あなたには相応しくない
渋る医者をなんとか説得して、駿河は腕にギプスをはめたまま退院することになった。
この時間ならなんとか、夜の会議に間に合うだろう。
寝てばかりいたから身体がすっかりなまっている。
スーツに着替えて荷物をまとめ、病室を出たところで、まったく懲りない野村彩佳が待ち構えていた。
「退院なさると聞いたので、お迎えに参りました」
うんざりしたが、この際だから利用できるものは利用させてもらおう。
「車ですか?」
「ええ、もちろん」
「それなら、因島西署までお願いします」
「何言ってるんですか、まずはお義父様にご挨拶して、明日は1日ゆっくりお休みしてください。広島のご実家までお送りしますから」
そういうことなら、と駿河は病院の外に出て、正面玄関に待っているタクシーに乗り込もうとする。しかし。
「ダメですって!」
彩佳は故意かどうかわからないが、怪我をしている方の腕を思い切り引っ張る。
痛みに涙が出そうだった。
力が抜けたのをいいことに、彼女は駿河を引きずってどんどん駐車場に向かう。
こんな、女性の力に敵わないなんて。
まだ無理はできないということか。
そうして結局、彼女の愛車である日産のコンパクトカーの助手席に押し込まれ、実家へと向かうことになったようだ。
「葵さんのお父様が私を、ご実家に泊めてくださると仰ったので……今夜は……」
頬を赤く染め、彩佳は潤んだ瞳でミラー越しに駿河を見つめてくる。
「……彩佳さん」
「はい?」
「本気で刑事の妻になるつもりなら、もう少し理解を示してください。我々の仕事はチームで動いているんです。誰かが一人でも勝手な行動をしたり、怪我の為に離脱すると、それだけで多大な迷惑をかけることになるんです。それに、少しでも現場を離れていると勘が鈍る。自分はそんなことは耐えられません」
「でも……」
「御理解いただけたら、因島西署で降ろしてください」
それでも彩佳は広島方面に向かってアクセルを踏み続ける。
仕方ない。駿河は入院中のヒマつぶしにネットで仕入れた、くだらない知識を実践してみることにした。
「前に付き合っていた彼女なら、きっとここで降ろしてくれたんですけどね」
女性がドン引きする男性の言動ワースト10。
「……藤江美咲さんのことですか?」
何故知っているのだろう?
一瞬疑問に思ったが、どうぜ父親から聞いたに違いない。
駿河が黙っていると彼女は言った。
「あの人は、葵さんに相応しくありません」
「……なぜ、あなたがそんなことを言うのですか?」
車はあっという間に尾道を通り過ぎ、高速道路に乗ってしまう。
「葵さん、刑事の仕事を続けたいのでしょう?」
「どう言う意味ですか?」
彩佳はカーラジオのスイッチを入れた。中古車販売のCMが流れる。やがて心地良いクラシックのメロディ。駿河はラジオのボリュームをごく小さくした。
「……身内に犯罪者がいる相手と結婚すれば、警察を辞めなくてはならなくなる。そうですよね?」
警察官はとにかく『身元』を重視する。
犯罪歴のある近親者がいる人間は警察組織に入ることができない。しかし駿河は美咲にそのような親族がいるなどという話は聞いたことがない。
「彼女、泥棒の娘なんだそうですよ」
「泥棒……?」
「泥棒じゃ言い方が悪いですけど、でも同じことです。会社の資金を横領して競馬につぎ込んだらしいですよ。その上、愛人がいて……奥さん、つまり彼女の母親と別れて結婚する約束をしていたのに実現しなくて、ついにその愛人に殺されたらしいです。無理心中だったそうですね」
「まさか、そんな……父はそんなこと、一言も……」
あの父親なら、息子が結婚したいと思う女性がいることを知れば、必ず興信所を雇って身元調査することだろう。その上で相応しくないと判断すれば絶対に許さなかった。
美咲を紹介した時、父は苦い顔をしたものの、反対はしなかった。
「美咲だって、そんなことは……」
隠している様子など欠片もなかった。そもそも彼女は隠し事ができない。
父親が愛人に殺されたという話は聞いたけれど。
だが、それならば彼女は被害者の娘だ。
「本人だって、最近になって知ったんじゃないですか? だから急に、葵さんの前から姿を消した……」
この女性はどこまで詳しく知っているのだろう?
「……今から言う場所に、行ってもらえませんか……」
駿河は美咲の住むマンション、つまり上司と先輩の住むマンションの所在地を彩佳に告げた。