お局さま
「ふん、警察が忙しいというのは市民にとってありがたくない話だな」
確かにそうだ。駿河が黙っていると、
「今日、呼び出したのは他でもない」
やっぱりか、駿河は手を止めて父親の顔を見た。
「お前に見合いの話がある。相手は……」
「お断りしてください」
詳しいことを聞く前に彼は言った。
「僕は、美咲以外の女性を愛することなどできません」
すると父は鼻を鳴らして笑った。
「そんなことはどうでもいい。大事なのは縁組みだ。だいたい、向こうも他の男と結婚したんだろう? いい加減に忘れろ」
それができたらどんなに楽だろう。できないから苦しいのではないか。
そんな気持ちのまま他の女性と結婚したところで、どれだけ幸せな家庭が築けるだろう。
「明日の午前11時、見合いの席は既に用意した。時間に遅れないよう指定された場所へ行け」
「何か事件が起きて呼び出しがかかれば、仰る通りにはできません」
駿河は精一杯の抵抗をしてみせた。
「その時は、お前不在のまま話を進めるだけだ」
食欲が失せた。
駿河は立ち上がり、リビングを出た。
シマ吉を抱いた文代とちょうど出くわす。
「あら、ぼっちゃま」
「……文代さん、知っていたんだろう?」
「何がです?」
彼女は気まずそうに眼を逸らす。
「お見合いの話だよ」
「そりゃ知っていましたよ。けどね、ぼっちゃま。旦那様はちゃんと葵ぼっちゃまの将来を考えて……」
駿河は彼女に背を向け、玄関に向かって歩き出す。
「どちらへ行かれるんです?!」
「帰るんだよ」
「明日午前11時、宮島の『御柳亭』2階の『山茶花の間』ですからね!!」
そんな彼に向かって文代は悲鳴のように叫んだ。
※※※※※※※※※
他の旅館は知らないが、この旅館の待遇は良いと周は思う。
美味しいご飯は食べさせてくれるし、風呂にも入らせてくれる。
初日はとにかく疲れることばかりだった。
しかし2回目の今日は少しずついろいろなことの感覚が掴めてきたように思う。
仲居さん達も皆、本当のお姉さんのように親切にしてくれる。仲居をしているのは地元のオバちゃん達が半分、あとはリゾートバイトでやってきた若い女性達である。
全員周よりも年上だからか、彼を息子や弟のように可愛がってくれる。
ただ一人を除いては……。
初日には出会わなかった。
今日初めて会ったのだが、一目見た瞬間から相手は顔を強張らせ、何かとケンカ腰である。名前は確か朋子だった。
その話し方を聞いている内に周は思い出した。
ずっと以前、義姉の安否が気になってこの旅館に電話をかけた時、電話口に出た感じの悪い従業員が彼女だ。
何が気に入らないのか知らないがとにかく不親切である。
どんな職場にもお局様はいるものだ。
周はそう割り切って相手にしないことにした。
午前中は庭に面したガラス窓の拭き掃除を命じられた。
隅々まで手入れの行き届いた日本庭園は、見ているだけで心が和む。脚立を使って高いところを拭いていると、
「なぁ、それ終わったら休憩しようぜ」
下から若い男性の声が聞こえた。
名前は確か石岡孝太。
ずっと以前、義姉が巻き込まれた事件があった折り、少し言葉を交わしたことがある。この旅館の板前の一人だ。
はーい、と返事をして周は掃除を続ける。
彼は初日から何かと周によく声をかけてくれて、親切にしてくれた。義姉の幼馴染みで二つ年下だと言っていた。
誰にも文句を言われないよう徹底的に窓を磨いて、脚立と掃除用具を片付けてから周は孝太を探した。
彼は板場にいた。
外に出よう、と彼は前掛けを外した。