ご機嫌ナナメ
最近、和泉の機嫌が悪い。
これと言って大きな事件が起きていないからだろうか。
今のうちに昇進試験の勉強をするなり、溜まっている書類仕事や領収書の精算を済ませればいいのだ。
もちろんやってはいるのだろうが、元々デスクワークの苦手な男なのだ。
しばらく放置しておいたが、あまり長期間放っておくとそれはそれで後々面倒なことになりかねない。
そこで聡介は正午になると、
「彰彦、昼飯を食いに行こう」と、和泉に声をかけた。
「もちろん、聡さんの奢りですよね? だったら回ってないお寿司がいいです」
「社食でいいだろうが」
和泉は黙って立ち上がり後をついてくる。
どうやら不機嫌の理由はいろいろありそうだ。いったい何だろう?
聡介はいつも利用している社員食堂に行こうと思ったのだが、少し歩いて商店街の方へ足を伸ばすことにした。
「今日、葵ちゃん機嫌がいいですよね?」いきなり和泉が言った。
そうだっただろうか? 彼の顔色は未だに読めない。
「そういうお前は、最近ずっと不機嫌そうじゃないか。何があったんだ?」
「……周君が……」
「どうかしたのか?」
「最近、全然連絡してくれないんです。メールしても返信してくれないし、電話かけると電源が入っていないか、電波が届かないって……」
「……は?」
聡介は息子の奇怪な返答に戸惑うばかりだった。
「ちょっと前まで、この問題がわからない、明日ここが当たるかもしれないから教えてとか、可愛いこと言ってくれてたのに……」
「夏休みだからじゃないのか?」
学生は夏休みだ。
すると和泉は眼を点にして、そっかと呟いた。
「お前、随分とあの子が気に入ったんだな」
「ええ、大好きですよ。聡さんの次ぐらいに……だから、奢ってくれますよね? お寿司じゃなくても高級な中華とか、A5ランクの和牛でもいいです」
「せいぜい、カレーかラーメンだな」
「……」
結局、いつも行く定食屋に落ち着いた。
「聡さん、夏休み取るんですか?」
「いや。俺はこないだ休みを取らせてもらったばかりだから……」
あのホスト殺しの事件が解決した後、本当に彼は休暇を取って娘と旅行に行ってしまったのであった。
初めは一週間と言っていたが結局二日しか取らなかった。
「お前こそ、たまには休みを取ってどこかに出掛けてきたらどうなんだ。家と職場の往復だけじゃつまらないだろう」
そうですねぇ~と、和泉は全然気乗りしなさそうに答えた。
が、何を思ったか急に、
「瀬戸内海の小さな島に休暇で行ったところ、嵐が来て、島全体が密室状態の中、殺人事件が起きるんですよ……推理小説にありますよね、そういうの」
こいつの頭の中には仕事のことしかないのか?
「悪くないですよね、そういうのも。あ、でも県境だと面倒だな。愛媛県警の管轄になったら活躍できない」
「彰彦……」
「なんです?」
「何て言ったっけな、あの……ホテルの宴会場や何かでやる、出会い系の……」
「婚活パーティーですか?」
「そう、それだ。お前も一度、何も言わずに行って来い」
もしかして新しい伴侶になってくれそうな女性に出会えたら、少しはこの男の仕事中毒も緩和されるのではないだろうか。
「聡さんが一緒なら行きますよ」
和泉は割り箸の入っていた紙袋を器用に折り畳んで箸置きにした。
「何言ってるんだ、俺は関係……」
「バツイチはお互い様じゃないですか。それに、一口に婚活パーティーって言っても年齢制限があるんですよ?」
「そうなのか……?」
「もっとも中高年専用のそういうパーティーに行くと、保険金目当てで男に毒を飲ませるような怖いオバさんに出会う危険性もありますけどね」
聡介は泣きたくなって思わず手で顔を覆った。
「ああでも、たまにはどこかに旅行でも行きたいですよね。もっとも、金田一耕助は休養の為に行った先々で、必ず事件に巻き込まれるんですよ」
「すまん、彰彦……俺が悪かった……」
どうして自分が謝っているんだろう?
なんだか納得がいかないが、聡介は他に言うことを見つけられなかった。