狂言:2
「好きな女性がすぐ近くにいるのに触れられない。その上、彼女の心の中には、駿河葵という別の男がいて、全く付け入る隙もない。少しぐらい意地の悪いことをしてやろうと考えたとしても、同情の余地は充分にありますよね」
「意地の悪いこと……?」
「美咲さんの弱点は……周君。彼女にとって周君はたった一人の肉親です。仲良くしたいと願うのはごく自然で当たり前のことです。だけど周君はその事実を知らない。あくまで兄のお嫁さん、つまり義理の姉だと思っている。なぜ美咲さんが本当のことを言わないのか、僕にはわかりませんが……話が逸れました。とにかくあの姉弟を仲違いさせてやろうとか、僕なら考えてしまいますね」
「仲違い?」
「そうです。今までも何度かあったでしょう? 周君が黙って勝手に家を出て行ったりすることが。原因はすべて美咲さんに対する誤解です。一つ屋根の下にいて顔を合わせるのが気まずいから、と。そういう時、下手な言い訳や取り繕いをしないで、じっと我慢するのが美咲さんという女性です。それでも彼女にとっては辛いことでしょう。だから、落ち込んでいる美咲さんを慰めるフリをして、あわよくば一時的にでも、自分のものにしようとかね……」
聡介はやれやれ、と首を横に振り、
「しかし、仲違いって具体的にはどうするんだ?」
和泉はまだ少し痛む頬を撫でながら答える。
「周君は石岡孝太と親しい間柄のようです。おもしろくないですけど、わりと懐いているみたいで……でも、美咲さんはよりによって大好きな彼のことを人殺しなんじゃないかと疑っている。それというのも、彼には元暴走族のヘッドという立派な肩書きがあるからです。我々がまず前科者を疑うのと同じでね。だから僕も悲しいことに周君に嫌われてしまいました、ほんの一時期ですけどね」
「……そんなこともあったな」
「美咲さんが石岡氏に対して偏見を抱いている。周君にとってはそれだけで充分に、怒りの原因になるんですよ。そういった諸々を充分把握した上で、彼は美咲さんが自分のことを疑うように、いろいろパフォーマンスをしたと考えていいんじゃないでしょうか」
聡介はしばらく黙っていたが、
「なんだかしっくりこないな」
「どうしてです?」思わず和泉はムッとした。
「いかにも彰彦の考えそうなことだとは思う」
「僕が考えた訳じゃなくて、彼がそう考えたんじゃないかっていう話です」
「なんていうか、ちぐはぐなんだ」
聡介は車窓から遠くを見つめて言う。
「どういうことです?」
「彼は宮島を守る会に参加している、葵を襲った犯人を自分の手で見つけ出し、首謀者を調べ上げた。俺にはそんな男気のある真っ直ぐな男が、お前の言ったようなことをするとは思えない」
「僕が女々しくて、根性が捻じ曲がっているとでも言いたいんですか?」
敢えて否定しない父。
「……百歩譲って、聡さんの言うことが正論だとしましょう。でも、僕の考えは間違っていないと思います」
「そうだな……だけど、そんな私情の為に警察を巻き込むような真似をするか?」
「そこなんですよ、わからないのは」
和泉は苛立った時の癖で、髪をくしゃくしゃにかき回した。
そしてふと、
「復讐……」
「何だって?」
「桑原圭史郎の復讐ですよ! 我々から情報を収集するために……」