陰謀
百万ドルの夜景とはこういうことだろうか。
確かに地上60階建てビルの最上階から眺める景色は素晴らしい。だけど美咲はきっとそれほど喜ばないだろう。これらの煌めきはあくまで人工的なものだからだ。
彼女が喜ぶのは満点の星空。
手を伸ばせば届きそうな、降り注ぐようなほどの。
「……そんな顔すんなって」
石岡孝太は隣に座る女性、野村彩佳に言った。
「俺だって好きこのんでこんなことやってる訳じゃない。社長の命令なんだから仕方ないだろう?」
返事はない。
「もっと言ってやろうか? 俺だって、どうせこんな良い店で飲めるのなら、もっと愛嬌のある可愛い女の子と一緒が良かったさ。少なくとも、こんな無愛想で目も合わせてくれないような女よりはな」
「私だって、あなたなんか……!!」
孝太はわざと彩佳の肩に手を回した。びくっ、と電流が走ったかのように彼女が全身を震わせる。
「大人しくしてろ。犬が来た」
社長の指示で警察のことは『犬』という暗号を使うことになっている。
なるべく向こうに顔を見られないよう、互いの頬を近付ける。
ちなみに社長である高島亜由美はこの店にはいない。あの刑事はきっと、社長を探してここに来たのだろうが。彼女は疲れたと言ってさっさと眠りについてしまった。
「へぇ、近くで見たら案外可愛い顔してるんだな」
彩佳は身を固くして唇を噛んでいる。
背中に手を回せ、と孝太は言った。早くしろ、と耳元で脅しつける。
やがて背中に掌の温もりが伝わって来る。
和泉と名乗った刑事の視線は、さきほどからずっとこちらを捕えて離さない。
「ところで、夕方のことだけど……」
今夜の宿泊先であるこのホテルにチェックインして間もない時のことだ。
予約した部屋に入った彩佳の後を追って、孝太はフロントに嘘をついて借りた合い鍵を使い、無言で中に入った。
彼女は携帯電話で誰かと話していた。ドアの方に背を向けている。
「もうかけて来ないでくださいって、約束したでしょう?! ……えっ……? 私のことを……それは本当なの?!」
相手はなんとなく予測がつく。
「どうしてそんなことを?! え? やられたって……誰に?」
「俺だよ」
その時の彩佳の驚いた顔といったらなかった。
「電話の相手、宮島を守る会の……浜田って男だろ? あの、眉毛のないヤクザ者」
「……ど、どうして、どうやってここに入ったの?! け、警察を……!!」
「呼んでみろよ。刑事ならすぐそこまで追ってきてるだろうし、詳しい事情を話せばあんただって無傷じゃすまないだろ?」
おもしろいほどに彩佳は狼狽し、顔からみるみる血の気が引いて行く。
「あなた、いったい……?」
「俺のことなんかどうでもいい。それよりも質問に答えろ。何のつもりだ? どうして駿河さんを襲わせた?」
答えはない。
「まぁ、聞かなくてもだいたいの予想はつくけどな。さぁ、社長命令だぞ。とっとと支度しろよ。東京にいる間はカップルの真似をして警察の目をくらませるんだろ」
そんなことで警察をごまかせるとも思えない。
しかし、今は彼女の言うことを聞いておく必要がある。
ホテルの中のレストランで食事をした後は、最上階にあるバーで閉店時間まで飲むこと。孝太は真っ青な顔をしている彩佳の手を取り、部屋を出た。
普段はまず口にしないフレンチレストランに入る。
向かいの『彼女』がすっかり食欲も失せたような顔をしているので、孝太は自分の分だけ料理を注文して、一切かまわず食事を進めた。妙なカップルだと思われたことだろう。
目立つかもしれない。しかし、そんなことはどうでもいい。