覚悟を決める
ちょうどいい機会だ。駿河は松田にメモを取るよう目で合図した。上手く伝わったかどうかは疑問だが。
「ところで、この男性を見かけませんでしたか?」
駿河は海に遺体となって浮かんでいた被害者の写真を見せた。
「あら、この人……新聞記者さんよね?」亜由美が言った。
「ご存知なのですか?」
「ええ、私達のグループを取材したいって」
「……あなた方のご関係は?」
すると高島亜由美は野村彩佳を手で示し、
「彼女は私の秘書。名前は……知ってるわよね? こちらの彼と彼、彼女はうちの店でアルバイトしてくれている学生さん。みんな美術系のサークル仲間よ」
男性二人はそれぞれ上原、増本と名乗り、女性は小倉と名乗った。
「そういえば、記者さんから名刺いただいたわよね?」
亜由美が彩佳に言うと、
「ええ、これです」
受け取った名刺には山陽日報生活情報部の肩書き。
社会部ではなく、生活情報部ということは、事件記者が何かを嗅ぎ付けてここまでやってきた訳ではなく、本当に芸術家の卵達を取材に来たのかもしれない。
しかし、思いがけない特ダネを掴んで口を封じられた……。
「こちらにはどれぐらい滞在なさるつもりですか?」
「明後日帰るつもりですけど。そうだわ、彩佳ちゃんはこちらの彼に送ってもらったらいいんじゃないの?」
「もう、社長ったら……」
班長に報告だ。
駿河は駐在所を出て防波堤沿いに立ち、聡介に電話をかけた。
『葵か、どうした?』
実は……と話しかけてギョっとした。
人の気配を感じて振り返ると、野村彩佳が背後に立っている。
「何をなさっているんですか?」
駿河は思わず通話ボタンを切った。
彩佳は少しも悪びれる様子もなく、笑って答える。
「葵さんのお父様からお願いされたんです。仕事に夢中になると、まわりが全然見えなくなるから、傍にいて、たまには他のことにも関心を向けるようにつついてやれって。でもまさか、こんな偶然ってあるんですね。なんだか運命を感じちゃうな」
申し訳ありませんが、と言いかけたのを遮り、
「お昼もう済ませました?! 私、まだなんです。いいお店があるんですよ、行きましょう……こっちです」
と、彼女は駿河の腕をグイグイ引っ張って歩き出す。
振り払おうかと考えたが、事と次第によってはあの新聞記者のことをもっと聞けるかもしれない。ここはおとなしくついて行くことにする。
相方である松田巡査にはあとで合流する、と眼だけで伝えた。
そして彩佳が連れて行ってくれたのは、ガラス張りのお洒落なカフェだった。
観光客向けに最近オープンした店だろう。この店もMTホールディングス傘下のフランチャイズ店らしい。
彼女は日替わりランチを注文し、それからグラスワインも注文した。
「葵さんは?」さっきまで駿河さんと呼んでいたのに。
「勤務中ですから」
そうですか、と彼女はあっさり返答した。
「今の会社には何年ぐらいお勤めなんですか?」駿河は質問を投げかけた。
「今年の春に転職したばっかりですよ」
「それでいきなり、社長秘書に抜擢ですか?」
「ええ、まぁ。私、前職でも秘書をしていましたし、いろいろ資格持ってるんです」
紙おしぼりで手を拭きながら彩佳は、こんなことならもうちょっとお洒落してくれば良かった……と呟いている。
「この島へは、昨日からお見えなんですよね? 新聞記者の方は、予め取材の約束をしていたのですか?」
「いいえ。偶然社長のこと見かけて、声をかけてきたって感じですかね」
「社長の様子はいかがでしたか?」
「そりゃ、喜んでいましたよ。マスコミに出るの大好きな人だから」
「なぜ高島社長は、今回の計画を立てたんですか?」
彩佳は少し黙り込み、それから駿河を睨んできた。
「……なんで、社長のことばっかりお訊ねになるんですか? 気になるんですか?」
否定はしないが、それは恐らく彼女が思っているのとは別の意味だ。
「あの人、もう還暦近いですよ? 世の中には美魔女とかなんとか、無理してるオバさんがたくさんいるみたいだけど」
そんなことはどうでもいい。駿河は苛立ちを感じたが、どうにか抑える。
「それで、記者は何を取材していたんですか?」
グラスワインが運ばれてくる。
彩佳は一気に半透明の液体を飲み干すと、
「私のこと、ちっとも訊いてくれないんですね? だったらお答えしたくありません」
面倒くさい女だ……。
事件のことはマスコミには未発表である。
今日の夕方の記者発表で尾道東署長が正式に会見する予定である。それまでに少しでも有益な情報を仕入れておきたい。
今は無理をしてでも、どうにか眼の前の女性に付き合うしかない。
駿河は覚悟を決めた。