待つのも仕事のうち
一通りのおさらいを終えて、一度、香油を混ぜたお湯で体を拭き上げることにした。
アルミナは私の肌を撫でまわしながら言う。
「さっきも言ったけれど、もう少し肌の手入れを念入りにしなさい。あとで女官長にも言っておくわ」
「わかりました。大公様がお喜びになるようにがんばります」
棒読みで返事をしたらアルミナが眉をグググッと寄せた。あ、不機嫌になった。
「ね、エルマ。大公様をご機嫌にさせるのって難しいのよ。甘えすぎてもうっとうしがるし、媚びてくる女はつまらないと言うのに、拒んで閉ざす娘は面倒くさがるし、反応が面白くないと放り出すし」
うわぁ、なにそれ、めんどくさい。
そう思ったのが顔に出たらしく、彼女は私の顎をつかんで持ち上げ、指で唇を撫でた。そしてにっこりといい笑顔で言った。
「今はあなたを大変お気に召しているの。大公様のご機嫌がよろしいから皆とても助かっているわ。私ほんとはあなたが一番最初にぐずぐず泣いていた時は、きっともう呼ばれないだろうと思っていたんだけど、予想が外れたわ」
はい。私も予想外でした。
「ねぇ、エルマ。あなたが心の中で誰を想っていても関係ない。むしろそういう娘のほうがお好きなのよ。だからあなたの態度は正直ちょっと気にくわないけど、もうそのままでいいわ。無理に何かしてくれなくていい。大公様の気が変わっても困るから。大公様がご機嫌でいらっしゃらないと、みんなが困るのよ。政務を放り出されたら困るの。大公様がご自分のお役目を放り出されたら困るの」
「さっきからおっしゃってるそれ、本当なんですか」
「何が?」
「私がお相手したら大公殿下がご機嫌で、だから皆が助かってるって」
「だからずっとそう言っているでしょ」
「本当に? 私ってもしかしてけっこう役に立ってます?」
「だから言ってるのよ。あなたはよくやってるって」
女官が当然のように言うけれど、ああそうなんだと、なんかすごく嬉しくて震えそう。
寝所に侍る女になって、自分がただの肉の塊みたいに思っていたのだけど、ちゃんと役に立っていたのか。大公殿下のご機嫌をよくするために、って女官長に何度も言われたのはそういうことなのか。だからあれだけご褒美が来るのか。
望まれたならば、最大の努力を。
そうでした。お母様。
忘れてた。
「私、がんばります!」
ついつい力を込めて言うと、なぜか彼女は盛大に眉を寄せてため息をつき、大きな頭を振った。
「肌のお手入れは頑張って欲しいところだけど、あとは余計なことはしなくていいって言ってるのに!ご寵愛を受けた娘がもっとお気を引こうといろいろやらかすのをずいぶん見てきたわ。ほぼ確実に悪い結果になるわ。それにあなたも辛いわよ、後が」
「後??」
「大公様があなたに飽きてしまわれた後ってことよ!」
やけくそな感じで言われて、ああと納得する。
「あ~、たしかにそうですね」
「あなたねぇ、まさかずっと大公様からご寵愛を受けられるとか思ってるの? 自分だけは寵を失わないとでも?」
はぁっとアルミナが大きくため息をついた。
「捨てられた娘に、何故どうしてって泣かれると私もちょっと辛いのよ。どうして、どうして、って言われても大公様が他の娘をお気に召したからという以外にないんですもの。さて、エルマ。これを着て」
冷たい言い方をしながら、丁寧な手つきで彼女は、上質な亜麻の夜着をふわりと着せてくる。
とりあえず今は、大公殿下をご機嫌にするために、お越しを待つ。
こういうとき、あの朝を思い出す。
フレイの葬儀の翌朝。
起きたら誰もいなかった。
持っていたはずのものをすべて失った、あの朝。
あんなふうに呆然と立ち尽くして何もできないような私に、戻りたくない。
失う日のことを考えておかなくてはならない。
でも、望まれるうちは精一杯のことをしたい。
「まぁ、でも、あなたは側室候補に入っているみたいだから」
アルミナが呟くように漏らした言葉に硬直する。
「え・・・・・・?」
反芻して頭のなかで噛み砕いていると、そこへ扉が叩かれた。
前触れが来たのだ。




