プライベート
「お姉さんは忙しいのかい?」聡介が周に訊いた。
「夏休み期間中はずっと仕事です」
「周君も旅館の仕事をお手伝いしてるそうですよ」和泉が言った。
「そうか、偉いなぁ」
聡介は笑顔を浮かべてそう言ってくれた。
たいしたことじゃないですよ、と言いながらも周はそこはかとなく嬉しかった。
亡き父に褒められたようで、胸にこみあげてくるものがある。
同時に和泉が羨ましいと思った。
いつもこんな優しいお父さんが傍にいて一緒に働けるのだから。
ふと、周は義姉の両親に会ったことがないということに気がついた。
兄夫婦は式も挙げなかったし、特に親族から挨拶もなかった。
旅館の女将は実の母親のように親しくしているが、本当の親子ではない。兄弟姉妹がいるという話も聞いたことがない。
考えてみれば自分は義姉のことをほとんど何も知らない。
「黙りこんでどうしたんだ?」
聡介に声を掛けられてふと周は我に返った。
と、同時に、
「あ、すみません……こら!」
気がついたらメイとプリンは2匹揃って聡介の肩によじ登り、ゴロニャンと頭を擦り寄せている。おかげで彼の箸はすっかり止まっていた。
周は猫達を引き剥がした。
「こんなふうに懐かれると可愛いもんだな」
聡介は笑いながら言った。
「聡さんは昔から、動物と子供と女性と年寄りに好かれますよね」
「高岡さん、優しいですもんね」
それから周はちらりと和泉を見た。
この人も優しいところがたくさんあるのに、なんでだろう? 敵が多そうだと思うのは……。
「何? 周君」
「なんでもないです」
周はじっと見つめてくる和泉から目を逸らした。
「……そうだ。お二人とも、もし時間取れるようなら泊まりにきてください。今さら宮島なんてめずらしくないだろうけど、部屋と料理は保証しますよ」
部屋からの景色と料理は間違いない。周は思わず営業していた。
「そうだな、たまにはいいな、そういうのも。なあ? 彰彦」
和泉はなぜか妖しい目で周を見つめ、
「そうですね。もちろん周君がおもてなししてくれるんでしょ?」
「俺は仲居さんじゃなくて裏方だから、接客はしませんよ」
「こっちが是非とも部屋係は周君がいいって指命したらいいんじゃない? お風呂で背中を流してくれて、夜伽もしてくれるんだよね?」
ごほっ! 飲みかけの麦茶が気管支に入ってしまった。
聡介は顔をしかめて息子を睨んでいる。
「なに、二人ともそんな顔して……」
ごちそうさま、と和泉は立ち上がって食器を流し台に運んだ。
それから猫達に遊ぼうと声をかけてリビングのソファに腰掛けた。
昼間はあんなに機嫌が悪かったのに、今はすっかり元に戻っている。
周を夕食に誘って良かったと聡介は心から思った。
どんなに疲れて苛立っていても、娘の笑顔を見るとすべてリセットされてしまうように、和泉も周に癒されるのかもしれない。
人は自分にないものを持っている人間に魅かれるという。
つくづくあの子が女の子だったらな……と思う。
いや、この際親友と呼べる存在でもいい。心を支えてくれる相手がいるといないのとでは、随分違うものだ。特にこんな仕事をしていると。
聡介は洗った食器をしまいながら考えていた。
「聡さん、さっき周君から聞いたんですが……」
和泉が台所にやってきた。
「葵ちゃん、昨日お見合いしたそうですよ。彼って実はいいとこのボンボンなんでしょう? そりゃあ、そういう話がわんさかあるでしょうね」
「……本当か? 誰に聞いたんだ」自分は聞いていない。
警察官は私生活についてまでうるさく言われる。部下の私生活についてもある程度は上司が把握しておく必要があるのだ。
「周君ですよ。彼の働いている、つまり美咲さんの職場でお見合いしたそうです」
彼が今日いつになく少し機嫌が良さそうだったのは、そのことが原因だろうか?
「なんだか嫌な予感がしますね……」
「嫌な予感?」
和泉の嫌な予感は大抵当たる。
だから、あまり言わないで欲しいと実は思っている。
「ずっと以前にも感じたことですが、どうも誰かが美咲さんと周君を……彼らに関わるすべての人間を、良くない方向へ導こうとしているというか……悪意のようなものを感じるんですよ」
「悪意……あの二人が誰かに恨みを買っているとでも?」
「まさか、二人ともいたって善良な市民ですよ」
「じゃあどういう……?」
「彼ら自身というよりも、もしかしたら親の因果が子に報いということかもしれません」
和泉は遠い眼をして、見たことのない彼らの親を見つめているようだった。
「親の因果って、あの二人は義理の姉弟だろう?」
「あの二人は血のつながった姉弟ですよ」
驚いたのは確かだが、意外でもなかった。
どう見ても美咲と周の方が、顔立ちがよく似ている。
「以前美咲さんが話してくれました。父親は違うが、母親は同じだそうです」
和泉は言った。
「そのことを周君は?」
「知らずにいます。言わないでほしいとも言われました」
「そうか……」
何か深い事情があるのだろう。
「聡さん、僕は周君を守ります」
和泉は真っ直ぐに聡介を見つめてきた。
「あの子のことを本気で大切に思っていますから。ただ、一度に複数の人間を守ることはできません。だから、昼間の話は当分禁止ですよ?」
聡介は頷く。
「わかった、お前がそう言うのなら……」




