アクセラかデミオ
あれだけ時間を割いて、無理をして興味のない話に付き合ったのに、得られた収穫はほとんどなかった。
高島亜由美と、彼女が連れてきた学生アルバイトの美術サークルのメンバーは2日前からこの生口島にやってきており、スケッチやオブジェの作成、それからマリンスポーツを楽しみ、駿河に言わせればただひたすら『遊んで』いただけだった。
被害者である新聞記者とは、港で出会ったらしい。
向こうが高島亜由美を見つけて声をかけて来て取材を申し込んできた。
元々はこの島の町興しの様子を取材に来たそうだが、この島を始めとし、広島県全体を盛り上げたいと常々言っている彼女に、具体的な今後の進展をたずねていたという。
そもそもプライベートで遊びに来ていたので、取材なら仕事に戻ってから改めて、と答えて、記者の方もその場は引いた。
その後、新聞記者がどこで何をしていたのかは知らないと、野村彩佳が話してくれたのは総合するとそれだけである。
時計を見る。
班長からは常々定時連絡を命じられているが、すっかり彩佳のペースに乗せられ、電話をかけるタイミングを逃してしまった。
尾道東署の松田巡査は自分の状況を上手く伝えてくれただろうか?
「ありがとうございました。では、これで」
駿河は伝票を取って立ち上がる。彼はコーヒーを飲んだだけだが、どうせ向こうは自分の分を払うつもりはないだろう。
「あ、待ってください。今日は私が支払います」
彩佳はそう言って伝票を取った。
「そういう訳にはいきません」
駿河は自分のコーヒー代をぴったり小銭でデーブルの上に置いた。
「それって、服務規程ってやつですか? なんか、聞いたことがあります。公務員は政治家と一緒で奢られたり、物をもらうと贈賄になるって……」
「そういうことです」
実際のところは単純に貸し借りをしたくなかったのもある。
「恋人同士でも……夫婦でもそうなんですか?」
「詳しくはインターネットででも調べてください」
店を出てすぐに、班長に電話をかける。
「申し訳ありません、連絡が遅くなりました」
『ああ……』
気のせいだろうか、怒っている?
「実は……」
『俺達も今、もう一度そっちに向かっている。報告は直接会ってから聞く。因島西署に向かってくれ』
あの警部は意外と感情が表に出る。
表情もそうだし、口調でもそうだ。
まさかとは思うが、あの若い刑事が適当なことを言ったのではないだろうか。
いったん捜査本部である因島西署に戻ろう。とはいうものの、交通手段をどうするか考えていなかった。
バスは走っているようだがあまり本数に期待できない。
雨も降っているしタクシーでも使うか、と考えてタクシー会社を検索しようとした時、
「お送りしましょうか?」
支払いを済ませたらしい彩佳が、すぐ傍にいて駿河を見上げていた。
いえ、と短く答えてタクシーを呼ぼうとしたその時、友永から電話がかかってきた。
『今、どこにいる?』
駿河は近くにあった電信柱の住所表記を読み上げる。
『……住所を言われてわかると思うか? 今から因島西署に向かえって、班長さんから命令があったから戻るぞ。本田さんがマツダの車を持ってるから、お前も一緒に乗せて行ってやるってさ』
助かった……駿河は思わず安堵の息をついた。
それからほどなくして、尾道東署の本田巡査部長がカフェの前に来てくれた。
とっとと帰ればいいのに、いつまでも隣に立っていた彩佳は、駿河が車に乗り込むと小さく手を振り、それじゃ、と踵を返す。
「なんだ? あれ」
友永が首を捻じって車窓から彼女の姿を追う。
「こっちが聞きたいぐらいですよ」
「ひょっとして、こないだの見合い相手か?」
「……どうして友永さんが、その話を知ってるんですか?」
「そりゃお前、蛇の道は蛇ってやつだ」
どうせ和泉あたりがおもしろがって言いふらしたに違いない。
「で、どうするんだ?」
「何がですか?」
「向こうはすっかり、お前さんの彼女きどりだぞ?」
たった一目見ただけでそんなことがわかるのだろうか。
駿河はそう思ったが、この刑事の観察眼はバカにできない。
「断るんなら早い方がいい。もしかしたら仕事の役に立つかもしれないなんて、中途半端に利用してるんだったらやめた方がいい。後々面倒なことになるぞ?」
「……はい」
えらく素直じゃねぇか、と友永は笑った。