横中ミカ 「初恋イモータル」
「日本の高校にはいかない――オレ、来年からカナダ行くんだ」
Q.
気になっている男子とまた同じクラスになったので進路をたずねてみたところ上記の返事がありました。
あなたはどうすべきですか?
A.
――
ふっと目を覚ました横中ミカは、跳び起きると暗い周囲を見回して、隣で静かに寝息を立てている恋人、那珂川リクの姿を認めた。
はぁ、と深く安堵の息を吐く。
そうすると途端にべったりとまとわりつく体の汗が気になった。
悪い夢見のせいだけではない、眠りにつく前の行為の結果だ。
明かりをつけないままスマホを手さぐりし、ベッドの下に落ちていたそれを拾い上げる。
表示された時刻は「21:19」。
なんとも微妙な時間だ。
ひとまずはシャワーを浴びようと決めて、ミカはベッドから下りる。
拍子になんとなく不穏なきしみがあがった。
文字通り重荷から解放されたような、そんな気配だ。
一人用にしては大きめのベッドも、二人はともかく三人で寝るのはさすがにスペース的に無理がある。
見ればもうひとりの彼の恋人、ミカの友人でもある天辺キノエがリクに追いつめられて壁際で大きな体を小さくしていた。
「ふふ」
二人の姿に笑みをこぼして、ミカはクローゼットへ向かう。
――ベッドの買い替えはさすがにうんとは言わない、かな。
交渉の末に置かせてもらった自分たちの小さな衣装ケースから替えの下着を取り出し、乱雑につっこまれていたバスタオルを拝借して寝室を出た。
リクの住まいは築浅の1LDK、風呂トイレは当然別と学生が一人で借りるには少し豪華だ。
これは彼の両親が日本に一時帰国するときに泊まるためらしい。
少し想像を広げてみる。
もしそうなると決まったときに彼は自分たちのこれをどう説明するのだろうか。
渋い顔を思い浮かべてミカは笑った。
向かった洗面所とバスルームの中は、すでにミカとキノエの私物が大きく存在を主張している。
少し鈍い人間でも同棲相手の存在を疑うだろうレベルだ。
もちろん、わざとである。
今はまだ人間関係の構築に苦労しているようだが、本来狭く深く付き合いをするタイプのリクのことだ。
遠からず自分たち以外の誰かがこの部屋に招かれて、もしかしたら泊まって行くこともあるかもしれない。
思うところは少しあるが、あまり束縛を強めて重い彼女と思われるのは嫌だ。
だからこうして先んじてなわばりを主張するマーキングを行うのである。
便利さと快適さの追求のためだけではない。
まして彼がどこまで許してくれるか、の試し行為などではなかった。決して。
「――――」
髪をまとめてアップにし、一糸まとわぬ姿となったミカは浴室に入ると、まずシャワーで肩から下の汗をさっと流した。
体を洗おうとボディタオルに伸ばした手がふと止まる。
浴室内のタオルバーには黒とピンクのボディタオル、それからアイボリーのスポンジがかかっている。
それぞれリク、ミカ、キノエのものだ。
手がついつい彼の黒いタオルへと伸びる、不意に差した魔はいざタオルに触れた瞬間、そのあまりのストロング感に退散した。
乙女の肌には使えるはずもないゴワゴワっぷりである。
男子ってすごい。痛くないんだろうか。
(――危ない危ない)
そもそもタオルが濡れていればあとでリクが使うときに必ずバレるだろう。
彼のことだから「間違えたんかな」くらいで済ますだろうが、もしそれをキノエのいる前で口にされた日にはどれだけからかわれるか、わかったものじゃない。
そんなことを考えながらミカは体を磨いていった。
「――リク。起こしちゃった?」
「や、なんか勝手に起きた」
部屋に戻るとベッドに腰かけたリクがスマホをのぞいていた。
画面の照り返しで以前より少しだけ大人っぽくなった童顔が輝いている。
髪を上げ額の大きな傷跡を隠そうともしないのは、変わっていない。
「目、悪くなるよ」
いまだにときおり不意に感じる懐かしさに目を細めながら、彼が起きているならとミカは照明のスイッチを押した。
んん、と掛け布団を奪いとったらしい丸まったキノエが身じろぎする。
「容赦な」
リクが苦笑した
恋人同士となってまだ二か月未満の彼には遠慮があるのだろうが、付き合いが六年を越え現在ルームメイトのミカからすれば彼女にはこれくらいでいいと思える。
「――てか横中。服着てよ」
ちょっとぶっきらぼうにリクが言う。
ミカが上下の下着をつけただけの姿だからだろう、当然の要求だった。
「リクのなにか貸してもらえる?」
ただこれは別にわざとではない、下着をつけた後に着なおそうとした服の汚れに気づいたのだ。
「服はないんだ……ちょい待って」
心得た様子でリクがベッドを立つ。
言葉を疑う様子もないのに彼の信頼を感じて、少しうれしい。
キノエではこうはいかないだろう。
「オレが着たのしかないけど」
「いいよ」
むしろそっちの方がいい、とは口には出さない。
はしたないので。
「んー……」
二枚のTシャツを手にしたリクは、少し考えたあとでややくたびれた方をハーフパンツとあわせて差し出してきた。
おそらくサイズの問題だったのだろう。
Tシャツを広げると「Ahhhh!」と書かれた吹き出しと、叫んでいるビーバー? が描かれている。
「かわいい」
「本当なんでもかわいいって言うじゃん、女子」
「ふふ」
なんで? と苦笑するリクに笑い返して服にそでを通した。
はじめての彼シャツに自然と背が伸びる。
「……虐待」とリクがなにやら小さくつぶやいた。
「どう?」
あらためて胸を張って感想をたずねる。
聞かれるのを予想していたのだろう、彼の返事は滑らかだった。
「モデルはいいのに柄が変」
「自分のでしょ。それにリク、こういうの好きそう」
「否定できねーなぁ」
頬をこすりながら彼が笑う。
――ああ、変わってない。
それはミカが初めて好きになった人の笑顔だった。
ずっと焦がれていた表情を、前よりもずっと近くで見ることができる。
胸に温かいものが満ちていく、自然とミカも笑っていた。
視線が合う。
笑う彼の目が、まぶしいものをみるようにすっと細くなった。
「ん……」
伸ばされた彼の手が首筋に触れる。
少しのくすぐったさに肩をすくめると、そのままごく自然な動きで顔を引き寄せられてキスをされた。
「――――」
「……あれ、そういう雰囲気じゃなかった?」
驚きに目を見開くと、ちょっと気まずそうにリクが言う。
慌てて首を横に振った。
「ううん、あってる。嬉しかった」
「そか、やらかしたかと思った」
セフセフと言いながらリクが大げさに胸をなでおろす。
自分やキノエがすることに比べれば控え目なのに、それがちょっと面白くてミカは笑った。
「私は、リクの彼女なんだから。好きなときにしていいよ」
「ビンタされることとかない?」
「どんな状況?」
もし恋人同士でそんなことになるなら、それはキスじゃなくて多分前後の状況が相当良くないんだと思うけど。
「そらあれよ、その、もうそれよ」
「ふふ」
真剣な顔で検討をはじめるリクが面白くて、ミカは笑う。
「んー……、うるさーい……」
そこに響いたキノエのうめきに、二人で顔を見合わせてまた笑った。
§
「日本の高校にはいかない――オレ、来年からカナダ行くんだ」
「え――」
何気ない質問のはずだった。
できれば同じ高校に行けたら嬉しい、そんな気持ちでたずねたミカに那珂川リクが「横中だから言うけど」と返した言葉は想像もしないものだった。
なんで、とたずねることさえできずにいると、気まずそうに彼は続ける。
「親の仕事の都合でさ。父さんが単身赴任してたけど、長くなりそうだから母さんと来いって」
「何年、向こうに、いるの?」
「多分だけど三年。高校は向こうで卒業するつもりでいろって言われた」
「……那珂川だけ、残れない?」
少し不満の見える彼のためというより、自身の願望がそんな言葉を口にさせる。
しかし彼は静かに首を横に振った。
「心配だから、来て欲しいって。漫画とかなら高校生で一人暮らしなんて結構あんのになあ」
苦笑しながら、彼は窓の外を見た。
遠くを眺めたままで言う。
「ま、仕方ないよ。オレがそこまで信用してもらえなかったんだから」
「あ――」
静かな言葉に、彼が諦めていることを悟った。
受け容れることにした、が正しいのか。
いずれにせよ彼は決めたのだ、そうするしかないと。
中学一年の出会いからずっと彼を見てきたミカはそれを理解した。
女子には「ガキっぽい」「マシに見えてしっかりバカ」「顔は可愛い」と言われる彼が、見慣れない人間がぎょっとするような額の大きな傷跡を隠そうともしない彼が、ミカにはずっと少し大人の存在に見えていた。
当時は言葉にできなかったが、那珂川リクは自分の中に基準があってそれに従うことを良しとしている男の子なのだと、感覚で分かっていた。
だから彼が一度受け入れてしまったならもう、覆らない。
それだけを、その絶望的な事実だけを直感的に悟っていた。
「そっか」
「うん」
「残念、だね」
「ほんっとそれな。三年だぜ、三年」
純粋な本音を冗談めかして笑うリクに、ミカはそれ以上なにも言えなかった。
それから半年。
暑い夏がようやく終わり、部活を引退して受験に気持ちを切り替えようとしていたころ。
「ねえミカ、那珂川に告白しないの?」
「……」
天辺キノエに、そんなことをたずねられた。
同じ部活で身長も近い彼女だが、三年でクラスメイトになるまではそこまで親しい関係ではなかった。
「しない」
「なんで? 好きなんでしょ」
もっとはっきりと言えば、人当たりが良い一方でときに踏みこんでものを言うキノエのことがミカは少し苦手だった。
最近になって打ち解けてきたのは、クラスが同じになったことや希望の進学先が同じこと、そしてなにより今話題にあげている男子の存在が理由で。
もし彼がいなければこうして二人で勉強しながら話をする機会なんてなかっただろう。
「言いたくない」
「ふうん。じゃああたしが告白してもいい?」
二年のときはとある教師にガチ恋していた彼女が、三年になってその対象を自分と同じ男子に移したのは知っていた。
だからこれは、冗談ではなく本気なのも分かっている。
「――天辺の好きにして」
それでも冷静に返せたのは、キノエの告白がどうなろうと春には彼と引き裂かれると思ったからだ。
「わっかんないなあ。いいの? 那珂川って結構薄情だから、このまま行かせたら忘れられちゃうよ」
「…………」
けれどその核心をつく言葉には耐えられなかった。
胸が苦しい、目の奥が熱くなる。
忘れられるのは、嫌だ。
三年間想っていた相手にどうでもいい存在として扱われたくない。
「ごめん、泣くとは思わなかった」
「――ううう……」
だけど、ミカには三年間の遠距離恋愛に耐えられる自信がなかった。
リクには嫌われていないと思っている、告白すればきっとと思ってもいる。
だけど無理だ。
カナダと日本の距離と時差。
連絡しても迷惑にならない時間は、頻度は?
なにかあったときに彼の連絡が減って、それを不安に思わずにいられるだろうか。そんな自分は迷惑ではないだろうか。
ミカは自身が悲観的な人間だと思っている。
それを少し変えてくれたのが、那珂川リクという男の子で。
だからこそ思うのだ、告白が成功して三年間待つと伝えて――それができなかったら?
裏切りの事実だけが彼に残る。
期待させて、振り回すだけ振り回した身勝手な女として彼に記憶されるのだ。
初恋の男の子に。
それはただの失恋よりずっとずっと辛いことだ。
ただ忘れられることよりも、ミカにとって辛いことだった。
このまま何も言わずに彼を見送れば、少なくとも自分の中に綺麗な思い出だけは残せる。
そう思っていた。
「――あたしは、イヤなんだよね。人を好きにさせといて勝手に外国行って放置して忘れられるとか」
けれどどこまでも率直なキノエの言葉に抑えていた内心が引きずり出される。
「私だって、やだ……!」
忘れないで欲しい、覚えていて欲しい、自分のことを思って欲しい、ずっとずっと、好きでいて欲しい――過去になんてなりたくない
「でも、でも……!」
仕方ない、と彼が口にした言葉、一番聞きたくなかった言葉が自分の口からも出ようとした。
それを。
「だからね。あたしと協力しない?」
「え――」
笑う小悪魔の、そんな言葉が押しとどめる。
「すっごくいいアイデアがあるんだ」
――そうしてクラスメイトから友人、いや同志になった天辺キノエの悪魔的な発想は見事に功を奏したのである。
彼のベッドで、彼と、一緒に彼の恋人になった友人と身を寄せ合いながら、横中ミカは安らかな眠りにつく。
かつて長い間苦しませてきた問いを思い出しても今はもう胸が騒ぐことは無い。
彼との未来は、確かにここにあるのだから。
Q.
好きな男子が三年間海外に行くことになりました。
あなたはどうしますか?
A.
――諦めない。恋は不滅である。




