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クレス・スタンノートの苦労

小説表紙

挿絵(By みてみん)

 《Ⅰ》


 宝石のように透き通った翡翠色の瞳。利発そうな眼差しを鳥の羽のような柔らかな睫毛が縁取り、天から降り注ぐ陽射しがその処女雪のような頬にうっすらと影を落とす。


 齢九つと幼いながら、将来的には母親と同じく絶世の美女となるであろうと容易に想像できる、可愛らしくも美しい造作。


 それが今、泣きそうに歪められ、私の目の前で駄々をこねるように(かぶり)を振られた。




 見晴らしの良い平地にある街道の最中、空に浮かぶ太陽は中天をいくらか過ぎた辺りだ。


 周囲に人影は無く、ただ緩やかな風が涼しげに吹き抜けるばかり。そんな風と頭の動きに合わせ、柔らかく腰まで届く黄金の髪が、ゆっくりと尾を引いてたなびいた。


 本当とそっくりだと――私、クレス・スタンノートは漠然と思い浮かべる。


 光輝く瞳や髪も、一目見れば誰の記憶にも無条件に焼き付けるその美貌の片鱗も。そして少女――私が仕えし王国の姫君は、50cmも低い位置から私をその宝石のような瞳で貫ぬいては、艶やかな果実のような唇を押し開く。


「クレスッ、私は歩くのに疲れたの! 早く次の街までおぶってちょうだい!」


 そう言って栗鼠(りす)の様に、仄かに赤みが差した頬を膨らませた。




 本当にそっくりであった。


 常々思っていた事ではあったが、こうして近くでまじまじと見詰めると、リージュ・ル=グランスワール・ファン=フォルテ第一皇女候補は、その母の幼き頃と瓜二つだ。


 外見、そして――内面のワガママなところまで。






挿絵【リージュ・ル=グランスワール・ファン=フォルテ】


挿絵(By みてみん)






「畏まりました、フォルテ様」


 フォルテ様に背を向け、腰を落として前屈みとなる。すると直ぐに背中へ微かな重みが加わり、更には細い二つの腕が首に回された。


 自分とは違う微かな甘味に似た匂いと、温かな体温。そして気持ち良さそうに、背中から「んん~~」と喉を鳴らす音が耳元をくすぐる。


 その様子にコッソリと吐息を溢し、フォルテ様がズリ落ちないように慎重な手つきで腕をまわし、チラリと背後を仰ぐ。


「それでは、出発しますよ」


 そう声を掛けると、フォルテ様は「しゅっぱーつ!」と愉しげに腕を振り上げた。


 再び嘆息し、前へと向き直り歩き出す。何故、このような経緯となったのかを振り返りつつ。





挿絵【クレス・スタンノート】


挿絵(By みてみん)







 《Ⅱ》


 グランスワール王国。


 そして私の肩書きは『グランスワール王国騎士団・近衛騎士団長クレス・スタンノート』。


 いささか仰々しい肩書きが今の私には付いたものだが、実際のところ今も昔も変わった事は無い。


 名目上、グランスワール王国が仕える国の名ではあるが、私の役割は『姫君の騎士』、それ以上でもそれ以下でもない。




 そう、私の目の前に居る女性を護る事が我が定めであり、私は国に仕える訳ではなく、ただ一人の女性に仕えている。


「あら? クレス、何か考え事?」


 最近になってやっと年相応に落ち着きを備えてきた我が主――リージュ・ル=グランスワール・ファン=アルト皇女殿下は、小首を傾げて声を掛けてきた。


「いえ、何でもありませんアルト皇女殿下」


 そう答えると、アルト皇女殿下は「そう」と小さく頷き、器に盛られた焼菓子を一つ口に運んだ。


 ここはグランスワール王国の王城の、一部の者しか立ち入る事を許されぬサンテラス。天気の良い昼過ぎのティータイムは、決まってこの場所で過ごすことになっていた。


 そして現在、この場所には私とアルト皇女殿下の二人だけだ。




 知性を称えた翡翠色の双眸に、美しく豪奢な金糸の髪。陶磁器のような肌は透き通るように白く、そして美しい。


 既に三十半ばを過ぎ、子供を一人産んだ身でありながら、凡そ十年以上も年を取っていないかのように若々しい。そして若い娘のように、どこか悪戯めいた表情を私に向ける。


「クレス、二人っきりのときは、私の事は<アルト>で良いわよ」


 艶やかな唇に美しい弧を描き、そう謳うように言葉にした。


「慎んで遠慮させて頂きます、アルト皇女殿下」


 言葉を返すと、「あっそ、相変わらず連れないわね」と文句を言いながら唇をとがらせた。そしてツーンと顔を背け、あーだこーだと私に対する嫌味を、わざわざギリギリ聴こえる音量で呟いてくる。


 二人の時だとどこか幼くなる主君の反応には慣れたもので、今では気にも留めなくなってしまった。


 当時十歳であったアルト皇女殿下に私が仕え始めたのは、今から約二十年以上も前の事。


 十と二つの年齢であった私は異例の事態ながら、最年少で<騎士>の称号を授与された。


 そして幼いながらも騎士となり、今までアルト皇女殿下の我儘に振り回されてきた身とすれば、今さら嫌味の一つや二つそよ風同然である。




 嫌味事を吐き出すにも飽きたのか、アルト皇女殿下は外の景色へ意識を移した。それに吊られ、自然と私も視線を動かす。


 束の間の平和。現在、グランスワール王国を脅かす敵国は存在しない。




 そう、<敵国>は。


 一ヵ月ほど前の事、我らが住む大陸に<魔王>の使者を名乗る者が訪れた結果、世界の情勢は国同士、人間同士の争いなどしている場合では無くなった。


 魔王、つまりは魔界と云う<異世界>を統べる王である。その使者が言うには、<魔王>は現在、グランスワール王国から見て南に位置する険しき山脈に居を構えているとの事だ。


 突然の来訪に、突然な事態。あまりにも急速な展開を迎えた我が国、そして他国との情勢は混乱を極めた。


 何故か?


 その理由は、その魔王の使者の言葉にある。




『魔王様はこの世界へと遊び相手を探しに参りました。侵略や略奪等に興味はありません。ただこの世界へ訪問した旨をお伝えに上がりました』


 蒼白い肌をした魔族の青年はそれだけを伝え、背に生やした翼を羽ばたかせ城を後にした。




 その言葉は様々な物議を醸し、世界は混乱の一途を辿る。結局のところ、魔王の真偽が読めなかったのだ。


『遊び相手を探しに来た』――私には冗談にしか聞こえず、真に受ける者はいないであろう。


『侵略や略奪等に興味はありません』――お伽噺や伝承に聞く魔王ならば、それは間違いなく嘘であり、罠としか思えない。


『ただこの世界へ訪問した旨をお伝えに来た』――以上二点を踏まえ、相手はこちらの混乱を狙い、その隙にこの世界を侵略するつもりなのだと、容易に想像が付いた。




 だが結局、魔王の使者が訪れて一ヶ月が経過した現在、魔王は何のアクションも起こしていない。


 この一ヶ月の間で幾つもの大国、小国は和平を結び、魔王の侵略に対する防衛陣を形成したが、何とも肩透かしを喰らった気分である。


 我がグランスワール王国が中心となって、いままで争っていた国同士が一丸となって魔王に対抗しようとしていたのだが、正直なんと言って良いやら…………。


 魔王が訪れてから、この世界は<平和>になってしまった。





 勿論、いまだ魔王に対する防衛陣は張られたままで、各国は警戒体制を弛めてはいない。いつ攻められても良いように、軍事整備はいまだ進められてはいる。


 だが流石に一ヶ月も緊張の糸を張り続ける事も出来ず、ただ惰性に任せた日々を送っていた。最近では『本当に魔王は、遊び相手を探しに来ただけなんじゃないか?』などと噂が流れ出す始末だ。


 仕舞いには和平を結んだ国同士での流通も盛んになり、民の生活は以前よりも豊かだ。更には魔王出現により悪くなっていた治安も、最近は何も起きない日の方が多い。


 その原因は全て、今だ見ぬ<魔王>にあった。


 私も先日までは慌ただしく動き回っていたのだが、現在は正直暇を持て余し気味であった。


 勿論、空いた時間は己の鍛練に当ててはいるが、最近はそれだけで良いのかと焦りを覚えてしまう。それは恐らく、アルト様も同じなのであろう。


 他国との和平締結が短期間で完了したのは、アルト様の手腕によるものが大きい。それは勿論、魔王に対抗すると云う大きな要因があってこそだが。




 ふと、こちらへと近付いてくる足音が耳に触れる。大小二つ、更にははしゃぐような幼い少女の声が伴っていた。


 そちらへ視線を向ければ、華奢なその身を赤のドレスに包んだフォルテ様の姿があった。その背後には、執事長を務めるオラン・シュラザートが付き従っている。


「御母様ー!! クレスー!!」


 フォルテ様はこちらへと足早に近付きながら、光弾ける笑顔をともなって手を振ってくる。一瞬、転びはしないかと心配になったが、後ろに執事長のオランが居るならば杞憂に終わるであろう。


 アルト様は笑みを溢しながら小さく手を振り、私は頭を深く下げる。


「御母様っ!!」


 微かに息を切らせながら、フォルテ様はアルト様に抱きついた。


「あらあら、お勉強は終わったの?」


「飽きちゃったからきゅーけー!!」


 その返しにアルト様はクスクスと楽しそうに笑みを溢す。


「フォルテはおてんばね」


 つい『貴女が言うな』、と口を挟みそうになったが自制する。


「お疲れ様です、クレス騎士団長」


 御二人から視線を剥がし横を向くと、執事長のオランが柔和な笑みを浮かべて立っていた。


 年齢は五十を越え、代々グランスワール王国に仕えてきた由緒正しき血筋の者であり、平民上がりの私にも分け隔て無い態度をとる、人望の厚い存在だ。


「いえ、オラン執事長こそお疲れのご様子で」


 私は常に綺麗に撫で付けてある、白髪混じりのオールバックがほつれているのを見ながら、執事長の苦労を労う。


 武芸一般に秀で、幾多の知識と教養を身に着けている完璧超人の執事長ですら、フォルテ様には手を焼いているようだ。


 私の視線に気付いたのか、恥ずかし気に髪の毛を整え、「失礼」と咳払いとともに居住まいを正す。




 年齢的には私の十以上も歳上ではあったが、互いの間柄は<戦友>のそれに近い。


 互いに二十年以上もアルト様のお側に仕えた身。その苦労は互いが互いを認め合う程。あまり大きな声では言えないが、二人で酒を酌み交わす時には苦労話をつまみとする程だ。


 現在は執事長の身でありながら、フォルテ様専属の教育係をも同時に勤めている。おてんばの血筋をもしっかりと受け継いだフォルテ様のお相手は、流石の執事長も苦労をしているのだろう。


 最近は年相応……なのか定かでは無いが、それなりに落ち着きを身に付けてきたアルト様の相手をする私より、その苦労は多大なものであると察する事が出来た。


 他人の不幸を笑うつもりは無いが、せめて酒の一杯でも今度奢ってやろうと考えていた際、不意に声が掛かる。


「ねえ、クレスゥ」


 ギクリと、心臓が嫌な音を立てた。不味い、不味い、不味い。


 何が不味いかと言うと、アルト様がクレスの後に『ゥ』を付けた事だ。こう私を呼ぶときは、決まって厄介事が降り掛かる。


 背中に嫌な汗が流れ、執事長は憐れむように私を見る。


 待て、辞めろ、なんだその眼はっ!! まだ絶対に厄介事と決まった訳では無いのだぞ!?


 執事長はストレスが溜まると人が悪くなり、こうして他人の不幸を笑う時がある……普通では気付かない程度ではあるが。


 視線を向けた先でアルト様はフォルテ様の頭を撫でつつ、微笑みを浮かべていた。私を見詰めるその視線には、つい不安を禁じ得ない。


「クレスは最近暇そうよね、それでちょっとお願いがあるのだけど良いかしら?」


 詰んだな。ダメだ、悪い未来しか予想できん。


「お言葉ですが、流石に私も暇では有りません。部下の訓練や指導などもあります。それに私自身まだまだ未熟な身であり、鍛練をしなくてはなりません」


「あら、そうなの?」


 意外と好感触だな……これは成功するかもしれん。


「でも貴方自身の鍛練ならいつでも出来るでしょうし、指導も代役を立てれば問題ないわよね?」


「それはっ……」


 その通りだが、嫌な予感しかしないので何とかして断りたい。




 そうこう頭の中で言い訳を考えている内に、話は良くない方向へと進んでいってしまった。


「貴方に頼みたいのは、フォルテの特別な教育係なの」


 思わずフォルテ様の教育係を担う執事長と、互いの顔を見合わせてしまう。流石の執事長も予想外だったのか、頭に疑問符を浮かべていた。


「アルト皇女殿下、特別な教育係とは一体何でしょうか? フォルテ様の教育係は執事長が勤めておりますし、私のような騎士が出る幕は無いかと思いますが……」


 そう進言したのだが、アルト様は笑みを崩すことは無かった。


「いいえ、これは貴方にしか頼めないことよ。実は貴方に我が国の村や、新たに交流が始まった他国の街の調査に赴いて欲しいの。勿論、一般人を装ってね」


 意外とまともな話であったらしく、無言で頷き返す。


「表面ではまだ問題は無いみたいだけれど、やはり水面下の事となれば何があるか分からないわ。何より魔王が動かない今、他国の動向も気になるところだしね」


 確かに今回の和平の鍵は魔王にあり、その魔王に対抗するために各国は手を結びあったのだ。


 もし仮に肝心の魔王が脅威の対象にならないと分かれば、他国がどのような動きをするかは定かでは無い。


 いや、もしかすれば此度の平和は崩れ去り、再び大陸全土を巻き込んだ戦いが始まるやも知れない。


「分かりましたアルト皇女殿下……ですが、それのどこにフォルテ様の教育係と関係するのでしょうか?」


 その私の問いに対し、アルト様はニッコリと笑みを浮かべて口を開いた。


「関係はあるわ。その調査にはフォルテを同行させますので」


「いや、それは…………」


 不味いでしょう。




「あら、貴方が付いていれば問題無いわよね?」


「いやっ、ですが万が一と云うのも有ります!」


「ええ、そうね。だから貴方に頼みたいのよ、グランスワール王国騎士団長・クレス・スタンノート」


 優しさを称えながら、同時に逆らう事を許さない威厳に満ちた声音。その声に思わず表情を引き締め、意識を張り詰めてしまう。


 執事長に酒は奢らないと心に決め、二人に向き直る。


「はい…………何でしょうか、アルト皇女殿下」


 そんな私を澄んだ翡翠色の瞳で見詰めていたアルト皇女殿下は、視線をフォルテ様へと移した。


「この子はまだ外の世界を知らないわ。今回の件は産まれてからこの城の中でしか暮らしてこなかった、フォルテの見聞を広める良い機会でもあるの…………まだ、この世界が平和な内に」


 淋しげに、そして悲しげに言葉が紡がれた。




 確かに一理在る。アルト様は常々、人の上に立つものはその支えとなっている民の事を知るべきだと言葉にしていた。


 民無くして国は無く、国無くして王は無い。国の土台とは民であり、民あってこその国なのだと。


 将来人の上に立つフォルテ様に今まで知識でしか知ることの無かった民の存在を、その身で知る良い機会なのだろう。


 そしてこの平和がいつまでも続くとは限らないのも事実だ。もしも魔王との戦いが始まれば世界は危機に瀕する可能性が高く、そして……この世界には、平和を望まない者も居る。




「アルト皇女殿下。不肖、このクレス・スタンノート、その大任を受けさせて頂きます」


 膝を折り頭を垂れ、手を胸に当て誓いを立てる。我が騎士道と、姫の騎士である己自身に。


「ええ、宜しくねクレス」


 柔らかく、そして嬉しそうな声が降ってくる。


 そして顔を上げた際、正面からフォルテ様が抱きついてきた。


「クレスッ、ありがとねっ!!」


 いままで黙っていたフォルテ様は喜色満面に、喜びを全身で表している。


 普通であれば何があるか分からない外の世界に恐怖を抱きそうなものだが、流石はアルト様の子だと云うところか。その好奇心も人一倍強いようだ。


 こうして、フォルテ様を伴っての旅が始まりを告げたのであった。




 《Ⅲ》


 背中からは微かな寝息が聞こえてくる。初めての城の外と云うことで興奮していたのもあるが、まだ九歳と幼い身、恐らくは半日も歩き続けたのが原因であろう。


 歩幅に合わせ、ゆっくりとしたペースで来たのだが、既に歩いて来た東の空には夜のカーテンが覆い、チラチラと星が瞬いていた。


 進行方向の西の空はまだ十分に明るいが、もうすぐ山の稜線に太陽が隠れそうだ。私一人であれば野宿でも構わないが、流石にフォルテ様と一緒となるとそういう訳にもいかない。


 移動手段には馬もあったが、そもそも馬に乗って旅をする一般人など居る筈がない。


 馬に乗って旅をするなど大商人か、はたまた貴族以上の身分だと直ぐに一目で分かってしまう。更には馬に乗って町に入れば無駄な注目を浴びてしまい、それでは調査等の任務に支障をきたすだろう。




 そういった理由で、王都から半日も歩き続けてきたのであった。


 もう少し歩けば王都から一番近い町に着く筈であり、その間に疲れて寝ている背中の<娘>を起こさぬよう、慎重に歩き進めるとしよう。


「フォルテ様、もうすぐ町に着きます。起きてください」


 そう声を掛け、微かな振動を与えて眠りからの覚醒を促す。


 そうやって何度か声を掛けると、「んぅー」とむずかるような唸り声が聞こえた。


「町の入り口に門番が居ますので、打ち合わせ通りにお願いしますね」


「はぁーい、<パパ>」


 あくび混じりに、フォルテ様は楽し気に声を揺らす。




 すでに陽は山脈の陰に隠れ、ドップリと周囲は闇に包まれていた。


 視線の少し先には槍を携えた門番の男性が二人立っており、十分に近付いてから声を掛ける。


「こんばんは、遅くまでご苦労様です」


 若者と壮年の男性二人は頷き返すと、壮年の門番が口を開く。


「こんばんは。旅の方ですか?」


 どうやら、打ち合わせ通りに進められそうだ。


「ええ、娘と一緒に旅をしていまして。王都から歩いて来たのですがだいぶ遅くなってしまいました」


「おじさん達こんばんはー」


 背中におぶられたままの<娘>が顔を出して声を掛けた。




 そして、かがり火に照らされたフォルテ様の顔を見た門番の二人は微かに息を呑む。


 フォルテ様の服装は最近の若い娘達の間で流行っている若草色のワンピースに、同系色のフーデットローブと特段おかしなところはない。


 問題はその容姿であろう。まるで叙情詩に登場する湖の妖精のような愛くるしい容姿に、黄金色に輝く麗しい髪艶。


 更には宝石の如く輝く翡翠色の瞳と、驚くのも無理は無い。フォルテ様にかかればどのような服装も、舞踏会に赴くドレスのようになってしまう。


 そして門番達は私とフォルテ様の顔を何度も見比べる。


 執事長のオランに言わせれば、私はどうやらなかなか精悍な顔つきをしているようだ。瞳は一般的な黒みを帯びた赤黄色であり、瞳の色の違いが気になるのだろう。


 だが髪色は似たようなもので、髪型は肩甲骨辺りまで伸びた髪を首で一つに纏めたもの。流石に艶は比べ物にならない程にくすんではいるが、暗闇の中では多少の色の違いなどは母親似で押し通せば問題は無いはずだ。


「失礼ですが、ご職業は何を?」


 父娘の疑いは晴れたようだが、今度は私の素性に疑問を抱いている様子であった。


 まあ、それもまた無理もないであろう。私が羽織った茶色のゆったりとした服装の上からでも、明らかに一般人とは思えぬ鍛えられた身体。そして腰には一本の剣。


「職業は学者をしています。主に地学や精霊学についてですが」


 用意していた答えを出しても門番達の表情はいささか優れない。どうやら腰の得物が気になるようだ。


「ああ、これですか? 旅に危険は付き物なので、護身用に持ち歩いていまして……よかったらご確認ください」


 そういって腰から剣を鞘ごと抜き出し、若い門番へと手渡した。


 見るからに粗悪な作りの両刃の剣。それは見た目通り、ろくに手入れもされていない粗悪品である。




 若い門番は鞘から刀身を抜き出し確認したようだが、刃こぼれした刀身を見ると顔を曇らせた。


 衛兵と云う仕事柄、武器のぞんざいな扱いはあまり好ましく思わないのであろう。隣の壮年の衛兵も顔を覗き込ませると、同様に浮かない顔をする。


「まあ……問題は無いだろう」


 戻された剣を腰に差し込んでいると、壮年の衛兵が話し掛けてきた。


「旅の人、今晩泊まる宿はお決まりですかな?」


「いえ、まだ決まってはいません」


「そうですか、それならこのまま門をくぐって200mほど歩いた場所に宿屋がある。娘さんと一緒ならそこが良いだろう」


 薄暗い道を指差しながら、壮年の衛兵はそう言葉にしてきた。


「ありがとうございます」


 そう頭を下げ、門番の二人に挨拶をして町の中へと足を踏み入れる。


 どうやら怪しまれずにすんだようで、内心ホッと胸を撫で下ろす。


 最初の町から怪しまれていたのではこの先が思いやられてしまうため、中々順調なスタートと言えよう。


 背中のフォルテ様は笑いを抑えているのか、愉しげに身を震わしていた。その様子に苦笑いを溢しつつ、教えられた宿屋へと足を進める。




「おい、旅の人!」


 数歩行ったところで、急に呼び止められた。言い知れぬ不安が鎌首をもたげる中、立ち止まって背後を振り返る。


 若い門番が足早に近付き、僅かな距離をあけて立ち止まった。背中ではフォルテ様が緊張に身を固くし、息を呑む音が聞こえる。





 そして若い門番は私の頭から爪先を見回すと、眉をしかめつつ口を開いた。


「余計なお世話かも知れんが、武器の手入れぐらいはした方が良いぞ。いくら平和だと言っても、盗賊や野犬の類いはまだ出るんだ。そんな時に剣が使い物にならないんじゃ話にならんだろう」


 衛兵は呆れた口調でそれだけ言うと、「それじゃあ気を付けて」と言い残し、持ち場へと戻っていった。




 去っていくその背中になんとか返事して、いまだ動揺を残したままに歩みを再開する。


 そして暫く歩いた頃、ようやく平静を取り戻した。


「フ、フフ………フハハハハハハッ!」


 思わず笑いが飛び出してしまった。愉快、とは少し違うが、人は驚きを通りすぎると笑ってしまうらしい。


 どうやら私はそう云う人間なのだと、産まれて三十と八の月日が経ってようやく気付く事が出来た。これは新たな発見だ。


「ちょっとクレスッ、何を笑っているのっ!?」


 身を震わせながら笑っていたら、背後から苛ただし気なフォルテ様の声が響いてきた。


「いや、すいません……なんだかおかしくて」


 なんとか笑いを納め、そう言葉を返す。


「可笑しいじゃないわよっ!? なんなのあの衛兵はっ、頭にきちゃう!」


 プリプリと怒りをあらわにした声が周囲に響き渡る。


「クレスもクレスよっ、何でなにも言い返さないの!?」


「いやぁ……あんな事を言われたのは産まれて初めてでしたよ」


 染々と言葉にし、先程の衛兵の言葉を思い返す。いや、愉快だ。




 騎士の称号を得て二十数年、数々の武功を立ててきた私が若い衛兵に説教される日が来るとは、正直夢にも思わなかった。


「また笑って……っ!! 貴方は大陸最強の騎士で、魔王討伐軍の最高指揮官なのでしょう!? そんな貴方が、あんな衛兵ごときに…………」


「フォルテ様……いや、<フォルテ>」


 どこか悔し気な、苛立ちをあらわにしている姫君を静かにいさめる。


「この旅の間、私はただのクレス……<クレス・ルーグリット>。そして貴女は私の娘、<フォルテ・ルーグリット>です」


 なるべくゆっくりと、言い聞かせるように紡いだ言葉に、背中から感じていた怒りは徐々に収まってゆく。


「でも…………だって……」


 どこか泣きそうな声音と共に、行き場のない気持ちが私の首に回された、か細い腕に籠るのを感じる。




「ええ、私のために怒って頂きありがとうございます。私はそのお気持ちだけで十分です」


 暫しの沈黙のあと、首筋に暖かく柔らかな感触が触れる。


「私…………あの衛兵キライ」


 そうくぐもった声が聞こえた。


「私に免じて、許してあげてください」


 星明かりの下、宿屋へと歩きながら発した言葉にフォルテ様は小さく、だがはっきり「イヤ」と呟いた。




 《Ⅳ》


 チェックインを済ませ、簡素ながら清潔感のある宿屋の二階へと上がってゆく。流石に清潔感があると言っても、今まで暮らしていた城とは比べ物にはならないが。


 背から降りたフォルテ様は、周囲を興味深そうに眺めながら私の後を付いてきていた。


 そして部屋に荷物を置き、夕食を頂いて部屋に戻りくつろいでいた所で、事件が起こる。




「ねぇクレス、お風呂はどこにあるの?」


 部屋に二つあるベットの一つに腰掛け、フォルテ様は足をばたつかせながらそう聞いてきた。


「風呂……ですか? 恐らく、この町の規模だと存在しないかも……しれません、ね…………」


 言葉を告げていく間に、フォルテ様の表情が徐々に曇ってゆく。


 城の中であれば地下から水を汲み上げ、常に浴場には湯が張られている環境にあった。だが一般的な生活ではそんな事はありはしない。例えここより栄えている街に行ったとしても、公共施設として幾つかの大衆浴場がある程度だろう。


 ちなみに私の幼い頃は、川で水浴びをして済ませていた。


 流石にどこの町や村にも石風呂(サウナ)があるとは思うが、色々な面を考慮するとフォルテ様が使用するには厄介である。




 私のせいでは無い筈だが、なぜか非難めいた視線を浴びせられ、そそくさと宿屋の女将に確認しに行く。


 そして部屋へと戻ってきた私の手には、ぬるい水が張られた桶と数枚のタオルが存在した。フォルテ様は私の顔と手に持った桶との間で、何度も視線を往復させては小首を傾げる。


「フォルテ様、これで身をお清めください」


 そう、なるべく平坦な口調で言葉にした。場に沈黙が降りる。


 そしてポカンとした表情のままのフォルテ様に、説明を開始した。勿論……私が悪いわけではないと云うことを、懇切丁寧に。




 《Ⅴ》


 なぜこんな事になったのか?


 そう、私はぬるめの水に浸したタオルを絞りながら自問自答をしていた。




 先程フォルテ様に弁解と説明を終え、そそくさと部屋から退散した。


 そして暫くして部屋の中から私を呼ぶ声が聞こえた。


「クレスゥ~」


 幻聴だと思いたい。声の質、響き、どれを取っても瓜二つだ。勿論、この背筋をチリチリと刺激する、悪寒に近い感覚までも。


 その経験と本能からくる感覚を理性でなだめつつ、ドアをノックして戸を開けた。部屋に踏み入れた私に、フォルテ様はこう命じた。


「背中が拭けないから拭いて、<パパ>」


 ベットの上に座り込み私に背を向けたまま、後ろ手にタオルを差し出しながら。


 上半身に何も纏わぬままに。




 窓から射し込む星明かりに照らされ、眼に眩しいほどの白い素肌が浮かび上がる。


 ミルクのような乳白色の小さな背中に、金糸のごとき髪が美しいコントラストを描く。


 脂肪は薄く、いまだ女性らしい曲線は描いていない未成熟な身体ながら、その姿はまるで一枚の絵画のように美しかった。


 私はタオルを片手に歩み寄り、もう片方の手で少女の背に掛かる髪をかき分ける。その際に肌に指が触れたのか、ピクリと小さく身を固くした。


 外気に触れる素肌は、まるで降り積もったばかりの新雪を連想させる。


 妙な動悸を抑えつつ極力平静を装い、白磁のような背中にタオルを這わせた。


 少女の緊張が、触れた繊維越しに伝わってくる。


 仄かに血の気の増した薄紅色の肌と、微かに漂う甘い薫り。強張った肌と引き詰めた吐息が、自然と空気を通して伝わってくる。


「ちょっと、クレス……少し痛いわ…………あまり強く擦らないで」


「す、すいません、フォルテ様っ」


 か細い声と、まるで借りてきた仔猫のような態度に、慌てながら言葉を返した。


 背中に嫌な汗をかきつつ、再び手を這わせる。




 どれ程の時間が経ったのだろうか。精神的な疲労具合では数時間も経った気もするが、実際のところは数分も経っていないのだろう。


 互いに一言も言葉を発せず、どこか息苦しいままに小さな背中を拭き終えることが出来た。その事にこっそりと安堵の溜め息を吐いていると、今まで黙っていたフォルテ様の声が響く。


「クレスの手……今まで気にして無かったけど、ゴツゴツして固いのね」


「すいません……ずっと剣ばかり振っていたもので」


 首が左右に振られた。


「うんん、謝る必要は無いの……だってそれはお母様を護り抜こうと、クレスが今まで頑張ってきたからでしょ?」


 左右に凪びいた髪の幻想的な残影に意識を奪われつつ、私は静かに頷いた。


 そして自らの手に視線を落とす。


「そうですね……確かにその通りです。強くならねば、護りたいモノを護る事が出来ませんでしたから…………だから私はただ必死になって、剣を振り続けて参りました」


 私の言葉にフォルテ様は小さく頷き返し、そして無言のままに、左腕を水平に伸ばした。


 これは……背中だけでなく、腕も拭けという意味だろうか?


 私は壊れ物でも扱うかのようにその小さき手を取り、慎重にタオルを肌に這わせる。


 シミ一つ無い、まっさらな純白の肌。それはまるで自分とは酷く対照的な、罪の無き存在に思える。


 私の手は本来、目の前の穢れ無き少女に触れて良いものではない。


 この手は戦場にて幾多の命を奪い、そして我が身は頭から爪先まで、ベッタリと返り血に濡れ爛れているのだから。


 私が今までに築き上げてきた武功とは、つまり屍の山をどれ程築き上げたかという意味だ。


 国を護る為、護りたい人の為――そんな大義名分を振りかざすつもりは無い。


 私は私の意思で、無数の命を奪い取ってきた。そこに同情の余地は無く、慰めの言葉も不要であろう。


 国に英雄と称えられてきたクレス・スタンノートと云うひとりの騎士の道は、死にまみれ、血に濡れた道だという事。




 だがそれでも護ることすら出来なかった物もある。この手をすり抜けた、無数の命があった。


 そして目の前に居る少女の存在は、私と云う罪にまみれた人間が誇ることが出来る尊い存在の一つであり、私の存在意義でもある。




「クレスは、どうして御母様の騎士になったの?」


 まるで私の心を読んだかの様に、フォルテ様が語り掛けてきた。


「そうですね…………それはまさしく、運命のようなものです」


「運命……?」


「ええ、そうです」


 これは当人同士でしか分からぬ事であろう。そもそもあの時の感覚を説明する言葉を、私は持ち合わせていなかった。


 私がそれ以上語らずにいると、フォルテ様は小さく「そう」と呟く。


 何処と無く不機嫌そうなのは、私の気のせいだろうか?


 左腕を拭き終わると、今度は無言のままに右腕が水平に伸ばされた。


 どこか感覚が麻痺し始めたのか、私は自然とその手を取りタオルをあてがう。


「クレスは昔、御母様の恋人だったの?――っ、痛いわ」


「……すいませんっ」


 あまりにも唐突な質問に、思わず力が籠ってしまった。後悔にも似たわだかまりが胸の中に渦巻いているのを感じつつ、慎重に言葉を紡いでゆく。


「違いますよ、フォルテ様。私はアルト様の騎士です――昔から……今まで」


「そう、なんだ」


「ええ……それに、アルト様にはリージュ様がいらっしゃいました」


 リージュ様とは、グランスワール王国と昔から懇意にしていた国の王子であった青年だ。


「そうね。でも私はお父様のこと覚えてないわ」


 リージュ様は元々身体が弱く、フォルテ様が幼少の頃に亡くなられていた。覚えていないのも無理はないであろう。


「それに御母様に昔の話を聞いても、出てくるのはクレスの事ばかりだし」


「それは…………私はずっとアルト様のお側におりましたから……」


「それもそうね」


 それっきり会話は無くなり、身体を拭き終わった後は互いに寝仕度を整える。




「ねえ、クレス」


 寝間着を着てベットに転がりながら、フォルテ様が言葉を発した。


「はい、何でしょうか?」


 荷の中身を確認していた私はその声に振り返り、続きの言葉を待つ。


 暫し言い淀むように口を開閉させたあと、フォルテ様は寝返りをうち背を向ける。


「クレスは、ずっと私の側に居てくれる? 御母様の時のように…………」


 星明かりだけの薄暗い部屋の中に、その言葉は微かな余韻を残しながら染み込んでゆく。


「ええ、私はアルト様の騎士であると同時に、フォルテ様――貴女の騎士でもありますから」


 その背中は身じろぎもせずに、ただ私の言葉を受け止めているように感じた。


「それと、この旅の間は私の<娘>でもあります…………夜もだいぶ更けてきた、もう寝なさい――フォルテ」


 そう言葉にして、私はもう片方のベットへと潜り込む。暫くすると、先程の言葉に対して頷く衣擦れの音と共に、「ン……」と小さい呟きが聞こえてきた。




 少しの間、落ち着かなさそうに寝返りをうつ音が聞こえていたが、それも暫くすると微かな寝息に変化する。それを子守唄に今日一日を振り返りつつ、私は目を閉じた。

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