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第4章:めったに起きないから奇跡なのだ(統計的有意性・p値の概念)

 瀉血を禁じ、安静と水分補給に切り替えたアルフレッドたちの試みは、大きな成果を上げているように見えた。しかし、無情にも「安静群」からも死者は出た。


「おい、話が違うじゃないか!」広場に集まった村人たちの怒声が響く。「バルタザールの瀉血で助かった奴もいれば、お前たちのやり方で死ぬ奴もいる。結局、どっちも運任せの『たまたま』じゃないのか!」


 統計上の差など、目の前の死を前にすれば空虚な数字に過ぎない。アルフレッドは、自分の選んだ道が本当に正しいのか、その重圧に押し潰されそうになっていた。


 その日の深夜。調査本部には、泥のように重苦しい疲労が溜まっていた。

「……すまない」

 アルフレッドが、思考を整理しようと手を伸ばしたその時、ガシャンという音とともに、熱いハーブティーが机に広がった。


「あ、ごめん。手が滑った……」

「いいわ、アル。疲れているのよ」カメリアが手際よく布で拭い、もう一杯、新しいカップをアルフレッドの前に置いた。


 だがその数分後。アルフレッドは再び、ガシャンと二杯目のカップを床へ転がしてしまった。


「……まただ。俺は一体何を……」

「アル、二回も連続でひっくり返すなんて、これはもう偶然じゃないわ。相当な疲れなのよ。今日はもう休んで」


 カメリアの言葉に、アバカスの珠を弄んでいたブルーノが顔を上げた。


「……面白いな。カメリア、今お前は『二回連続だから偶然ではない』と言った。だが、本当にそうか?」


 ブルーノは羽ペンを置き、アルフレッドに向き直った。

「アルフレッド、お前ならわかるはずだ。実力が全く同じ剣士同士が試合をしたとしよう。勝負は時の運、どちらかが勝つ確率は五分五分だ。だが、一方の剣士が『たまたま』二回続けて勝つことは、十分にあり得るだろう?」


「……ああ」アルフレッドは濡れた袖を見つめながら答えた。「二連勝くらいなら、よくあることだ。運が味方しただけ、と言えるな」


「では、三連勝なら? 五連勝なら? ……一体、何回勝ち続けたら、お前は『これは運ではない、実力の差だ』と断じる?」


 アルフレッドは考え込んだ。

「五分五分の条件で、一人が勝ち続ける……。二連勝は四分の一。三連勝は八分の一。五連勝なら……三十二分の一か。三十二回に一回しか起きないことが目の前で起きたなら、俺はもう、それは偶然だとは思わない。相手が強いか、あるいは何か細工があると考え始めるだろう」


「その通りだ!」ブルーノは叫び、アバカスを猛烈な勢いで叩き始めた。


「俺たちが今日直面した村人の怒り……『たまたま』という魔物を黙らせるには、その境界線が必要だ。もし、瀉血治療と俺たちの看護に『実力の差』がないとしたら――つまり、どちらも効果が五分五分だとしたら、これほどの生存率の差が『偶然だけで』生まれる可能性はどれくらいあるか?」


 深夜の工房に、乾いた珠の音がリズムを刻む。ブルーノの脳内では、多くの組み合わせが生まれては積み重なっていく。


「……出たぞ。およそ一千分の一だ」

 ブルーノは、計算結果を方眼紙の余白に大きく書き記した。


「アルフレッド。実力が同じ剣士が十回戦って、十回とも一方が勝つよりも、さらに低い確率だ。この結果を『たまたま』で片付けるには、あまりにも無理がある。これは偶然ではない、『有意な差』があるのだ!」


 翌朝。ブルーノは、詰め寄る村人たちの前で二つのサイコロを放り出した。


「いいか! 私は神ではない。絶対という保証はできない。だが、このサイコロを十回振って、十回とも『一』が出る。お前たちはそれを『たまたま運が良かった』で済ませるのか?」

 村人は黙り込んだ。


「私が計算したのは、その確率だ! 我々の治療結果が、何の理由もなく『たまたま』起きる確率は、一千回に一回もない! お前たちは、その一千分の一の奇跡を信じてバルタザールの言いなりになるのか? それとも、九百九十九回起きる『真実』を信じて、俺たちに未来を預けるのか!」


 ひっくり返った二つのカップと、剣士の勝負の例えから生まれた「偶然を数値化する」という知恵。それが、揺らぎ始めていたアルフレッドに、そして村人たちに、鋼のような確信を与えた。


「行こう、アル。俺たちの武器は、この『一千分の一』という数字だ」


【幕間:天界の観測所にて】


 神A (データ分析官風の神):

「きたきた、p値の導入だ。N=30ずつの比較でこれだけの差が出れば、p値は0.001を下回る。統計学的に文句なしの『有意』だね」


 神B (あくびをしながら):

「ぴーち……? 要するに『偶然にしては出来すぎてる』ってこと?」


 神A:

「そう。現代の科学論文でも『p < 0.05(偶然である確率が5%未満)』なら、とりあえず有意差ありとされる。ブルーノがすごいのは、数学を知らない村人に『サイコロ』を使って、『100%ではないが、無視できないほど確実な差』という概念を叩き込んだことだよ」


 神B:

「でもさ、有意差が出たからって、まだ『なぜ白湯が良くて、血を抜くのがダメなのか』の理由はわかってないよね?」


 神A:

「鋭いな。統計は『何が起きているか(相関)』を教えてくれるが、『なぜ起きているか(因果関係)』を証明するには、もっと厄介な敵……『交絡因子』を排除しなきゃいけない。さあ、第5話、彼らが『偽の真実』に騙されるシーンが見ものだぞ」


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