被疑者死亡のまま書類送検
気がついたら眠ってしまっていた。
頭がガクンと揺れて、はっと目が覚める。
柔らかいクッションかと思ったら義姉の肩だった。
周は慌てて身体を起こし、首を横に振る。
ご家族待機室とプレートに書かれたその部屋は、危篤状態で運び込まれた患者が治療を受ける病室のすぐ傍にあった。孝太に家族はいない。
父親は元々いないし、母親も既に亡くなっている。弟も彼より先に亡くなっている。
「眠っていいわよ。孝ちゃんの目が覚めたら、起こしてあげるから」
美咲は言ったが、周は頷かなかった。
「サキちゃん!」
和服を脱いで洋装に着替えた御柳亭の女将が、血相を変えて飛び込んできた。孝太の身元引受人は旅館の女将である寒河江里美となっているのだと周は後で聞いた。
「孝ちゃんは……?」
「まだ、意識が戻らないの」
女将は美咲の隣に腰を下ろした。
「どうして、こんなことに……?」
そこへどこかへ電話をかけに行っていた賢司が戻ってきた。兄は女将に気付くと会釈して、向かいに腰掛けた。
「孝ちゃんは、桑原さんを殺した犯人を自分で見つけたの」
「え……?」
「どうしても許せなくて、自分の手で復讐しようと思ったみたい。だけど……逆に犯人に刺されてしまった……」
美咲は淡々と語った。
女将は言葉を失い、両手で口を抑えた。
それからしばらくして、
「……その、犯人は……?」
「亡くなったそうですよ。さっき、警察から連絡がありました」賢司が答える。
そうだろうな、と周は思った。孝太を刺したあの女性、野村彩佳がパトカーを奪って逃走し、崖から転落して炎上したのを見たからだ。
女将は悲しげに首を横に振り、それから黙りこんでしまった。
その後は誰も一言も発しないまま、やがて明け方を迎えることになる。
眠気に勝てないまま、再び浅い眠りを繰り返し、窓から差し込んでくる日の光で目を覚ました周は、肩に重みを感じた。義姉だった。
彼女は周の手に手を重ね、目を閉じていた。
俺じゃなくて、あいつだったら良かったのにな……などと少し考えた後で、あたりを見回す。
向かいのソファでは兄の賢司が頭を垂れて眠りこんでいる。女将の里美は美咲の隣でやはり、座ったまま目を閉じている。
孝太はどうなったのだろうか。
時計を確認すると、午前5時20分。義姉が目を覚ました気配がした。
「あ、ごめんね……」
美咲は座りなおして、それから立ち上がった。
「コーヒーかお茶、買って来るわ」
「俺が行くよ」周が腰を浮かせたところへ、看護師がやってきた。
「眼が覚めましたよ! 意識が戻りました!!」
全員が弾かれたように眼を覚ます。
もつれそうになる足を叱咤し、それでも転がり込むように病室へ入る。
孝太のすぐ傍には白衣の医者が立っていた。
「あとは傷が塞がるまで、時間の問題です。もう大丈夫ですよ」
周と美咲は床の上に膝をついて、それぞれ孝太の手を握った。微かだが握り返してくれる感覚が伝わる。
「良かった……孝ちゃん、良かった……!」
ぽろぽろと涙を溢しつつ、美咲は何度も良かったと繰り返す。
それから約30分後のことだ。
駿河ともう一人、見たことのない刑事がやってきた。
孝太の意識が戻ったと聞いて事情聴取にやってきたのだろう。三次市署刑事課の梶井と名乗った。
二人の刑事は周を病室から連れ出し、丸テーブルや本棚の設置されている休憩コーナーで向かい合って座った。朝早いので他に誰もいない。
警察が何度も同じことを聞いて来るというのは知っていたが、確かにそうだった。
周は孝太が失踪したあたりのことから、昨日もらったメールのこと、彼の知人を探して福山方面を訪ね、孝太があらわれると予測される場所まで一緒についていったことを始めから、くり返し説明しなければならなかった。
ふと、周は駿河の顔を見た。
いつも無表情だが、今日は特にそうだ。先ほどからほとんど一言も発しない。
質問はすべて梶井という所轄の刑事で、彼は無言でメモを取っている。
「ご協力ありがとうございました」
「あの、孝太さんにも話を聞くんですか?」周は思わずたずねた。
所轄の刑事はじろりと周を睨んだ。
何か聞かれてマズいこともでもあるのか?
「さっき眼を覚ましたばかりなんです。もう少しそっとしてあげてください」
「……言われるまでもなく、まだ医師の許可が下りていませんのでね」
ほっとした。
周は駿河に声をかけようと思った。
昨日はごめんなさい、そう言おうと思ったのに。
彼はまるで逃げるように背を向けて、急いで病院を出て言った。
それから周は病室に戻った。孝太は眠りについているようだ。