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数学とは、実に難解なものだと僕は思う。
そう思っているのは僕だけではない。世界中で数学を学ぶ子供達もそう思っているはずだ。
点Pはなぜ動くのか、なぜ太郎は忘れ物をして出かけるのか、なぜ兄弟で違う時間に家を出るのか、なぜ池の周りを走るのか、など、言い出したらキリがないくらいに数学への不満はある。
と、いうわけで、我が姉の美由に質問してみた。
「え?そりやぁあんた、数学の文章題とかてとかはあくまで仮定として言ってんのよ?現実問題で数学は定義してないの。わかる?」
「は、はぁ…」
有名大学はみんなこんな感じなのかな…。なんかもう常日頃合コンやってるイメージあったんだけどな…。軽く大学行く気うせたかもしれない。
「…そういや姉ちゃんは合コンとか行かないの?」
自分の目線より約20cm視線を上げてやっと視線がかち合う美由に問いかける。
「へ?いやぁ合コンは別に私には必要ないし…」
「ふぅん」
「なによ」
「いや、合コンしなくてもモテるんだなーって」
「ま、まあね、そりゃあ私美人だし?」
そういう風に堂々と自分のことを美人と言えるのはすごいことだと思う。現実美由は美人だし、やや男勝り、というか活発な部分もあるので男子から見れば完璧だろう。
しかし、美由は今まで一度も自分の目の前で電話が震えたことはないし、チラッと視界に入ったメール受信画面にも、美由の幼なじみである女性と後は変な迷惑メールくらいで男性らしき痕跡はない。
だからと言ってモテていないとは言わない。最近はメールに変わる別のコミュニケーションツールだってある訳だし、メールは削除もできるし、電話だってこの時間は無理と相手に言っておけば僕の目の前で電話が震えるという事は防げるはずだ。
そんな事を考えていても仕方ないので美由が買ってきた問題集(数学)の、問題をノートに書き写し、解答を書いていく。一年の問題集だから割とスラスラ進む。
美由が堂々と高校一年の問題集を買ってきた時は少し焦ったが、改めて考えてみると、僕の苦手部分を洗い出そうとしているのかもしれない。さすがせんせいを志すだけある。
そんな事を考える余裕を持ちながら、問題集の2ページをサクッと片付ける。そして美由にノートを手渡す。
「あいよ」と言いすらすらとノートを眺め、答えと照らし合わせ、赤ペンを走らせる美由をぼーっと眺めながら、改めて美人だなーと感心する。
薄く照らされた夜のような色を放つ黒色の髪の毛の合間から見えるのは綺麗な色をした黒の双眸、スッとした鼻すじの下にはツヤっとした艶かしさを感じるピンクの唇、軽く口笛を吹いているので口がおちょぼ口になっていて余計艶かしい。
そしてその美しい顔をさらに色付けるかのごとく装備した2つの脂肪の塊。日頃女子とは話さないので大きいか小さいかは分からないが、小さくない事だけはわかる。
何分そうしていただろうか。美由は答え合わせを終えたらしく、僕にノートをサーっと机の上を滑らせ渡してくる。僕がそれを難なく止めると、「よしっ!」と軽くガッツポーズを決める。見た目の割には案外子供っぽいので僕の方がじつは賢いんじゃないかと思うが全くそんな事はない。
帰ってきたノートを見ると、可もなく不可もなく、正解をベースとし、所々に転々と不正解が交じっていた。不正解した解答の横には、細かいアドバイスが一問一問に赤ペンで書かれていて、いかに丁寧にやってくれているかがわかる。
ここまでやるかと視線を美由の方に向けると美由は、頬杖を突き、にこやかにこちらを見ていた。
そのあまりにも大人っぽい姿にドキッとしてしまう。
僕は照れ隠しと言わんばかりに盛大に溜息をついた。
「直しめんどくさいな…」
「勉強の真髄は直しにあるんだよ」
え?と美由の方を見やる。
「できる問題なんて正直やらなくてもいいんだよ」
「じゃあなんでできる問題でもやるのさ」
「できないところを見つけるため。ろ過みたいなものだよ。見つけたいもののために、あえて全部やってピンポイントでそれを見つけるんだよ、そして、見つかったものを極めていく。こうしていけば、やがては全部できる問題になるんだよ、わかる?」
「まあ一応は…」
「まあ最初はそんなもんだよねぇ、ま、いつかわかるよ、このやり方の正しさがね」
「へぇ、そりゃ楽しみだ」
「期待しちゃっていいよ〜?」
そう言い無邪気に笑う美由を見て、子供っぽいなぁと思うと同時に、やっぱ賢いなぁと改めて実感した。
「じゃあ後は現国と古典と数学1問題集をそれぞれ4ページずつ進めておくこと、これは来週までの宿題。明日はその4ページ後から進めていくからね」
「あーい」
「うん、じゃあ今日はここまで!」
「あざっしたー」
そう言い僕は筆記用具をまとめ、消しゴムのクズをゴミ箱に捨て、問題集を取り立ち上がり部屋に戻ろうと立ち上がる。
「あっ、ねぇねぇ稔?」
「?」
「一緒に晩御飯の買い出しに行かない?」
「いいよ、姉ちゃん一人で行ってきてよ」
「えー、最近2人で出掛けてないじゃん」
「別にいいじゃんか」
「だめ!たまには家族で出かけるのもいいもんだよ?」
これ以上なにを言っても聞かないと確信した僕は、ぐしぐしと頭をかき、「わかったよ」と言い机の上に放っていた財布を手に取りポケットに突っ込む。
美由は「ありがとー」と言いカーデガンを羽織って、行こうと玄関へと歩いて行った。
僕は、美由の頼りない背中を追った。