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思い出は墓の下に

気持ち悪い。

気持ち悪い

気持ち悪い。


口の中を蹂躙されるのは気持ちが悪い。

ああ、どうしよう。

大公殿下に口の中をなぶられるのだけはどうしても慣れない。おぞけがたって、ひたすら不快感と戦っている。身体の方は方は好き勝手にされてもけっこう耐えられるのに。


なぜか毎晩大公殿下に抱かれている。


女好きだのご乱行だのと言われても、大公殿下の女の扱いは普通に優しいと思う。

「いい子だ、もう少し付き合っておくれ」

「もう少しだから、いい子だ」

なんだかあやすように抱きしめてくることも多い。まるで嫌なことに我慢して付き合わせていることがわかっているかのように、ゆっくりと余裕で女体の隅々を愛でて陥落させてくる。奥の奥までねじこまれるころには、私は息も絶え絶えになっている。


フレイのほうがよっぽど私にいろいろやってくれた。

私のことを好きすぎてどうかしていたフレイに比べて、大公殿下はお優しい。


優しく優しく扱って「望みを言ってごらん」と言い出す。

何が欲しい、何が望みだ、望むものを言え。

そう言い出したら「大公殿下のご機嫌が良い」と周りは判断するらしい。

おかげで私の新しい部屋は、大公殿下からの贈り物で溢れている。私はそのたびに何を望んだらいいの考えなくてはならない。望みを言わないと、女官たちが早く言えといつまでも付きまとってくる。果てはファティマ妃に呼び出される。


なんだろう。

側室の方々が衣装道楽に走ったり、塔を建てさせたりした理由がわかった気がする。

要するに大公宮には富が溢れていて、大公殿下は好意をひたすら贈り物によって表す。


新しい靴だのドレスだのを一通り貰ってしまったので、母の縫ってくれた服を取り戻すことにした。

大公宮に来たときに取り上げられた服は、ちゃんとどこかにしまわれていたらしく、すぐに持ってきてくれた。ジョシュアが。

捨てられちゃったんだろうとほとんど諦めていただけに、涙が出るほど嬉しい。

ついでにジョシュアに会えて嬉しい。


「やっぱり広いね。うらやましい。私と取り替えて!」

ジョシュアが部屋を見回して言った。うらやましい、と声に出してはいるけれど、そこに暗い響きはなくて純粋に感嘆しているところが彼女らしい。最初はわからなかったけれど、取り替えて、というのはジョシュアの一番の誉め言葉だ。

クスクス笑いながら彼女は衣装箱の中に母の服を丁寧に入れてくれる。

「エルマはこういうの、大切にする人なんだね」

「え?」

「大公宮に来たときの持ち物なんか、みんな捨てるし、忘れるもの。思い出したくないって人もいるし」

「それは特別です。母の縫ってくれた服なんです」

「へぇ、お母さん! いいね」

それだけ言って、ジョシュアはまた部屋を見渡した。


「鍵つきの衣装箱がこんなにあると、壮観だね」

「ほとんど空なんですけどね」

新しい部屋は今までとそんなに変わらないつくりで、ただし4人部屋ではなくて、部屋の中央にちょっとだけ大きめの寝台が一つだけ。一人で寝起きするのは寂しいくらいだけど、毎晩大公殿下に呼ばれているから、夜はここで眠らない。昼間の仮眠用になってる。

ジョシュアが言うように、4人共同のメイド部屋と比べて感動するのは鍵つきの衣装箱が5つも置かれていること。今まで私物なんて櫛くらいしかだったけど、今度から自分のものをここに入れていいのだ。この部屋に来てまずはじめに衣装箱を開けて、ファティマ妃からいただいたご褒美、つまり腕輪を置いた。嬉しすぎて、衣装箱の鍵を回したときには身悶えしたくらいだ。


「何言ってんの。すぐにどの衣装箱も一杯になるよ」

「どうですかね。またすぐに皆さんのところに戻るかもしれませんし」

「もう、そんなこと言わないでよ。私は、エルマが戻ってきてくれたらちょっと嬉しいけど」

「ありがとうございます。衣装箱の中に防寒用の長衣があって、故郷の母に送ろうかと思ってるんです。それに布も。あと、弟にも贈りたいものがあるんです」

「そうなんだ」

ジョシュアが笑う。

「あ、でも忠告。弟さんの話はしないほうがいい」

「え? どうして?」

「なんかそういうの、嫌がるんだよね。よくわかんないけど」

声を潜めるようにジョシュアが言った。たしかにファティマ妃もエルマが使うお金じゃないならあげないとかなんとか、親兄弟にお金を贈ることを嫌がっていた。

「大公殿下のお相手をしたメイドの望みって、結構なんでも叶えてくれるんだけど、そういう方向でお願いしたら大公宮から追い出されるって噂もある。現に、この間一人追い出されたもの」

「え、そうなんですか?」

「うん。お兄さんが詐欺事件に巻き込まれて捕らえられたのを釈放して欲しいって、大公殿下にお願いしたみたい。あ、エルマが行方不明になってた時ね」

「あ・・・・・・はい」

「お兄さんの事件は大公殿下が再調査をお命じになったみたいだけど、その子はメイドをやめて出ていったとか追い出されたとかで、いなくなっちゃったんだよね。なんかよくわかんないんだけど」

「やめたのと追い出されたのでは、大分違うんじゃ・・・・・・」

「そうなんだけど、よくわかんないから」

うん、わたしもよくわかんない。


大広間で一緒に並んだ美少女のことを思い出した。

もしかして、あの子のことだろうか。


「あのさ、大公宮ではほんとに、親とか兄弟の話はしないほうがいいかなって思う」

ジョシュアが少し声を落としていった。

「帰るところが無い子も多いから。私もそんな感じなんだけど」

「わかりました。教えてくれてありがとうございます。」

「あのさ、私のことはともかくね、エルマ、あんまり役に立たないけど、私が力を貸せるときもあるかもしれないから。元気だして。何だったらエルマの世話係に立候補しちゃうから」

ジョシュアが私の髪をなでてきた。

「元気ない・・・・・・ですか? 私」

今の私ってば、大公殿下の寵愛を一身に受けて、何でも願いが叶っちゃうメイドなんだけど。

「うん。あんまり」

そうかな。

ジョシュアがまた髪をなでてくれた。

「嫌なお客様の接待に当たってる子と同じ顔してる、かな」

くらっときた。

ジョシュアもしまったという顔になった。

「あ~、それを言っちゃおしまいだよね。ごめん」

「いえ、いいんです。その、もうちょっとうまくできると思ってて、その、なんていうか、違うんです。別に嫌だとかじゃなくて」

なんと言っていいかわからなくなって言葉を濁していると、ジョシュアがぽそっと言った。

「ねぇ。エルマってさ、本当は結婚してるって噂で聞いたんだけど」

「え?」

「本当なの? 引き離されたの? その人、忘れられない?」

「え、違いますよ。夫はもういないんです。結婚してすぐに亡くなったんです。事故で」

「死んじゃったの? 事故?! どういう事故??!」

ジョシュアの目が真ん丸になって、勝手に結論を出しそうになったので慌てた。

「あ、いえ、違うんです! 大公宮に来たのは、夫とは関係ないんです。その、気遣ってくれてありがとうございます」

「そっか。変なこと聞いてごめんね。じゃあ忘れられないよね」

「いえほんとに夫のことは何でもないんです」

「ほんと、ごめんね」

ジョシュアが謝って帰っていった。


部屋に一人残って、急に泣きたい気分になる。


ああ、まただ。

またフレイが墓の下から甦ってくる。

大公殿下に抱かれるたびにフレイのことを思い出して、この頃の私はおかしくなりそうになってる。


「君が誰を想っていようといいんだよ。そんなのわかってるからね」


そんなふうに言うフレイは苛烈で強引で傲慢だった。


「そんなことで僕の申し出を断るというの? 僕がこんなに望んでいるのに、君は叶いもしない恋を盾に逃げようというの?」


私の恋心が成就するはずがないことを知っていて、一方的に私を妻にすることを決めてしまった。


「君は僕の妻になるんだ。君を僕だけのものにしたい」

「君は僕のものだってことをみんなに知らせてやりたいけれど、他の誰にも見せたくないと思ったりもするんだよね」

「僕を見て。僕だけを見てほしいんだ。君は僕のものだ」


フレイはいつも絡みつくように熱烈だった。気を失うほどのこともたくさんされて、身体中に所有の証を刻もうとされたりした。でも、心から辛いと感じたことはない。突然噛みつくように口付けてきても、唇が腫れるほど貪りあっていても、気持ち悪いと感じたことはなかった。

私はフレイをちゃんと愛してた。

何をされても許せた。

フレイがもっと長く生きてくれたら、私を離さないでくれたら、私のひそかな恋心はちゃんと埋葬されて消えていたはずだ。ミロードへの恋心なんてものは、フレイの苛烈な炎でいつか焼き尽くされて灰すら残らなかったはずだ。


だいたいフレイならば私以上の美女だって王都で探せた。世襲代官のムスター家にふさわしい名家の女性を妻に迎えることもできた。妻に徴税官の娘を選ぶなんて絶対に間違っていた。反対を押しきるのにフレイは3年もかかって、ようやく結婚して、たった半年で私を残してあの世へいってしまった。


離れないで、そばにいて、と繰り返していたフレイの方が私から離れて遠くへ行ってしまった。


だから私は別にもうフレイを愛さなくてもいい。


フレイのことは墓の下に埋めた。もう出てこないでね、と本気で願った。だってフレイはもう死んでしまったんだから。死者は生きているものを支配できない。私はまた、ミロードへの恋心を胸に生きると決めた。


絡みついて縛り付けるようだったフレイと違って、大公殿下は余裕があって手慣れていて優しい。

だから私も心を込めてお返しをする。私の身体はちゃんと愛でられた分だけ応えている。

お気に召したというならばその間は応えたい。


でも。

口だけは。

気持ち悪くて気持ち悪くて。

フレイが甦ってくる。


フレイを墓の下に戻そうとすると、今度は美貌の大男の秀麗な顔が浮かんでくる。亜麻糸のような髪がはらりと垂れて、たくましい両腕が私を抱きしめる妄想に苦しむ。間違ってる。こんなの間違ってる。


どうしよう。

でも行かなくては。


もうすぐ日が落ちる。大公殿下の寝室に参上する時間が来た。




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