離脱を余儀なくされる
「君は行かなくていいのかい、美咲?」
「……」
「心配でたまらないだろう?」
「当たり前でしょう?!」
美咲は思わず大きな声を上げてしまい、はっと口を噤んだ。
「でも君が出て行けば、向こうはもちろん、周だって不審がる。そういうことだね」
賢司は言って缶コーヒーを一口飲んだ。
「それにしても周はいったいどうしたんだろうね? 随分、あの彼に懐いたみたいじゃないか。血がつながっていると、好きになる男も一緒になるんだろうか」
美咲は黙ってぎゅっとスカートの生地をきつく握りしめた。
「……あなたの仕業なの? 賢司さん……」
「何のことだい?」
「あなたが誰かを雇って、葵さんを襲わせたの?!」
賢司は頬を歪めるようにして笑うと、
「そんなバカな真似はしないよ」
「だったら誰が……!」
「それは警察が調べるよ。身内のこととなると、彼らは必死になるからね」
空になったコーヒーの缶をドアポケットに差し込み、賢司はスマートフォンを操作し始める。
「いいかい、美咲? 君は今、僕の妻だ。そのことを忘れずにね」
美咲が黙っていると彼は笑った。
「そういう表情、周にそっくりだね」
※※※※※※※※※
眼が覚めると思いがけない顔が覗き込んでいた。
一瞬だけ、美咲が眼の前にいるのかと思って思わず名前を呼びかけそうになる。
「眼、覚めた? 葵ちゃん」
「和泉さん……自分はいったい……」
「簡単に言うと、得体の知れない集団から袋叩きに遭ってた。葵ちゃん自身は恨まれる覚えや心当たりは?」
駿河はゆっくりと首を横に振る。
まだ誰かに恨みを買うほどの活躍はしていないのが現状だ。
「どこか痛むか?! 先生、呼んだ方がいい?」
美咲かと思ったら弟の方だった。
どうしてここにいるのだろう?
そういえば昨日から生口島へ観光に来ていたと言っていたっけ。
「……どうしてここに?」
「葵ちゃん、周君は心配して、わざわざ帰りに寄り道してくれたんだよ」
和泉が言った。周は唇を尖らせてそっぽを向いているが、否定はしない。
「ああ、そうか……」
「それで、心当たりは?」
「……わかりません。ただ、覚えているのは『宮島を守る会』と書かれた旗が荷台に乗せられていたこと、5人いた内の1人が山陰訛りだったような……それから、お前はスパイだ、と言われました。あの女の回し者だとかなんとか」
よく覚えてるじゃない、と和泉は笑う。
「宮島を守る会……ね。何かあるのかな?」
「よく、わかりません。ところで松田巡査は無事ですか?」
「彼はスポーツカー並みに現場を逃走したから、どこも怪我していないよ。さすがはマツダだね」
皮肉たっぷりに言うあたり、和泉にとって彼の心証はかなり悪いようだ。
気を失う前のことをよく思い出してみる。
車のナンバーは確か、広島ナンバーだ。白いプレートの普通車。営業用ではない。車高は低く、地面を這いずり回るような走り方をしていた。
犯人グループは察するに、自分とそれほど年齢が変わらないと思われた。
「あんた、一人暮らしなんだって?」
いきなり周が口を挟んできた。
「ああ……」
「家族は? 入院手続きとか、着替えとか必要なもの、持ってるのか?」
「入院なんかしない。歩けない訳じゃないし、この程度の怪我で休むわけにはいかないんだ」
起き上がろうとして駿河は、全身に痛みを覚えた。
葵、と優しい声がする。班長だ。
「班長……申し訳……」
「いいから寝てろ。お前はしばらくここで休養だな」
「そんな訳には……っ!!」
痛い。
弱みを掴んだと思ったのだろうか、周はニヤニヤと笑いながら近付いて来る。
「額に脂汗かいてるけど、拭いてあげようか?」
「いい……放っておいてくれ……」
「あ、僕マジック持ってるよ。包帯に落書きしちゃおう!」
駿河は呆れて何も言うことができなかった。




