イタいお嬢さん
教わった住所だけで、目的地のワンルームマンションはすぐに見つけることができた。県警本部のある場所からほど近い住宅街の真ん中。
家賃いくらぐらいかな、などと考えながら周は外階段を昇る。
203号室のドアを開けた。表札が出ていないから一瞬不安を感じたが、借りた鍵が合致したから間違いないだろう。
今日は朝早く起きて、猫達の世話をした後、周は真っ直ぐに駿河の借りている部屋に向かった。
きっと何もかもが整然と並んで、塵1つない部屋だろうと思っていたが、全然そんなことはなく、むしろ雑然としており、なるほど男の一人暮らしならこんなものか、と思った。
洋服箪笥を無造作に開けて、ワイシャツや肌着類、ネクタイをカバンに放り込む。
一応、スーツの予備もある方がいいだろう。
クローゼットを開けてスーツを取り出すと、カシャンと何かが落ちる音がした。
屈んで拾い上げると、フォトフレームに入った1枚の写真だった。
裏返すとそこに映っていたのは仲居姿の美咲と、制帽を被った制服姿の駿河だった。
おそらく彼が交番勤務だった頃の写真だろう。
二人は頭の一部に縞模様がある子猫を挟んで寄り添い合い、楽しそうに笑っている。
周は写真をそっと元の場所に戻して部屋を出た。
さて、と荷物を持って因島に向かう。
別荘に行った時は車で楽だったが、広島市内から因島まで電車で行くのはなかなかたいへんだ。
まず電車で尾道まで出て、そこからはバスに乗る。
暑さのせいもあって、病院に着いた頃にはすっかり疲れていた。
病室のドアをノックして開けようとした時、思いがけず中から女性の楽しげな声が聞こえてきた。
なんだ? と訝りながらドアを開ける。
すると看護師の女性が振り返った。
「あら、弟さん?」
看護師と楽しそうに談笑していたのは、あの見合い相手の女性だった。
結局、あの話はまとまったのだろうか?
だとしたら教えてやろうか、この男は未だに別れた彼女とのツーショット写真を大事に取っておいてあるぞ、と。
女性は少し迷った様子で「お友達です」と答えた。
友達って誰のだ?
周は看護師に軽く会釈してからベッドの脇の棚に荷物を下ろす。
看護師はそれじゃ、と病室を出ていく。
「ほら、着替えと鍵」
駿河はいつもそうだが、無表情のままありがとう、と言った。
「じゃあな、俺は帰る」
「待ってくれ、ここにいてくれ」駿河に手を掴まれた。
驚いた。自分がいたら邪魔になるのでは……?
「葵さんたら、そういうことなら私に仰ってくだされば良かったのに」女性が言った。
駿河は黙っている。どうも様子がおかしい。
周は彼の耳元にこそっと囁いた。
「入院手続きは?」
「……今朝早い時間の内に、高岡警部が済ませてくださった」
だったら、自分がここにいる理由はないではないか。
しかし駿河は周の手を離そうとしない。
なんなんだよ、いったい……。
見合い相手の女性もどうしたものかと戸惑っているようだ。しかし、
「あなた、誰?」といきなり居高丈に尋ねてきた。
「そっちこそ誰だよ。人に名前を聞く時は、まず自分から名乗るもんだろ」
周は女性の方を振り返って言った。
「私は葵さんのフィアンセの、野村彩佳。あなたいったい何者なの? 葵さんとどういう関係?!」
人には言えない関係です、なんて言ってやろうかと思ったがやめた。
「藤江周だ。こいつとはただの知り合い、何か文句あるか?」
「藤江……?」
彩佳は少し考える様子を見せたが、すぐに気を取り直したように、
「彼のことは私に任せて、出て行ってくれないかしら?」
「俺だってそうしたいのに、こいつが離してくれないんだよ……いてっ!」
捻じられた。
目上の人間に対する話し方がなってない、こいつ呼ばわりとは何事か。
周は涙目で駿河を睨んだが、逆に表情のない顔でじっと見つめ返されて怖くなる。
仕方なく大人しくその場にとどまることにした。