始まりも終わりもきっと雪に埋もれている 2
その次、目が覚めたとき、まるで天国のような場所にいた。豪奢な天井。
私は手触りのいい布地の夜着を着せられていた。恐る恐る部屋をでる。
誰もいない。
そっと歩く。
暫くすると、広い部屋があった。
そこには大きな食卓と沢山の椅子があった。
食卓の上には豪勢な食事が載せられていて、いい匂いがしたけれど、私には手の届かない世界であったので、これはきっと夢だろうと思った。
夢の中なら一口ぐらい食べたいと思って食卓に近づいてはみたものの、弱った私の腕では椅子すら動かすことは出来ず、料理を取ることも叶わなかった。
だから、じっと立ち止まって見ていた。
急に背後から肩を掴まれた。
見つかった、と殴られるのを覚悟して目を固く閉じて居たけれど、いつまで経っても痛くならないので眼瞼を開いた。
そこには、雪の中で見た綺麗な人が立っていた。
「目が覚めたんだな。椅子すらも動かせないのか。無様だな」
その人はそんなきつい言葉とは裏腹に、椅子を引いて私を抱き上げて座らせてくれた。
更には、スプーンやフォークを掴むのがやっとな私を見て、隣に座り料理を取り分けてくれた。
私は恐る恐る食べ始めた。
少しずつ口に入れる。
食べたことはおろか見たことすらなかったこの世のものとは思えないほど美味しい食事。
今まで食べていた塵とか葉っぱとか落ちて砂まみれになったパンとかとは比べものにならない幸せ。
ろくに食べていなかったため直ぐに満腹になったけれど、この夢が終わるのではないかと不安でスープを何度もすすった。
ふと気がつくとさっきの綺麗な人が私の方を見ていた。
そこでとうとう言わなければと思っていた言葉を口にした。
「私は、死んだのか?」
するとその人は笑った。
「死んではいない。死にかけてはいたけどな」
その笑顔はやはり綺麗だったけれどあまりに冷たく綺麗すぎて、やっぱり自分は死んで悪魔でも見ているのではないかという気持ちになった。
「本当?ここは地獄じゃないのか?」
ただ、口にするスープが温かくて、それだけが現実感を感じさせた。
「似たような物かもな。でも死んではいない」
その人の言葉はとうてい信じがたい物だったけれど、それでも何となく本当のような気がした。
「…」
だから、この夢がもう少し続いて欲しいとスープをすすり続けた。
それでもスープも飲むのも無理なほどお腹いっぱいになった。
私は取り敢えず椅子にもたれて座っていた。するとその人が話しかけてきた。
「お前、名前は?」
名前、なんてものはあったのかわからない。
「あれ、とか、これ、とかって呼ばれた」
教会では少なくとも一度も使われたことが無かった。
「…名前は?」
きっと固有名詞を付ける価値すら見いだせなかったのだろう。
「わからない」
しかし、既にそれは悲しいことでも辛いことでもなんでも無かった。
殴られたり蹴られたり食事を抜かれることさえ無ければよかったのだ。
「じゃあ、今からお前は『胤麗』だ。俺は『睡湖』。今日からお前は俺の為に生きるんだ」
私は驚いてその人、睡湖を見た。
いんれい。
心の中で繰り返す。
すごい、きれい、うれしい。
ゆめみたい。
夢でも良かった。
多分私は笑っていたと思う。
すると睡湖も今度は優しく微笑んでくれた。
こうして私は睡湖の館の住人になった。
睡湖のために生きて、いつか死ぬのだろう。
雪の日は今でも胸が苦しくなる。