼い犬に手を噛まれた気分なんでしょうか?」
「その例えはどうかと思うぞ……」
当の和泉はよろよろと会議室をおぼつかない足取りで出て行く。その時、
「おい、和泉。和泉彰彦!」日下部が声をかけた。
「……なんですか? 日下部ひろみさん」
「ひろみじゃない、ひろざね!」
日下部の名は博実と書いてひろざねと読ませる。
「お前、何しけた顔してんだ? やる気のない奴は邪魔だ。とっとと広島に帰れ!」
「うるさいなぁ……」
すると日下部はいつになく真面目な顔で和泉の肩を掴み、そして言った。
「仕事に私情を挟むんじゃねぇよ、ボケ」
至言である。
和泉は何も言い返すことができないようだった。




