よくわかんないです
「本殿の外? うーん、私はあんまり知らない」
ジョシュアが着替えながら言う。
今日は私も彼女も早めに上がることが許されて、まだ部屋は灯をともさなくても明るい。
「外に出たことはあるんだけど、私、馬車で移動するのを許されてるから」
話しながらジョシュアも私もさっさと寝具に潜り込んだ。あ、シーツが新しくなっている。洗い立てのリネンのちょっとごわついた清潔さが気持ちいい。
「あ、許された人しか馬車は使えないんですね」
「そうよ」
ジョシュアは寝具にもぐりこんだまま答えてきた。
「でも、歩くんでもいいので、外に出てみたいです。外にいろいろあるんですよね? 果樹園とか薬草園とか、珍しい動物を飼ってる館もあるって、リンジーさんが言ってました」
「そうみたい。でも外に何があるかなんかいちいち覚えないよ。興味ないし。リンジーはけっこう詳しいよね、そういうの。リンジーはさ、馬車を使えないの。だから歩いて奥方様のところにお使いで行くんだよね。あれ、ものすごく大変なんだよね。行って帰ってきたら1日終わっちゃう」
「奥方様?」
誰の奥方様のこと?
私が首をかしげたのを見て、ジョシュアがちょっと慌てたような顔をしてごまかすように言った。
「あ~、えーと、みんなそう呼んでるの。大公殿下のご側室なんだけど」
「ご側室を奥方様・・・・・・?」
「そうなんだよねぇ。私もよくわかんないんだけど。大公宮の一番北側にね、ものすごく大きい館があって、そこに住んでるの。こっちにはめったに出てこないんだよね」
「やっぱり大公殿下がご寵愛のかたなんですか?」
本殿に来ない側室・・・・・・ってことは、ファティマ妃とは敵対してるのかな。一番北側に大きい館って、いったいどんな人なのだろう。想像してみようと思ったけれど、私には思ったけれど大公宮の広さがそもそもわかってない。この本殿だって、着いた日に入り口を見ただけで、外観はよく知らないんだよね。本殿全体の広さなんてもう考えたくもない。
私たちメイドが寝起きするメイド部屋は、本殿の中でも男子禁制。いわゆる後宮だ。
「私、ほんとによく知らないの」
質問ばかりの私に、ジョシュアはちょっと怒ったように言う。
「ほとんどの子が噂しか知らない。リンジーに聞いても、なんかよくわかんない説明するし。たぶん、リンジーも奥方様本人には会ったことないんだよ。あ、でもね。怖い人かも」
「怖いって・・・・・・どんな?」
「私が聞いた話だと、大公殿下のお気に入りになったメイドが、思い上がって、うっかり奥方様を悪く言ったら殺されたとかっていうの」
うわ、なにそれ。
それだけ大公殿下に愛されてるってことだよね。気を付けよう。
ブルッと震え上がる私にジョシュアはけらけら笑った。
「悪く言うもなにも、ほんとに存在するのかっていう感じ」
「でもご側室なんでしょう」
「奥方様は側室の中でも別格って言う人もいるんだけど、新年の挨拶とかにも来ないし。姫様がご誕生の時にもお祝いの場にいなかったの。大公殿下にだけ挨拶してすぐ帰っちゃったんだって」
「すごいですね」
「大公殿下より年上だっていう話だし」
「え?!」
つい声に出して驚いてしまった。50歳近い大公殿下より年上って、もう初老の女性ということだ。ジョシュアがふふんと笑った。
「うん。まぁ、そういう話よ。ご寵愛とかと違うわけ。どうせ会うこともない人なら、どうでもいいよね」
「まぁ、そうですね」
ご側室の方々なんて、そんなに係わり合いになることもない。フーライン様みたいなのが特殊なだけで、と思ったらどうもジョシュアもその名前を脳裏に浮かべたらしい。
「って言うか、あれでしょ、フーライン様がメイド貸して~って来たんでしょ」
ニヤニヤして言う。
「フーライン様のところを手伝うの、面白いんだけど疲れるんだよね~。あとで大公妃殿下にものすごく詳しく報告させられるから。どんな人が何人くらい来てたかとか、なにか見なかったかとか」
うわ~、そういうのは確かに勘弁だな~。
仲良さそうに密談してた二人を思い出して、またまたブルッときた。そう言えばフーライン様がなにか失言っぽいことをしてたけど、そのあとはまた、ファティマ妃と普通に話してたんだよね。私が大公殿下の好みだとか言ってた・・・・・・?
「フーライン様はね、あの光り物キラキラとかに惑わされちゃダメなのよ。ものすごい遣り手なんだって話よ。事業もいろいろやってるし」
なにそれ?
事業をやるってどういうこと?
ご側室って聞いたのに。
「フーライン様ってもとはメイドだったんだって。この部屋の二つくらいとなりの部屋を使ってたんだって聞いたよ。ファティマ様がお輿入れのときに、館をもらって出ていったんだっていうし、要はさ〜、追い出されたっていうことよね」
私は理解が追い付けずに、目をぱちぱちしながら頭のなかで考えた。もとは私たちと同じメイド。追い出された? 館をもらったご側室って、追い出されたってことで? で、事業をやってる遣り手。
なんかすごい話っぽいんだけど、えーと、どういうこと?
「えーと、えーと、事業をやってるっていうのは、どういうことなんですか?」
「さぁ、わかんない」
「メイドを借りるのも事業のためなんですか?」
「そうなんじゃないの。よくわかんないけど、いろんな人が来てて面白いよ」
ジョシュアの答えが、かなり投げやりになってきた。
「だからさ、そういうのリンジーに聞いてよ」
ジョシュアは面倒くさいと明らかに態度で示して、今日は疲れたんだよね、と言った。なんかいやな感じのお客様が相手だったから。いっぱい触られたし。
ボソッ、ボソッ、とらしくない小さい声で言う。
「ごめんなさい」
私は小さくなって謝った。そして、ふと空っぽのリンジーのベッドをつい見てしまう。部屋はもう夕闇が押し寄せて、そろそろ夜だ。
今日はリンジーは戻らないのかもしれない。
胸の深いところでちょっとだけ何かがきしむような気がした。だから私は、顔を上げた。
「ジョシュアさん、ちょっとうつ伏せになってください」
「は?」
「首筋を揉んであげます」
「は?」
ジョシュアが少し起き上がって、薄暗闇の中でこちらを見てきた。
あれ? 首を揉むって言うよね? 知らないのかな?
そう言えば、亡くなった夫も最初驚いてた。母から教わったんだけど、あんまり一般的じゃないの?
それでも素直にジョシュアがうつ伏せになってくれたので、私はその脇に腰かけた。
手探りで首筋に手を触れる。
あ、凝ってる。
首筋の下の方、肩の後ろに手を当てて、親指でググッと押す。
「はぁっ、きもちいい~、なにこれ~」
「母から教わったんです。疲れたと言っているときに、父や母にもしてあげました」
「うわぁ、いいっ、これ、いいっ!」
ぶわっぶわっと途切れがちの声があがって、私は嬉しくなる。少しずつ首へくびへの上の方へずらしながら押していく。
「がひゃっ、痛い、あ、やめないで」
「ごめんなさい、強く押しすぎました」
「違う、大丈夫だから、ほんとやめないで。もっとやって」
丁寧に探りながら押していく。
「あ、なんか頭の上の方がぎゅってなった! 目の奥もぎゅーんとするね」
「ええ、疲れがとれると思います」
「ありがとうっ! ね、あとで教えて! 私もエルマにしてあげるから!」
「ありがとうございます」
「あ~、なんかよく眠れそう」
「良かったです」
いつもの快活な雰囲気を取り戻しているジョシュアに、また嬉しくなった。
父も母も、弟も夫フレイも、首筋を揉んであげると喜んでくれたんだよね。みんないつも頑張っていて、首筋に触れるといつもガッチガチに凝っていた。それを思い出すと、なんだか急に変な寂しさが胸に込み上げてきた。
母はまた、依頼を目一杯引き受けて、無理をしてたりしないだろうか。
王都で勘定官になるべく勉強している弟は、元気だろうか。