崖の上:2
『……やったのは社長の娘』
『娘……? 娘がいたのか?』
『そう、産んですぐに施設に預けたそうよ。なんて言っても父親が、あの蛭川元代議士ですもの』
『蛭川って、あの……』
『そう、稀代の詐欺師と言われた税金泥棒よ。あんな人でも、娘が犯罪者の身内だってそしりを受けるぐらいなら、親のわからない子供の方がましだと考えたのか、それとも単純に仕事の邪魔になるからか、とにかく手放したの。それでも援助は続けてきたみたいね。娘の方も薄々気付いていたみたい。そりゃそうよね、たかが一アルバイト社員を、あんなふうに実家にまで連れていくなんて、普通は考えられないもの』
『生口島にか?』
『そう。あの時、たまたまなのか後をつけてきたのか知らないけど、桑原っていう新聞記者が私達に近づいてきて、取材を申し込んできたわ。取材っていうのは表向きで、本当は川西っていう県会議員への不正献金のことや、二重帳簿のことをもっと詳しく知りたいみたいだった。余談だけど、桑原っていう人、ちょうど社長の娘……雪奈のタイプだったみたいで、はじめは二人で仲良くやっていたわ。でも彼、別の意味で母親の方にばかり関心を向けるから、妬いちゃったのよ。その上、彼と母親の話を聞いてしまったのよね。お母さんが危ないと思ったんでしょ。花瓶で彼の頭を殴りつけたの。私、遺体を運ぶの手伝わされたんだから。海に投げ捨てようとした時、彼が意識を取り戻して、私の足を掴んだのよ。おかげでアクセサリーをダメにされたわ。安物だったけど、私には思い出の大切な品だったのに。腹が立ったから、その辺にあった石で殴りつけたのよ』
『……高貴な産まれのお嬢様も、今じゃただの人殺しだ。それに、駿河さんを襲わせたことだって、あんたが黒幕だっていう複数人の証言がある。もう、何もかもおしまいだ』
『平気よ、もう手は打ってあるもの……』
そこで録音は途切れた。
「あの時、僕が気を失っている間の話ですね?」
野村彩佳の顔から血の気が失せた。
「いやぁ、便利な世の中になりましたよ。携帯電話って何でもできるんですねぇ」
違う、違うと呟きながら、彩佳は地面に座り込んでしまう。孝太はそんな彼女を起き上がらせ、そうして力いっぱいその頬を張り倒した。
「石岡さん!!」
駿河は孝太に飛びかかって、その広い背中にしがみついた。
「離せ! こいつは俺が殺す!!」
彩佳は声も出せないまま地面に倒れ、鼻血を流した状態でぐったりとしている。
誰かが救急車! と叫んだ。班長が駆け寄って彼女を介抱する。
孝太は駿河よりも一回り体格が大きく、筋肉量も勝っている。しがみついているだけで精いっぱいだ。
向かいから和泉が加勢するが、怪我で弱っている今、無理はさせられない。
こんな時、日下部がいてくれれば……!
「石岡さん、ダメです!!あなたまで人殺しになってはいけない!!」
「黙れ!!」
孝太は二人の刑事の腕を振りほどき、再び彩佳の方へ向かっていく。
「どいてください!」
「断る」
聡介は彩佳を庇って厳しい眼で孝太を見つめる。しかし、頭に血が昇っている相手にはまったく無意味だったようだ。
彼は無言で聡介の襟首を掴み、軽々と放り投げてしまう。
聡さん! と和泉は父親を抱き止め、勢いのあまり二人は折り重なるようにアスファルトの地面に転がり、倒れ込んでしまう。
孝太が彩佳の上に馬乗りになり、胸ぐらを掴んで拳を振り上げる。
もう、切り札を出すしかない。
駿河は周の携帯電話を鳴らした。