ひいらぎ
胤麗:碧の右目と琥珀の左目。黒髪。
睡湖:胤麗を拾った人。綺麗。背筋が凍るような微笑みを浮かべる。何でも屋みたいな仕事。
歌を歌うことで生きている
音の無い世界は悲しすぎて
ひいらぎは、ゆるやかに目を閉じた。
からん、と、鈴が軽やかに鳴った。
「ようこそ、背徳の館フェリシルローゼへ」
館の主は慇懃に例句を述べる。
バリトンの声に導かれ、恐る恐ると足を踏み入れたのはこの世のものとは思えない、美しく儚い夢の世界だった。
私は期待と興奮と、わずかばかりの後悔を感じながら、先を歩く睡湖の後を追った。
どれくらいの時間が経過したのか、全くわからなかった。
館の中の記憶はほとんど無い。
あまりに現実とかけ離れた世界に見たものを脳が処理できなかったのだろう。
ただ私はひいらぎを見つけたのだ。
それだけで語るには十分である。
フェリシルローゼを出ると、睡湖は私に声をかけた。
「胤麗、気に入ったものは見つかったかい?」
しかし、私には答えることなど全く出来なかった。
あの、美しすぎる声はきっと私の空想だったのだろうとしか思えなかったのだから。
今にも泡となり空気に溶けてしまいそうな脆い生命の削り粉の様な歌声は、あまりに信じがたく、むしろあんなものが有り得る可能性など知らなければ良かったと後悔すら覚えた。
そう言葉に詰まる私を見て、睡湖は笑いながら言った。
「ああ、やはりお前は見つけたのだね、ひいらぎを。あれはお前の半身であろうよ、きっと。出会った事はお前たちに幸せと不幸を招くだろうね。値は張るが買ってやるよ。辛く悲しい思いを散々する事だろう。どうか精一杯足掻いて苦しんでのたうち回って俺をたのしませておくれ。」
身の凍るような美しく冷ややかな笑顔に、しかし頷くしかないのだろうと私は首を縦に振った。
硝子細工のような、という印象しか残っていないひいらぎを思い浮かべながら、私は睡湖とひいらぎに囚われてしまっているのだという考えが脳裏を過ぎった。
それは柔らかに絡む蔦に似ているようで、しかし薔薇の棘を持っているに違いない。
それでも、全てが夢の中の出来事に思えて、私はただぼんやりと立ちつくしていた。