崖の上:3
一人にされてから、周はいろいろと考えていた。
今までにあったいろいろなことを。
周が初めて駿河に会ったのは、自宅マンションの共用廊下。彼は隣室を訪ねていた。
後で知ったけれど、そこは彼の上司と同僚が住む家で、別に彼がそこを訪ねるのは何の不自然もないことだ。
だけどそのタイミングは、ちょうど『お義姉さんは浮気しています』などという密告文書が届いたその日の夜だ。
そこに同封されていた、浮気相手とされる本人が目の前にあらわれたのだから驚いた。
あの後、智哉がストーカーじゃないの? などと言ったことに納得して、気持ちは一旦収まったけれど、よく考えてみれば、あの手紙は一体誰が書いたのだろう?
確かにストーカーは対象相手を誹謗中傷する手紙や、ネットへ悪口の書き込みなどをするらしいと聞いたことがある。
だけど、周には駿河がそういうことをする人間だとはとても思えない。
ふと、あの朋子という仲居の顔が浮かんだ。考えてみれば、社長の愛人だと言うあの感じの悪い女性は、何かと義姉にからんでは嫌味を言ったり、周にもイチャモンをつけてきた。
昔からそうだったと孝太が言っていた。
あの仲居だろうか?
それもなんだかイマイチ納得がいかない。確かにあの女は、陰湿で性格ブスだが。
『僕のせいで、君と美咲の間に亀裂が入るのは本望ではない』
ふと、駿河の言ったことを思い出した。
もしかして、と周は考えた。
誰かが自分と義姉を仲違いさせようと企んでいる? でも。
「そんなことして何が楽しいんだ?」
周は思わず口に出して呟いた。
その時、不意に携帯電話が鳴りだした。駿河からだ。
『頼む、今すぐに来てくれ! 坂の上のドライブインだ!!』
孝太があらわれたのだ。
周は急いで車を降り、暗い山道を走り出した。
ドライブインの客、おそらくトラック運転手の男性達は、訳もわからないまま警察に協力してくれて、孝太を取り抑えてくれた。
彼は地面の上に座りこまされ、屈強な男達に囲まれている。
「離せ! こいつは俺が殺すんだ!!」
石岡さん、と駿河は孝太の前に膝をつく。
「美咲も、周も、あなたが突然姿を消したことにひどく驚いて心配して、二人で探しに出かけたのです。あなたからのメールを見て、もしかして自殺でも考えているのではないかと心を痛めていました」
「……」
「自殺もいけないが、人殺しはもっと悪い。そうですよね?」
「だけど、圭史郎は……!!」
「彼の無念は我々が晴らします」
孝太は顔を背けた。
おそらく彼は駿河をというより、警察を信用していないのだろう。
「そんなことが本当にできるのか?」
「……正直言って、難しいと思います。でも……」
その時だ。
「孝太さん!!」
周が駆け寄ってきた。坂道を全力疾走してきた彼は、肩を大きく上下させ、滴り落ちる汗を手の甲でぬぐう。
「良かった、無事だった……」
そして彼は顔を歪め、泣き出しそうな表情で孝太に縋りついた。
「心配したんだよ?! 俺も、義姉さんも!! なんで急にいなくなったりするんだよ」
孝太の全身から殺気が消えたのがわかった。
彼を取り抑えていたトラック運転手達は、やれやれ、と離れて店内に戻って行く。
「義姉さんが謝りたいって言ってた。疑ったりして申し訳なかったって。でも俺は、最初からずっと孝太さんのこと信じてたよ?」
周は顔を上げて微笑む。
「そうですよ、石岡さん」
背広についた細かい石や土を手で払いながら、和泉が口を挟む。
「あなたが妙な真似をしてくれたおかげで、僕はひどく切ない思いをしました」
「どういうことですか……?」
「我々警察の、疑いの目を自分に向けさせたかったのは、桑原さん殺害事件について情報を得たかったからなのでしょう? 前科者がまず疑われるっていう法則を知っていて、なおかつ被害者と親しい関係にあった上、事件当日アリバイのなかったあなたは、自分であのタレコミの手紙を書いた……復讐の為ですね?」
孝太は顔を背けた。そして、小さな声で何か呟く。
「そればっかりじゃないけどな……」と、言ったように駿河には聞こえた。
「当然、我々はあなたを重要参考人として扱う。それを見た周君は怒り心頭ですよ、昔やんちゃしてたってだけで、あんな優しい人が疑われるなんて、ってね。警察なんて大嫌いだと言われました」
「その点は、俺も同感だ」そう言って、孝太は鼻を鳴らした。
和泉は周を孝太から引き剥がし、なぜか自分の腕に抱いた。
「僕の可愛い周君を惑わすようなことを言って、重罪ですよ? ついでに言うとこんな怪我もさせられたし、どうしてくれるんですか?」
「僕の……? 可愛い……?」
周は硬直している。
その時、救急車と複数台のパトカーが到着した。刑事達もわらわらと全員、車から降りてくる。