表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/6

クレス・スタンノートの苦労(Ⅱ)

 《Ⅵ》


「さて、私はこれから町中を見て回ってきますが、フォルテ様はいかがなさいますか?」


 朝食を頂き、簡単に身支度を済ませたあと、いまだ眠そうなフォルテ様にそう問いかけた。


「う~……一緒に、行くわ」


 すると、どこか不満そうな眼差しを向けられてしまった。


「わ、分かりました」


 そうして私はフォルテ様を共に調査を開始する。




 <ルード>と云うこの町は王都から近い事もあり、比較的治安も良く、更には戦火にも巻き込まれたことの無いのどかな場所だ。


 見晴らしの良い平地に、近くには小規模ながら森があり川もある。上質な葡萄酒を特産としており、国内では小規模な農村のひとつだ。


 そして私が行う調査とは、そんなたいした事をするわけでは無い。


 町民の話を聞き異変がないか、最近変わった人物が訪れていないか等と聞いてまわる程度のもの。


 そもそもこの町は昔からグランスワール王国の管理地であり、その恩恵を多大に受けている場所である。流石に小さな不満はあるかも知れないが、大きな問題は無い筈だ。




 外へ出ると昨日と同様に、柔らかな陽射しが周囲に満ちていた。<精霊学>で云う所の<四大精霊>のひとつである、サラマンデルの恵みに対し胸の内で感謝を捧げた。


 魔王がもといた異世界の事までは分からぬが、この世界の森羅万象、全てのものに精霊は宿っているとされる。


 今から約七百年前、魔法薬剤師(マジック・ファーマシスト)の第一人者、そして<精霊学>の父とも呼ばれし<パラケルスス>と言う男が記した一冊の書物【妖精の書】。


 火を司るサラマンデル。


 水を司るニンフ。


 風を司るシルフ。


 大地を司るノーム。


 その書物には、上記の<四大精霊>がこの世界を創造したと記されている。


 宿屋を出て少し歩き始めた頃、前から(とう)のバスケットを持った若い娘が歩いてくるのが見えた。


 特に急いでいる様子でもないため、早速話を聞いてみる。


「すいません、少しばかり良いでしょうか」


「な、何でしょうか?」


 少し驚かれたようだが話は可能なようで、内心で胸を撫で下ろす。やはり調査の最初から失敗はしたくはない。


「私は旅の者で名はクレスといいます。二、三尋ねたい事があるのですが、少々お時間を頂いてよろしいでしょうか」


 そう、娘の純朴そうな瞳を見詰めて言葉にした。すると直ぐに娘はうつ向き、視線を逸らされてしまう。


「は……はいっ、わ、私で、よ、良ければっ!!」


「それは良かった。立ち話もなんですので、差し支えなければあちらの木陰に移動しましょう」


「は、はいっ」


 私が先導して歩き出すと、若い娘はバスケットの持ち手を両手で握り締め後を着いてくる。


「さ、こちらへとどうぞ」


 枝を大きく広げた広葉樹の下につき、娘へと手を差し出す。差し出された手をおそるおそるといった様子で手に取り、私のエスコートを受けながら娘は木陰へと腰を下ろす。


 それを確認し私も距離を空けて腰を下ろすと、今まで黙ってついてきていたフォルテ様は私の直ぐ隣へと座った。


「あの、そちらは……?」


 すると娘はいまフォルテ様の存在に気付いたのか、その容姿に驚きながらも声を出す。


「この子は私の娘でして、一緒に旅をしています」


「そうなんですね……あの、奥さんは……?」


 意外と立ち入った質問をしてくるのだな。


「妻には先立たれまして、今は娘と私の二人家族です」


 あらかじめ決めておいた解答を話すと、娘はサッと頬を赤らめ、胸をおさえながら再び視線をそらしてしまった。


「そ、そうですか……」


 そして身につけていた絹のエプロンをキュッとつかみ、落ち着かなさそうに身を揺らす。


 フム……こちらも同じように質問するのがマナーなのか?


「失礼ですが、恋人はいらっしゃるんですか?」


 流石に年齢的には結婚をしていそうにないので、無難に恋人としておいた。


 そして娘はその質問に対し首を勢い良く左右に振ると、慌てたようにこちらへ身を乗り出し口を開く。


「私、こ、恋人なんて、いませんっ」


「そ、そうですか」


 この質問は禁句だったのだろうか……まるで熟れた果実のように顔を赤らめてしまった。


 驚き身を引いた私を見て、娘は上体を戻し顔を伏せる。




 さて、この状態からどうやって話を繋げようと考えていると、娘が先に話しかけてきた。


「あ、あの、これは私が焼いたパンです。良かったらおひとつどうぞ!」


 持っていたバスケットが、目の前へと差し出された。


 中には幾つものパンが入っており、折角の好意を無下にあしらうことも出来ず、お礼を言い手を伸ばす。パンは仄かに暖かく、そのまま口に運ぶ。


「うむ、上手い」


 パッと娘の顔が華やいだ。小麦の甘味を口の中に感じつつ、直ぐに胃袋へと納める。


「ご馳走さま。毎日でも食べたいくらい美味しいパンでした」


 純粋な感想を伝えると、娘はとたんに挙動不審になってしまった。




 そして娘は手をパタパタと振り、「そんな、まだ会ったばかりですし」と呟く。


 更には真っ赤となった頬を両手で抑えながら、「物事には順序というものが……ですが、その……」と早口に捲し立てられてしまった。




 突然あわただしく動きまわる娘の様子に目を白黒させていると、隣に座るフォルテ様にクイッと服を引かれる。


「すいません、急用を思い出してしまいました」


 フォルテ様は淡々とこちらの様子を意に返さずに、そう言葉にする。そして直ぐさま立ち上がり、私の腕を引いて歩き出してしまった。


 その有無を言わせぬ様子に戸惑いつつも、なんとか娘に別れの挨拶を告げてその場を後にする。




 そのまま娘の視線を背中に感じながら、腕を引かれ続けること数分。フォルテ様は腕を放すと、どこか重々しく溜め息を吐き私の顔を睨み付けた。


「クレス…………あなた、ずいぶんと女性の扱いに手慣れているのね」


「……そうでしょうか??」


 長年アルト様のお側にお仕えしていた為か、日常の動作として染み込んでいるのかもしれない。


 普段の生活では不都合は無く、今まで気にはしていなかった旨を告げると、フォルテ様にことさら白い目でみられてしまった。


 そして大きく溜め息を吐き、「御母様の言ってた意味がやっと分かったわ……」と、何やら意味深なことを呟やかれた。




 そう言えば以前にも、同じ様な事を言われた記憶がある。確かアレは……そう、執事長の娘ソニア・シュラザートに忠告されたのだった。


 何をどう勘違いしたかは知らないが、私は異性から好意を持たれやすいらしく、身の振り方を気を付けて欲しいとの事だ。


 あまりに必死な様子に、反論も出来ずにただ頷くしか無かったが…………正直、どこをどう勘違いしたんだと呆れてしまう。


 そもそもな話、いつ命を落としてしまうかも分からぬ私と、恋仲になろうという異性は少ない筈だ。


 ましてや私は騎士団長を務め、ことさら命を落としやすい身の上である。剣一筋に生きてきた私と居ても面白くも何ともないであろう。




 再びその旨をフォルテ様に伝えると、顔を手で覆い「まさか……ソニアまで…………」と謎の呟きを漏らした。


 ちなみにソニア・シュラザートは、二十歳という若さながらにグランスワール国のメイド長補佐を務める優秀な人材である。




 フォルテ様は眉根を寄せ、苦々しい表情で口を開く。


「クレス、極力調査は男性の方を中心としましょう」


「ですが……それですと十分な調査とは言えませんが?」


「はぁ……別にそれぐらいは大丈夫よ。(別に、御母様も半分思い付きで言ったようなもんだったし……)」


 後半は小さい声で聞き取れ無かった。


「いいえ、なりません。いくら簡単な調査と言え、それを蔑ろにして良い筈がない。まして私は誉れ高きグランスワール王国の騎士団長を務める身、どのような任務も忠実にこなしてみせます」


 我が誇りにかけてそう宣言すると、何故かフォルテ様は怨めしそうに私を見詰めてきた。


 そしてボソボソと「なんで…………真面目…………バカ……」と呟きが断片的に聞こえてきた。


 任務は任務、どう言われようとも我が信念に反する訳にはいかない。




 結局、先程の町娘への調査は失敗に終わってしまったので、次こそは成功させなければと意気込む。


「それでは、次の村人を探しに行きましょう」


 いまだ怨めしそうに私を見詰めてくるフォルテ様に声を掛け、先を歩き出す。


 少し歩いた頃、後ろから声が掛かった。


「クレス、一体どれぐらい聞き込みをするつもり……?」


「そうですね……この村の規模ですと、二十人位ですね」


 情報の精度を増すため、男性女性十人ずつの予定だ。


「それはつまり……大きな町に行けば、その分聞き込みの人数は増えるということかしら……?」


「ええ、その通りです」


 質問に答えた次の瞬間、後ろ足から微かな衝撃が伝わった。


 痛くは無かったが、後ろを振り返るとフォルテ様が蹴りを放った姿勢で固まっていた。あれは恐らく、執事長のオラン直伝のローキックであろう。


 美しいフォームのまま固まっていたフォルテ様は、「フンッ……」と鼻を小さく鳴らしスタスタと先を歩き出してしまった。


 突然の行動に意味が分からずポカンと立ち尽くしていると、少し前で立ち止まったフォルテ様が振り返った。


「クレスッ、何をグズグズしているのっ! さっさと調査を済ませるわよ!」


 怒っているのか、それとも泣きそうになっているのか判断がつかない表情で声を張り上げたあと、直ぐに前を向き歩き始めてしまった。


 その様子に母親のアルト様に似た理不尽さを感じつつ、私は気持ちを切り換えてその後を追って再び歩き出す。


 その後、何故か聞き込みを続ける度にフォルテ様の機嫌の勾配が傾いてしまっていた。


 聞き込みの内容として、大した成果が上がらなかったのが原因だろうか?


 町の西側は微かな高台となっており、そこに畑や農作地が密集しているのが、遠目ながら見てとれた。


 男手は畑の方へ行っていた為か女性にしか話を聞くことが出来ず、午後からは畑の方へと向かう予定だ。


 現在私の斜め後ろで、ブスッとした表情を浮かべているフォルテ様をともない、町を歩いている。




 暫く畑の方へ歩いていると、町中に流れる小川の近くに建てられた風車小屋が見え、その回りには六つの人影があった。


「この町の子供達ですかな?」


 子供達に目を向け、何気なしに呟いた。


 少しして、ある異変に気付く。それは町の子供達――では無く、私の後ろを歩いていたフォルテ様に、である。




 後ろからついて来ていた足音が途絶え、その事を不審に思い振り返る。するとそこには、呆然と子供達を見詰めるフォルテ様の姿があった。


「フォルテ様…………?」


 近付き声を掛けても、何の反応も返さない。その事に一層疑問を浮かべ視線の先を注視する。


 何の変哲もない、男女三人づつの子供の集団。およそ七歳から十二歳程と年齢層に多少のばらつきもあるが、特段珍しくもなんともない光景だ。


 暫しの間、フォルテ様と子供達の間で視線を往復させていたが、はたとある答えに辿り着いた。


 フォルテ様――リージュ・ル=グランスワール・ファン=フォルテという、(よわい)十にも満たない幼き少女は、産まれてから今まで<城の外に出たことが無い>。


 城の中の世界とは、つまり大人しか居ない場所といえよう。


 王族や貴族の慣習として、政治や社交界に足を踏み入れるのは十歳を過ぎてからとなっている。


 フォルテ様はそれまでに城中にて、必要な知識や教養を身に付けなければならなかった。


 そもそも城になど遊びに来る子供等はおらず、社交界に出ていないこの少女は普通では信じられないことだが、未だに同年代の少年少女と会ったことすら無かった。


 私はそんな類い稀なる境遇の少女を、何とも言い知れぬ感情を抱えて見詰めた。


 村の子供達をみる表情は、いつしか呆然としたものから微かに変化が見れる。期待と不安、そして喜びと悲しみが瞳の中に浮かんでは消える。


 ふと、子供達の楽しげな声がこちらまで届いてきた。これから何をして遊ぶのかを話し合っているのだろう。


 そして私の視線に気付いたのか、フォルテ様は慌てて顔を伏せてしまった。身長差もあるが、俯いた顔を黄金色の髪が覆い隠し、その表情をうかがい知ることは出来ない。




「クレス…………行きましょ」


 ポツリと呟やくと、返事も待たずに先立って歩いてゆく。その後ろ姿にいつもの溢れんばかりの覇気は無く、年相応の小さな背中であった。




 私には慰めることも、励ましの言葉も掛ける事は出来ない。その行為はグランスワール王国に携わる、全てのものを侮辱する行為だからだ。


 かの少女の境遇を憐れむ事は、最も赦されざる行いである。


「フォルテ様」


 その場から足早に去ろうとする少女の隣に並び、声を掛けた。




 私は騎士。主君に仕え、その身を護り、支えし者。


 どんな侮辱を受けようとも、どんな犠牲を払おうとも、私は、私の信じる道を往くと誓ったのだ。


 例えそれが、どんな苦難に満ち溢れていようとも――。




「フォルテ様、私は貴女の騎士です。如何なる時も、お傍にいます。


 なので……なのでどうか、顔をお上げください」


 その小さき背中に手を添えた。


 彼女の立場や境遇による重圧や悲しみを肩代わりすることは、何人たりとも叶わぬ事。


 だが、側に居るだけでもその心の支えになることは可能だと、私は信じている。


 幼き日のこの子の母親の境遇を、今と重ね。若さゆえに至らぬ自分自身の過ちを、胸に秘めて。




 今日はそのまま宿へと向かう事とした。慣れない環境と昨日の疲れもあったのだろう、顔色が優れないフォルテ様は宿へ着くなり横になってしまった。


 私と二三言だが言葉を交わすと、直ぐに背を向けてしまう。これは元平民の私には、正確な理解が及ばぬ範疇であろう。


 彼女は王族であり、生まれながらにして普通の人間とは違う存在だ。市井(しせい)の者であれば、その王族として生まれた境遇を羨み妬む者もいるはずだ。


 勿論、生活水準に関しては比べるまでもなく豊かであり、飢えに苦しむことも、寒さに身を震わせる事も無い。


 だがそれらの光とも呼べる一面もあれば、影となる一面も確かに存在した。それは幼き子供であろうと関係は無い。


 理由はただ一つ、王族だからだ。外に出れば王族としての立ち振舞いが要求される――そう深層心理に刷り込まれた幼き少女の重圧を、私程度が想像し、理解しようなどとは傲慢な事柄であろう。


 如何に今回の旅路が身分を秘匿したものだとしても、人生の大半をその義務で埋め尽くされてきた少女が、直ぐにそのことから意識を解放出来る筈が無い。


 同年代の子供達と共に遊ぶ――そんな普通の事ですら、王族としては許されざる行いなのだ。


 暫くすると、小さな寝息が部屋に響いてきた。私は少女を起こさぬように注意を払いながら、書き置きを残して部屋から出てゆく。


 宿屋の女将に部屋に一人残していることを告げ、暫くしたら戻ってくる旨を伝えた。


 外へ出ると太陽は中天を幾ばか過ぎたあたりで、ゆるゆると西の空へ傾いている。まだ陽が沈むには早く、いまだ仕事をしているだろう村の農夫達の元へと足早に歩き出す。




 畑がチラホラと目に付くようになる頃、麦ワラ帽子を被った日焼けした農夫と会うことが出来た。


「へぇー……王都の学者さんかい」


「そんな大層なものじゃありませんよ。しがない文官の一人です」


 酷く感心した様子の壮年の農夫に話を合わせつつ、話を聞き出してゆく。


「ふーん。ここは王都のお膝元だからなぁ……それに小さい村じゃけぇ、ここ最近も事件らしい事件も起きとらんね」


 首にかけたタオルで汗を拭いつつ、記憶を探りながら農夫は話を続ける。


「こんな村にわざわざ寄るのなんて、王都へ向かう旅の人か、旅芸人や詩人さんぐれぇなもんだなぁ」


 やはり村の娘達の話と同じらしく、この村に変わった事は無いようだ。


「そうですか。後は何か最近お困りな事はありませんか?」


 その問いに対し、農夫は無精髭を片手で擦りながら首を捻る。


「困ったことねぇ……俺らからすると、近くの森から来た獣に田畑を荒らされるぐれぇかなぁ……」


 口を曲げ、憮然とした表情でそう呟く。確かにその事は、農夫としては死活問題であろう。


 ただそれを聞いて思い浮かべることは、魔王がこの世界に現れたのに、何とも呑気な話だと云うことだ。


 勿論、農夫にも生活があり、作物を収穫出来なければ飢えて死ぬしかなく、実害の無い魔王よりも現実的な話だ。


 寧ろ結果的にはこの世界に平和をもたらした魔王より、近くの森に棲む獣の方が農夫達にとっては脅威なのだろう。


「この村には狩人は居ないのですか?」


 森の近くにある村ならば、一人や二人の狩人が居るのが一般的だ。


「去年まではいたんだが、もう年で足腰がな……」


「成る程」


 確かに、年老いた狩人では獣の潜む森での狩りは危険だ。


 森の中をくまなく探し、獣を見付け、その群れ全てを仕留めなくてはならない。下手に刺激したのでは、悪戯に村への被害が増えるばかりだろう。


「それではこの村の衛兵達に依頼してみては?」


 昨日、村の入り口に居た衛兵達の姿を思い出し、そう提案してみた。だが農夫は溜め息を溢すと首を左右に振る。


「いんや、アイツ等じゃ話になんねぇ……そもそもろくに剣も振れねぇし、森に入ったところで、野うさぎ一匹も捕まえられねぇよ……」


 そして呆れたように視線を落とし、再び溜め息を吐き出した。その落胆した様子には、思わず憐れみにも近い感情を抱いてしまう。


 ふと農夫は顔を上げ私の身体を視線で撫で回すと、おもむろに笑みを浮かべた。


「アイツ等の代わりに、アンタが森に入ってくれねぇか? アンタなら、見た感じ問題無さそうだ」


 ニカッと満面の笑みを浮かべ、更には私の腕をペチペチと叩く。


 思わずその言葉に「成る程」と頷くと、農夫は一瞬キョトンとしたあと、笑い声を上げた。


「ハッハッハッ、冗談だよ冗談。流石に学者さんには頼めねぇよっ」


 そして数秒ほど笑い続け、目尻を指で拭いながら農夫は挨拶もそこそこに農作業へと戻って行った。その背中に礼を述べ、私は新たな話を聞くべく歩みを開始しながら、ある考えを巡らせてゆく。




 その後も何人かの農夫に話を聞いてみたが、出てきた話題としては森の獣の事ばかりであった。


 詳しく聞いていくと、だいぶ前から被害はあったそうだが、最近は特に酷くなっているそうだ。


 田畑には木の柵が張り巡らせてあるので、よっぽどの事でも無い限り作物が被害にあうことは無かったようである。それが最近は、その柵をも壊してまで獣達は田畑を荒らしているそうだ。


 その他、細々とした事を聞き出すと、私はフォルテ様が居る宿へと足を向ける。




 いつしか西の空は血の色に染まっていた。真紅に輝く太陽を一度仰ぎ宿屋の中へと入っていく。


 一階の多目的カウンターの奥では、宿屋の主人と女将が食事の用意をしていた。暖かな空気に混じり食欲をそそる香草の匂いを感じつつ、二人に挨拶を済ませて二階へと登る。


 小さくノックをしたあと、蝶番の軋む音を響かせて扉を開けた。


 部屋に入ると窓からの射し込む光に照らされ、視界が鮮烈な赤と、清烈な白、そして煌びやかな金に染まる。


「お目覚めでしたか……」


 そこには純白のシーツに髪を広げ、膝を曲げて寝転がる少女の姿。白のキャンバスに散りばめられた金の色彩は、少女の放つ雰囲気と合わさってか、どこか視るものを陶然とさせる。


 その少女は紅苺(ジェムフラン)のような艶やかな唇を押し開く。


「……どこへ、行ってたの?」


 ぼんやりと半分閉じられた視線が、どこか非難するように私へと向けられた。


「この村の畑の方へと調査に……フォルテ様、体調はいかがですか?」


 少女は「ん……」と吐息を漏らして小さく頷く。そしてベットに手をつき、気怠げに上半身を起こした。


 髪の一房が微かに血の気の戻った頬を撫で、鎖骨を伝い胸元へと流れる。


「ありがとう、もう大丈夫」


 言葉とは裏腹に、そこに覇気は感じられない。


 正直不安ではあったが、一人になることで、ある程度の気持ちの整理がついたようだ。だがそれでも、風が吹けば儚く消え去りそうな危うい気配がそこにはあった。




 その姿を視界に納めつつ、私の中に眠る古ぼけたの書物を、静かに紐解いてゆく。


「フォルテ様――私がアルト様に依り、異例な事態ながら騎士となったのはご存知ですか?」


 私の問い掛けにフォルテ様はゆるゆると(おとがい)を上げ、突然の話題に疑問を宿した視線を向けながらコクリと頷いた。


「それでは、なぜそう呼ばれているか……その詳細をご存知でしょうか?」


 そして今度は、フルフルと首が左右に振られた。




 紐解かれた古い記憶。それは私、クレス・スタンノートの人生を変えてしまった、眩ゆい記憶。


 胸に華が咲くような、一瞬の萌芽。


 不思議な熱を感じさせる、甘い余韻。


 民衆が二つに割れて叩き付けられるような、視線の波。


 静粛に包まれた、瞳合わせの時の刻。




「とある街の聖誕祭、私が十二の頃――そこで、十歳になったばかりのアルト様に出逢いました」


 今でも鮮明に思い浮かぶ、破天荒な我が主君の一端。


「そして平民であった私はその時、その場、その街の広場で騎士となりました。初めて出逢ったばかりの、少女の騎士に……叙任式も、宣誓式も無く」


 思わず苦笑が零れ落ちる。当時は知るよしも無かったが、騎士の年齢は十五を過ぎ、更には様々な試練を経て賜れる称号。


 突然街中で、王族の少女が平民の少年に騎士の位を授け、更には自分専属の騎士に任命した。それは前代未聞の、数百年と続く格式と伝統を一切無視した、あまりにも突然な事態。


 当時の周囲の混乱や驚愕する様は、思い出すだけで苦笑いが込み上げてくる。


 当然ながら、その後の私への風当たりはかなりのものであった。




 フォルテ様は私の言葉を受け、呆然と眼を見開いていた。


「……驚きましたか?」


「ええ、とっても…………」


 端的な説明であったが、それが如何に型破りな事であったかを理解しているのだろう。


 それは言うなれば、ただその辺りの道を歩いてる平民に対し、いきなり領地と爵位を与えるようなもの。


 勿論、そんな振る舞いをしてただで済む筈がなく……アルト様はこっぴどく叱られた。王族の外聞から結果的に私は『騎士』となったが、実際は『騎士見習い』としてアルト様に仕えることとなった。


 しきりに驚いた様子を見せたフォルテ様は、不意に疑問の眼差しを私に向けてきた。


『何故、そんな話を――?』


 その視線に対し、私はフォルテ様の元へと歩みを開始しながら理由を告げる。


「昨夜、フォルテ様は私に『ずっと傍に居るように』、と告げられましたね――」


 窓から射し込む夕日の加減か、フォルテ様の頬に赤みが差した。それに気にせず、ベットの前の床に片膝を着いて言葉を続ける。


「なので今日、正式に騎士としての誓いをさせて頂こうと思います」




「…………でも、私はまだ十歳になってないから、出来ないって」


 どこか悔しそうに唇を噛む少女の姿に、思わず幼き頃の叱られて憮然とする主君の姿と重なり、笑みが零れた。


 そしてベットの上から送らた、ムッとした視線を意図的に無視して口を開く。


「そんな<些細な事>、関係ありませんよ」


 今の私の言葉に、今度は驚いた気配が伝わってくる。


 つくづく思うが、コロコロと感情が変わる所は本当に似ていると感じさせた――更には、どこか懐かしくもある。


「もしアルト皇女殿下が、今のフォルテ様の立場であるならば、きっと……間違いなく主従の契りを結ばれていたでしょうね」


 微かに茶目っ気を混ぜて言葉を重ねる。


「それに、貴女のお母様が私に騎士の称号を授けた事に比べれば、本当に<些細な事>ですよ」


 暫し、沈黙が降り注ぐ。そしてフォルテ様は「それもそうね」と呟き、憑き物が落ちたような満面の笑みを私に向けた。




 <Ⅶ>


 部屋の隅に蠢く闇に囁くように、厳かなる少女の声が降り注ぐ。


「汝――王に仕えし剣聖の騎士。無窮の光を掲げ、闇を祓う者」


 視線の先には少女の危うい輪郭、更には眼を灼く斜光とは別の柔らかな淡い光があった。


 赤、青、黄、緑と、体内に宿る<万物の根元たるマナ>が具現化されて起こる現象。


「告げる――汝の命運を我に捧げよ。この意、この理に従うならば応え、誓いを此処に」


 それが窓を背にして私の前に立つ少女の躯から、沸々と放出されてゆく。


「唱えよ――四霊の言霊を纏いし者。その言の葉は断魔の剣」


 少女から放たれた淡い光球――<精霊蟲(せいれいちゅう)>が空気に溶け、不可視な力場が部屋の中に形成されてゆく。今やこの場は簡易ながら、魔術を行使する為の祭壇と成していた。


「誓え――汝、王国を覆う天蓋と成し、我に仇為すものに正義の鉄槌を下さんと」




 今少女が唱えているのは、グランスワール王国の建国神話に遡る、四百年以上も現代まで脈々と続く主従の誓句(せいく)


 初代国王に仕えし軍師(ストラテジスト)――【ヘルメス】。それと同時に秘術使い(アーケイナー)であった彼が遺した、誓約の呪いであった。


「我――精霊の御名にかけて誓約する」


 私の一言により、部屋の空気が変質する。


 今まで漠然と漂っていた力場が、確かな意思を持ったように蠢き始めた。それはさながら、雪解けを思わせる春の小川の様に静かに、だが次第に勢いを増して。


「喩え――地が裂け、天が落ちようとも、我と汝の交わした契りを違えることは無い。


 其――汝が為の道標なり。我が魂、昇華をもって御身に捧げよう」


 ヘルメスは極めて優れた秘術使い(アーケイナー)であり、千の魔術を使い、またその知略により初代国王を勝利へ導いた英雄。


 だが彼はいつしか国を去り、伝承によれば別の世界へと渡り歩いていったとされ、その後の消息は不明となっている。


「我が<骨相>に宿りし大地の精霊ノームに誓う。


 我が<肉>に宿りし炎の精霊サラマンデルに誓う。


 我が<血>に宿りし水の精霊ニンフに誓う。


 我が<系脈>に宿りし風の精霊シルフに誓う」


 そんな彼が最も得意としたのは、呪言。


 今私が唱えしは、肉体に宿りし精霊の力を以て、因果の鎖を主君へ委ねる契約魔術。クレス・スタンノートの肉体と魂、その一欠片に至る全てを捧げる誓約の儀。


「我――王国の守護者なり。鋼の獅子をこの身に宿し、如何なる脅威を討ち滅ぼさん」


 我が身、この薄皮一枚の下に内包されし精霊の神秘が、確かな熱を放つ。




「ならば――その身を以て忠誠を示せ」


 私の前に差し出された手の甲。その細く、触れただけで壊れてしまいそうな華奢(きゃしゃ)な少女の手を、繊細に取る。


 熱を放つ体に、少女の手は冷たく心地が良い。そして流れるままに、その甲に口付けをした。同時に体の熱が奪い取られ、少女の体を包み込む。


 軽い虚脱状態となった私の聴覚が、少女の唇から熱の籠った吐息が溢れたのを微かに捉えた。


 これで誓約の儀は終わった。


 失われた体温、急速なマナの欠乏により部屋の空気が肌寒く感じる。私は細く息を吐き出し、片膝をついたままに少女を仰ぎ見る。


 その視線の先で、少女は口付け……と言うよりは、先程の契約の誓いを立てた右手を自分の胸に掻き抱くようにして、まるで精巧な人形のように固まっていた。


 だが人形では有り得ない、どこか泣きそうに揺れ動く眼差しは、どのような言葉を掛けるべきか私の思考に迷いを生じさせる。


 その結果、妙な沈黙が場を支配した。


 いまだ精霊の光が残る部屋の中、幻想的な余韻が冷めきらぬそんな間隙に、スルリと――滑り込むような動きが発生する。




 静かな動作で私の後頭部に回された、少女の細い両腕。体の熱を感じさせるような吐息。顔を被い隠すように胸に抱きかかえられ、思考を溶かすような甘い香りを感じる。


 低くなった体温に、ぬるま湯のような暖かさが心地よい。




 高鳴る胸の鼓動を誤魔化すように、極力平坦に声を掛ける。


「フォルテ――さま?」


 衣服越しのくぐもった響き。それに伴い、微かな震えが伝わってきた。


 回された腕に微かな力が加わった。


「――――――」


 聞き取る事の出来ぬ、少女の唇から紡がれた音の残滓。耳に届く前に、その不明瞭な響きは空気に溶けては消えた。


 私は再び、その名を問う。


「フォルテ……さま?」


 二度目の問いに返答はなく、ただただ無為に時は流れた。




 時は夕から夜へと取って代わる時間帯。沈黙と、いつしか停滞した空気が、何の変哲もない黄昏時の静寂(しじま)を装っている。


「――ありがとう、クレス」


 今度は耳に届いた、確かな声の響き。


 至近距離から柔らかく囁かれた言葉は、まるで睦事のようで……それに合わせてスルリと解かれた拘束と、離れてゆく体温。


 開けた視線の先には、手を腰の後ろに組んで立つ少女の姿。


 一拍遅れて金の色彩が一歩下がった彼女に付き従い、そして輝きを放ちながら揺れを止めた。


 少女はどこか照れ臭そうに、小さく笑みを溢す。その微笑は老若男女を問わず、見るもの全てを魅了する美しさが、そこにはあった。




 いまだ驚きが抜けきらぬままに私が沈黙を維持していると、フォルテ様は恥ずかしそうに背を向けた。それに伴い、彼女の髪が鮮やかに舞い踊る。



 そしてそのまま流れる動作で歩み出し、立ち止まり窓の木枠へと片手を添えた。


「クレス……確認なんだけど、これで貴方と私は正式な主従となったの、よね?」


「え、ええ、その通りです」


 背を向けたままに告げられた問いに、急いで強張っていた意識を解きほぐし答えた。


 フォルテ様は「そう……」と、どこか感慨深く呟き、更に言葉を続ける事はしなかった。


 正確に言えば公的な立場、つまりは一国の姫君と、その国に仕えし騎士としての契りを結んではいない。


 今回の誓約はクレス・スタンノートと、そしてリージュ・ル=グランスワール・ファン=フォルテの個人的な主従の契約となる<魂環回路(パス)>を結んだに過ぎないものだ。




 おもむろに立ち上がると、荷重の変化からか床が微かに軋みを上げた。思いの外、大きく響いた音の余韻が消えたあと、再び少女は口を開く。


「それじゃあ、クレス。貴方にひとつ、お願いがあるの」


 そこで一旦言葉が切れ、次に上擦った声が続いた。


「私の事は、この旅の間はずっと…………その、<フォルテ>って、呼んで?」


「それは――」


 咄嗟に疑問と難色を示してしまった私に対し、少女は弾かれたように振り返る。


「だってっ、<父娘>なのに、様付けで呼んでるなんて変じゃないっ!」


「ですが……外では――」


「外でも内でも関係なく、二人の時も<フォルテ>って呼んで欲しいのっ!」


 早口に言葉を叩き付けてきた少女を、驚きながら見詰め返す。


 この少女の我儘やお願い自体、珍しい事では無い。だが、このような必死さを感じさせる様子は、この少女が産まれてから今まで、私が知るなかで初めての事であった。


 苛ただしげな、そしてどこか悲しげな翡翠色の双眸。


 小さな両の手で、服の(すそ)を力一杯に握り締めるその姿は――どこか、親とはぐれた迷子の子供を連想させた。<迷子>と言うのは間違っているが、ある意味正しい表現だ。




 内なる思考に捕らわれ、思わず黙り込んでしまった私を見遣る二つの(まなこ)には、どこか不安そうな色が浮かび上がっていた。


「その……様付けをしてるとこ、誰かに聞かれたら困るだろうし、そんな事で疑われちゃったら嫌だから…………その」


 裾を握る手をそのままに、言葉は尻窄みし、視線は徐々に下がっていってしまう。


「そうですね、<フォルテ>」


 紡いだ言葉に、視線が上がる。


「この旅の間、貴女は私の愛しい<娘>です。そんな娘を、様付けで呼ぶ父親はいませんね……」


「……その娘に対して、敬語で話す父親もいないと思うけど」


「確かに、そうですね」


 そう言葉を返すと、少女は強く握り締めていた両手を解きほぐす。そしてクスクスと、楽しそうに、嬉しそうに、笑みを溢し続けた。


 綺麗な弧を描く艶やかな唇が笑みに彩りを添え、それは春の到来を告げる一輪のプランタンの花を連想させる。


 少しと云うよりも幾らか時計の針を超過した、どこか心を穏やかにする時の流れ。フォルテ様……いや、フォルテは弾むような足取りで歩み寄ってくると、そのまま私の腕をとる。


「私お腹空いちゃった――パパ、下にご飯食べに行こ?」


 よくよく考えれば、二人とも昼食を摂っていない。今更ながらそれを意識すると、体が空腹を訴えてきた。


「そうだなフォルテ」




 一階に降りると既に夕飯の用意は済んでおり、恰幅の良い女将と気の弱そうな主人に礼を伝える。


 二人並んで席につき、香草で臭みをとった羊肉をメインとし、副菜のたくさんの野菜が入ったスープとサラダで食事を進めてゆく。流石に城の料理とは比べ物にはならないが、素朴ながら作り手の暖かみが感じられる料理は、純粋においしく感じられた。


 隣に座るフォルテを横目で見ると料理に不満は無いようで、その事に内心胸を撫で下ろす。幼少から一流の料理に鍛えられた味覚には少々不安なところがあったが、こういった庶民的な味には以前から興味があったようだ。




 そう言えば昔……母親のアルト様に連れられ、城下へ遊びに行った時の事。そのときアルト様は野市で売られていた食べ物に興味津々で、食べた感想としては「逆に新鮮」と言っていたのを思い出した。


 余談だが……そのあと城に帰って当然のごとく怒られたのは、今となっては良い思い出だ。




 女将にフォルテの洗練されたテーブルマナーに驚かれつつ、暫し談笑を交えながら情報収集に務めた。


 その際、木の実の練り込まれたパンを口に運んでいると、女将が思い出したように口を開いた。


「そう言えばこのパン、村長の娘さんから貰ったんだよ。なんでも旅の方に出してくださいってね」


 その事に相づちを返しつつ、パンの美味しさに舌鼓を打つ。明日、予定では村長のもとへと伺う予定ではあったので、その折りに感謝を伝えるとしよう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ