崖の上:1
それから何時間ぐらい経過しただろうか。
すっかり日も暮れて街灯のない国道は、走る車さえほとんど見かけなくなった。
少し眠気を覚えた頃だった。
無線連絡が入る。『国道184号線、マルヒを確認』
『カワサキJ300、黒のライダースーツ、ナンバーは広島ち3005……二人乗りで島根方面の上り車線』
了解、と駿河は短く答えて無線を切った。
「いいか、絶対に合図をするまでは車を降りるな」
くどいほど何度も念を押して車を降りる。周は黙って頷いた。
よもや石岡孝太が周に何か危害を加えるとは思っていないが、何が起きるかわからない。
その上彼は一人ではない。
いったい誰と一緒なのだろう? まさか、高島亜由美か……?
駿河は慎重に車を降りて、暗がりに紛れて路肩を歩いた。唯一と言ってもいいドライブインの灯りを目指して。
しばらく歩くとドライブインの駐車場に見覚えのある車を発見した。和泉の車だ。
二人は東京から戻ってきていて、今もどこかで張っているのだろう。
建物の影に身を潜めて問題のバイクが通りかかるのを待つ。
来た!!
二人乗りのバイクがドライブインの駐車場に停まる。後ろに乗っていた人物が急いで店の中に入る。前に乗っているライダースーツを着た男は、ゆっくりとバイクを降りてヘルメットをとる。
「石岡さん」駿河は声をかけた。
石岡孝太はひどく驚いた顔で、それでも余裕すら感じさせる笑顔で応えた。
「なんだ。ここ、バレてたのか」
「何をしているんですか?いったい、何のつもりです?」
「何って……彼女とデートするのにも警察の許可がないといけない訳?」
孝太はバイクの鍵を振り回しながら楽しそうに言う。
「彼女……?」
「紹介するよ。たぶんすぐ戻って来るから……」
そして店から出て来たのは、野村彩佳だった。
駿河は驚きのあまりしばらく声が出なかった。
彩佳の方も驚き、それから
「葵さん、助けて!」と走り寄ろうとした。
しかしすぐに腕を孝太に掴まれ、引き戻される。
「離して、離してよ!!」
「つれないこと言うなよ。一緒に死ぬ約束したろ?」
「……石岡さん!!」
孝太は駿河に一瞥くれ、それからあたりを見回した。
「どうせそこらじゅう、警察が張り込んでるんだろ? ちょうどいいや。最期に楽しい話を聞かせてやるよ。この女は……人殺しだ」
「違う、違うのよ! こんな男の言うことを信じないで!!」
「詳しいことを聞かせてください」
彩佳の悲鳴が聞こえた。孝太が彼女の腕を後ろ手に捻じり上げたのだ。
「圭史郎を殴ったのは小倉雪奈っていう女なんだそうだ。あの高島亜由美が産んだ娘なんだってな。驚いたよ」
「助けて、葵さん!!」
「黙っていてください」思わず駿河は言った。
彩佳は顔を赤くして唇を噛む。
孝太はおかしそうに笑って、しかしすぐに表情を変えた。
「あいつ、圭史郎は……高島亜由美と川西っていう県会議員の間に公にはできない金の流れがあることを掴んでいた。でも、決してそれをネタに強請ろうと考えていた訳じゃない。宮島の再開発計画から手を引けと、そう言いたかっただけなんだ」
「嘘よ、あの男は社長を脅して来た! 私、その場にいたから知っているもの。そしたら私達の話を聞いていたあの子……雪奈が突然、花瓶をあの男の頭に振り下ろして……」
「でも、それだけでは死ななかった」
孝太は言った。
「あんた、言ったよな? 死んだと思って海に死体を捨てに行ったら、いきなり息を吹き返したって」
「知らない、私はそんなこと言っていない!!」
「だから近くにあった石で殴りつけて、海に投げ込んだ」
「知らない、知らないわ!! 私、そんなことしてないし、言ってない!!」
なんだなんだ? と、ドライブインの従業員達や、トラック運転手達が顔をのぞかせる。
良家のお嬢様であるはずの彩佳は今や、そんなことはすっかり忘れて取り乱し、大声で無罪を叫び続けている。やがて、
「証拠を見せなさいよ!!」
すると孝太はニヤリと笑って、駿河を通り越して遠くを見る。
「……和泉さん、でしたっけ?」
振り返ると、車の影から同僚の刑事が姿を見せた。
「あれから、携帯チェックしました? 何か面白いものが入っていませんでしたか?」
和泉はポケットから携帯を取り出し、
「それどころじゃありませんでしたよ、こっちは全身打撲で病院に行っていたんですからね」
言いながら操作を始める。やがて、
「あ、これかな?」
携帯電話から二人の男女の遣り取りが流れてくる。