嫁ぎ先は、デレたらやばい暴虐公爵様でした。
タイトル変更しました。
旧)デレたらやばい暴虐公爵は、お持ち帰りした腹黒王女を逃がさない
――それは、人生で初めて味わう『恐怖』だった。
老齢である国王の、未婚の娘は二人きり。
正妃の娘である姉王女ヴァネッサは誰もが見惚れる美しさで、求婚者が列をなすほど。
対して末王女フィオナの母は早世した上、身分低めの末席側妃。
印象に残らない地味な顔。近眼仕様の丸メガネ。
加えて、どんな勝ち気な令嬢でも戦意を失うほど、のほほんとした平凡な王女だった。
そして本日は、戦勝を祝う褒賞式。
長く続いていた戦争が終わり、やっと訪れた平和なひととき。
先の大戦で命を落とした亡き父に代わり、先陣に立って多大な戦功をあげた現公爵、セオドア・ベルトランにどれほどの褒美が与えられるのかと、皆が期待に目を輝かせていた。
「あの方がベルトラン公爵様……?」
公式の場にセオドアが姿を現すのは、これが初めて。
なんでも悪魔のように恐ろしく残忍で、ひとたび怒れば心臓を一突きにされるという噂まである暴虐公爵。
フィオナは怖いモノ見たさに、騎士の礼をするセオドアへと目を向けた。
「先代のベルトラン公爵は勇敢に戦い、祖国のために尊い命を捧げた」
褒美を賜る玉座の間で、国王の声が厳かに響きわたる。
「そしてその息子セオドアよ、お前もまた見事な働きであった」
……んん、よく見えない。
間近で見られる滅多にない機会なのに、末王女フィオナの立ち位置は王族席の一番後ろ。背伸びをして頑張るのだが、前の人の頭が邪魔でよく見えない。
「我々はベルトラン公爵家の忠義を忘れない。先に与えた褒美に加え、妻として最も相応しい王女を与えよう」
――妻として、最も相応しい王女を与える?
ざわりと玉座の間が揺れ、最前列にいる姉王女ヴァネッサへと視線が集まった。
そういえばセオドアは二十四歳。
年頃が近く、また褒美と呼ぶにふさわしいのは、どう考えても美しい姉王女ヴァネッサのほうである。
当然のようにヴァネッサが降嫁するものだと、誰もが思っていた。
どうしましょう、お姉様ったら、大変なことになってしまったわね。
チラリとヴァネッサを盗み見ると、「神様どうかお願いです。私ではありませんように」と褒賞式の最中にも拘わらず、震えながら天に祈りを捧げている。
でも美しいお姉様が降嫁して喜ばない男性はいないはず。
お姉様大丈夫です。嫁いだら最後、溺愛コースまっしぐらですよ、と他人事のように聞いていたフィオナは、国王の次の言葉に自分の耳を疑った。
「王女の名はフィオナ・クララベル」
「……ん?」
聞き違えたのかしらとフィオナは首を傾げ、私ったらどうかしてるわと微笑んだ。
「まだ十五歳と年若い末娘だが器量も良く、良き伴侶となるだろう」
やっぱり聞き間違いだったわね。
器量が良いと言えば間違いなくお姉様。
あらあら十五歳の若さでお気の毒に、しかも末娘だなんて……。
「……んん!?」
頬に手を当て微笑みを浮かべたまま、フィオナはビシリと固まった。
選ばれたのは、戦功の恩賞と呼ぶに相応しい麗しき姉王女、――じゃない方の末王女。
前列の姉王女ヴァネッサが、「天に願いが通じたのだわ!」と人目も憚らず、感謝の祈りを捧げている。
フィオナへ向けられる視線は悲喜こもごもで、だが九割がた同情の色を含んでいた。
「本日より一週間、王都へ滞在すると聞いているが間違いないか?」
「――仰せの通りです」
「そうか、では折角の機会だ。この後すぐ顔合わせの場を設けるから、フィオナに会っていくといい」
セオドアはフィオナを見る素振りすらなく立ち上がり、一礼して王の御前を退いていく。
堂々とした姿はさすが公爵家。
だがその顔が不快げに歪むのを、フィオナは見てしまった。
いや、不快なんてもんじゃない。
なぜよりによって、お前なんだ!?
不満大爆発、そんな幻聴が聞こえるほど、露骨にイヤそうな顔をしているのだ。
そして退室する直前、セオドアは苛立ったように眉根を寄せた。
お、怒ってる――!?
それもそのはず、怒り心頭に決まっている。
もうほんと、何してくれるんだと泣き叫びたいくらいだ。
命懸けで戦功を上げたのに……それも国王が『一番相応しい王女』などと期待値を上げておきながら、よりによって、じゃない方の末王女フィオナだったのだから。
「な、なんたること。修道院で穏やかに余生を過ごす、私の人生計画が……ッ」
側妃だった母が亡くなる直前、妃同士の権力争いで病んでいく姿を見ていたフィオナ。
母の死後しばらくは国王からも忘れ去られ、王族とは思えないほどの微々たる予算で、わずかな使用人とともに寂れた離宮で過ごしてきた。
まともな予算が組まれ、王宮に呼び戻されたのはつい三年ほど前のこと。
王女とはいえロクな後ろ盾もない。立場が弱いのも重々承知している。
ゆえに余計な波風を立てぬよう、これまで必死に立ち回ってきたのだ。
そこそこの存在感を保ちつつ、けれど目立たぬよう相手を立てまくり……。
常に空気を読みまくるのも楽ではなく、公式の場に出た後はゴリゴリと精神力を削られ、自室ではいつもグッタリと死んだように眠っている。
お茶会に呼ばれた時などは賓客であるにも拘わらず、まるでホストのように場を和ませ……。
そして終わった後は必ず『あの時こうすべきだった』と、部屋で一人反省会を開き、悶々として夜も眠れないのだ。
難しいとは知りつつも、叶うならば成人後は除籍され、修道院で平穏に暮らすことを夢見て頑張ってきたのに。
「……ッ」
誰もが欲する姉王女ヴァネッサがいるのに、なぜ自分なんかが彼の婚約者に選ばれたのだろう。
ショックのあまり声も出ないまま、フィオナは呆然とその場に立ち尽くしてしまう。
何も気にせず、何にも動じず、ただ日々の生活を楽しむだけの、お気楽で平凡な末王女。
……を装う、空気読みまくり気遣いまくり、でもって計算しまくりな、メンタル弱めの腹黒王女。
物心ついてからこれまで、必死で培ってきたフィオナのささやかな幸せは今日、この日。
予期せぬ形で、終わりを迎えたのである――。
***
目に浮かぶのはセオドアの怖い顔。
ただただ迷惑だとでも言いたげに、険しい表情で眉根を寄せていた。
「メイサ、やっぱり……先方から断っていただくのは無理よね?」
「この状況ですと、さすがに難しいかと」
幼い頃から側で支えてくれた、侍女長のメイサであれば妙案が浮かぶかも? と一縷の望みに賭けたのだが、頼みの綱はあっさりと切られてしまった。
「大丈夫です。フィオナ様はいつだって、ご自身で乗り越えてきたではないですか」
いつもの御守りもございますからと、フィオナが大切にしているクマのぬいぐるみまで手渡されてしまう。
今でこそ無くなったが、もとは立場の弱い末王女。
公式の場に出席することを許された後も、王宮内を歩くたび、つらい思いをするのは一度や二度ではなかった。
緻密な計画を練りまくり、時に庇護欲をそそりまくり、努力して、計算して、そして何とかしてきたのだ。
「……わたくし、頑張るわ」
そう、きっと大丈夫。
ぬいぐるみを小脇に抱え、フィオナは意気揚々と立ち上がったのである。
***
――そして、五分後。
「なぜ、ぬいぐるみを?」
テーブルにはクマのぬいぐるみがチョン、と乗っている。
気になるのか、たまに鋭い視線でクマを射貫くセオドアに、フィオナは微笑みを貼り付かせたまま、ビクリと肩を震わせた。
「か、可愛いモノが大好きで、近くにあるとその、安心するんです」
わたくしの宝物ですと言い添えた次の瞬間、ズシリと押し潰されそうな圧をかけられる。
耐えきれずに視線が下がり、フィオナはセオドアの顔が直視できなくなってしまった。
可愛いもので怖いものを中和すれば、多少はマシになるかしら?
新たな仮説は実証されることなく、わずか数秒で終了した。
「先程からまったく目が合わないな。――俺が、怖いか?」
険しい顔をしたセオドアから暗に無礼だと告げられ、喉の奥から小さな悲鳴が漏れる。
肯定も、否定すらできないフィオナをじっと見つめた後、セオドアは立ち上がり、フィオナをそっと抱き上げた。
「俺は貴族社会によくある、遠回しな物言いは好きじゃない。……この結婚は、不満か?」
低く冷たい声と、厳めしい表情。
そもそも拒否できる立場ではないというのに、なぜこのように無意味な質問をするのだろう。
「い、いいえ」
「では、何か望むことは?」
逃れられないほど強い眼差しで射貫かれ、フィオナはごくりと唾を飲む。
さすがに破談は難しい。
でも婚姻関係を継続したまま、白い結婚のような形で別居するのはどうだろう。
もうこうなったら修道院じゃなくても、辺境の寂れた田舎町でもいい。
一人静かに老後を迎えられるような、そんな人里離れた場所にフィオナを隔離してくれれば……。
にこ、とフィオナは微笑んだ。
特別美しいわけではない。だが見れば誰もが心安らぐような、無邪気な笑顔で。
これはもしかしたら、いけるかもしれない。
いつも神経を張りつめて先回りし、気を抜いたら崩れそうなバランスの上で保ってきた、この生活に。
――終わりを告げる日が、ついにきたのだ。
「……であれば、結婚後は修道院に」
「は?」
「辺境でも構いません。王命のため離縁は難しいと思いますので、婚姻関係を保ったまま別の場所に」
満足のいく提案をしたと思ったのだが、なぜかセオドアを取り巻く温度が、ドカンと十度くらい一気に下がった。
おかしい、こんなはずでは……。
いつもと勝手が違う反応に、フィオナの鼓動が早くなる。
「で、できれば心温かな結婚生活を望みますが、無理だった場合は遠慮なく、と」
セオドアを取り巻く空気が、さらに凍りついた。
これも不正解!?
ああダメだ、言えば言うほど怒らせてしまう。
恐怖と緊張のあまり、もはや自分でも何を言ってるのか分からず、穴があったらもう頭の先まで埋まりたいほどである。
「――君の望みは承知した」
程なくして平静を取り戻したセオドア。
肯定するような口ぶりに、やっと長年の夢が叶うのかと、フィオナの胸が期待に高鳴った。
「つまり俺と心を通わせたい、と」
「はい!?」
そんなこと言いましたっけ!? と尋ねる間もなくセオドアは思い詰めた表情で、フィオナの前髪にそっと指先で触れる。
「……善処する」
切なげに瞳を揺らし、フィオナを腕の奥深くに抱き込むと、小さな頭にそっと口付けを落とした。
あの流れからのまさかのゼロ距離に、もはや意味が分からずパニック状態のフィオナ。
そうだ近くにメイサがいたはず、と助けを求めて視線を彷徨わせるが、何ということだろう。
周囲には誰も……常に傍で控えているはずの、フィオナの護衛騎士すら見当たらない。
この広い庭園に二人きり。
思考停止したフィオナの身体は、今や抱き潰されるのではないかと恐怖を覚えるほどの勢いで、セオドアの腕の中にすっぽりと収まっている。
「君が俺を望んでくれるのなら、――全力で愛される努力をしよう」
「へぁ?」
ぽかんと開けたフィオナの口から、情けない声が漏れた。
***
――さて、話は三年前まで遡る。
幼い頃から戦地と領地を行き来し続けていたセオドア。
父の没後、ベルトラン公爵となった後も、相変わらず公式の場に顔を出すことなく、忙しい日々を送っていた。
そろそろ結婚相手をと周囲がお膳立てを始めるも、面倒臭いと拒否し続け、――そして二十一歳を迎えたある日。
ついに国王から、王女との結婚を命じられてしまったのである。
「王女を娶れだと!? これだけ忠義を尽くして、まだ足りないとでも言う気か!?」
用意された部屋に入るなり、セオドアは苛立ったように壁へ拳を叩きつけた。
領地に帰るのですら数年ぶり。さらにはまた戦地へ行く予定もある。
やるべきことは山積みで、多忙を極める中での結婚生活など、どだい無理な話だった。
当分妻を娶る気などなかったのに、ましてや王女など……完全にこちらを手の内に引き込むための策ではないか。
『どちらの王女でも構わない。妻に相応しいほうを選べ』
自分の耳を、疑った。
いや、『妻に相応しいほうを選べ』の時点で、聞き間違いであって欲しいと願ったのだが、戦争が終結したら、褒賞式にて正式に発表するとまで言われてしまう。
こうなったらもう逃げられない。
公の場で、それも恩賞として提示されてしまったら最後、断りたくとも断れないではないか。
「何が選べだ! しかも末王女にいたってはまだ十二歳。立場が弱い上、何ひとつ取り柄のない愚鈍な娘だと聞いている」
「ならば王国の宝石と謳われる、姉のヴァネッサ殿下に決まりですね」
「だが、そちらも遠慮願いたい」
「そんな高望みな……」
「ノックス、口を慎め。女など面倒臭いだけだ」
口煩いが信頼できる護衛騎士ノックス。
睨みつけると、「またそんな怖い顔をして」と呆れている。
実は王命を受けた直後、王宮会議室へと向かう途中で、姉王女ヴァネッサを見掛けたのだ。
噂にたがわず、確かに目を奪われるほど美しかった。
だが命のやり取りをする場所で長いこと過ごしてきたからか、贅を尽くして着飾り、偉そうに侍女達へ命令をする姿は、憧れどころか嫌悪の対象でしかなかったのだ。
不穏な気配を察したのかヴァネッサは辺りを見回し、そしてセオドアと目が合うなりガクガクと震えてその場に崩れ落ち——。
王女なんぞを妻にするくらいなら、いっそのこと弟に公爵位を譲ってしまおうかと馬鹿な考えまで頭を過ぎり始める。
「セオドア様、実は先ほど使者が参りまして、王女殿下達の普段の様子をご覧いただきたいと」
「姉王女には先程会った」
「……妹のフィオナ殿下にも会うように、とのことです。ちょうど姉妹揃ってお茶会を催すため、後ほど案内役を向かわせるそうです」
「必要ない。どうせ怖がって泣き叫ぶに決まっている!」
ノックスの話を中断して声を荒げるが、何の解決にもならないことはセオドア自身が一番よく分かっている。
「……断れないのだろう?」
姉王女であるヴァネッサですら、震えてその場に崩れ落ちたではないか。
その妹ならば尚更だ。
「怯えさせるだけだから、顔合わせはしない。陰から様子を見るだけであれば承知すると伝えてくれ」
普段は離宮に閉じこもっているフィオナが、珍しく王宮でお茶会中とのことで、その様子を観察できる別室へと案内される。
なぜこんな盗み聞きのようなことを……と思わなくもないが、怯えさせて泣かれるよりはマシだろうと、静かに様子を窺った。
***
「ヴァネッサ様のイヤリング、とても素敵ですね!」
「お母様から頂いたのよ。似合うかしら?」
豪奢な宝石を自慢げに見せるヴァネッサと、褒めたたえる取り巻き達。
その空気は、先ほど見た時とまったく同じで、鼻白む思いだった。
妹のフィオナとは三歳差だから、姉は十五歳か。
女性と接する機会はこれまでほとんどなかったが、女とは若い頃からこのように虚栄に満ちた生き物なのだな、と改めて思い知る。
何と無駄な時間なのだと嫌気がさし、ではフィオナはどの娘だろうと気になった。
数人いる令嬢達を順に目に留めていくが、それらしい娘は見当たらない。
「ヴァネッサ様はこんなにも華やかなのに、同じ王女殿下でもまったく違うのですね」
皮肉めいた取り巻きの言葉を受け、最奥にひっそりと座っていた一人の少女が、ピクリと反応した。
ひときわ幼く見える、貴族としての身だしなみを最低限整えただけのその少女は、おもむろに俯き、手にしていたティーカップを覗き込む。
この地味な少女がまさかのフィオナなのだろうか。
だとすると、不敬に問われたっておかしくない場面である。
だがフィオナと思わしき少女はじっと俯き、紅茶を見つめながら身じろぎもしなかった。
まさか泣いているのか?
助けに行くべきだろうかと腰を浮かせたところで、少女がパッと顔を上げた。
「まぁ本当! わたくし、とても地味だわ!!」
誰もが予想しなかった言葉に、その場にいた皆が驚きに目を瞠る。
「なんてこと……自分でも驚いてしまいました」
無邪気に微笑み、教えてくれてありがとうございますと、心からの感謝を述べるフィオナ。
皮肉を言ったつもりが微笑まれ、感謝までされ、取り巻きたちは言葉を失っている。
……何だ、あれは。
思わず目を細めたセオドアの視線の先には、自分を貶める言葉すらも柔らかな笑顔で受け止めてしまう、小さな王女がいた。
「お姉様に少しでも近付けるよう、頑張りますね」
姉を立てつつ、高位の令嬢から順々に褒めていくフィオナ。
さらには思い詰めた顔で「もし失礼でなければ、ご助言をいただきたいのですが」と、申し訳なさげに相談までしている。
すごいな。一見平凡を装っているが、よく考えている。
ヴァネッサに気に入られるため、お世辞一辺倒だったお茶会の場は次第に話題を変え、和やかな空気と共にそこかしこで笑い声が上がり始めた。
気付けば傲慢だったヴァネッサまで、「だから貴女は駄目なのです」などとアドバイスしている。
「思っていた感じと違いますね」
「……そうだな。国王陛下に返事をする前に、もう少し彼女を見てみたい」
自分の目がいつしかフィオナだけを追っていることに気付き、――セオドアは案内役へと指示を出した。
***
フィオナの住む離宮は、王女が住むとは思えないほどに寂れている。
だが一歩足を踏み入れれば、そこには見事に整えられた空間が広がっていた。
掃き清められた廊下も、緩やかに流れる空気も、どこをとっても人の目が行き届いている。
華美なものは何一つないけれど、わずかな使用人達が心を込めてフィオナに仕えているのが伝わってきた。
「これは……素晴らしいな」
「公爵閣下にそう仰っていただけるとは光栄です!」
質素な住まいに呆れられるかと思いきや、使用人達への賛辞を口にしたセオドアに、侍女長のメイサは嬉しそうに微笑んだ。
「王妃陛下のご機嫌を損ねぬよう、予算は最低限しか割り当てられていないのですよ」
「国王陛下はご存知なのか?」
「勿論です。現在は戦時下にあるため、いらぬ不和を招かぬよう配慮された結果です。余ることはございませんが、かといって足りないこともなく、フィオナ殿下のため工夫してやりくりしております」
幼いながらも、とてもよい主なのだろう。
使用人達に愛されているのが伝わってくる。
皆フィオナのため、心を尽くして働いていた。
メイサは落ち着いた態度で、フィオナの部屋へと案内する。
セオドアがフィオナの部屋をノックしようとしたところで、中から声が漏れ聞こえた。
『……ダメだわ。わたくしったら全然ダメね!』
「先客が?」
「いえ。日次恒例、フィオナ様の反省タイムです」
……日次恒例、反省タイム?
まったく意味が分からないが、扉の向こうから聞こえる声は明らかに、誰かに話しかける調子ではなさそうだ。
『あの時、もっといい返しがあったと思うのよ。家宝のイヤリングより、婚約者からの指輪を褒めた時の方が嬉しそうだったもの』
『もっと早く言えば良かったのに、タイミングを間違えてしまったわ! ……あああぁぁ!』
……後悔するあまり、悶えている?
「ひとりで……か?」
「はい。いつもどおりです」
漏れ聞こえる物音から、ベッドの上でゴロゴロと悶絶しているようだ。
『ぐぎぎ……も、戻れるものならあの時に戻りたい』
なんだ、この王女は。
あれほど柔らかに微笑んでいたのに、一人になった途端、こんなにも自分を責めるとは。
『目立っちゃダメ。かといって目立たなすぎるのも、ダメ。もっとちゃんと、考えないと』
強い後ろ盾もなく、正妃と姉王女の気分を害するわけにはいかない末王女。
自分の立場を、よく理解している。
幼くして母を亡くした彼女が考えに考えた末、自分の居場所を作り、でも敵を作らず……立場を守ることができる唯一の方法がコレだったのだろう。
今すぐ駆け寄り、君はよく頑張っていたと褒めてあげたくてたまらない。
お茶会でのフィオナの笑顔を思い出し、セオドアは胸が熱くなった。
その後も長々と続くフィオナの反省タイムに、雷に打たれたような衝撃を受け、結局扉をノックすることができないまま、その場をあとにしてしまう。
気付けばその日のうちに、セオドアは国王に告げていた。
「フィオナ殿下を、妻に迎えたい」、――と。
よもやヴァネッサを嫁にやらねばならないのかと危惧していた王妃は、想定外の申し出に目を見張るが、二つ返事ですぐさま了承。
準備は内々に進められ、セオドアの強い希望により、公爵家からの支援金を合わせた予算がつけられた。
そして離宮から王宮へと居を移し……。
長かった戦争が終わり、やっと彼女と再会する日が来たのは、なんと三年も後のこと。
フィオナの顔を褒賞式であえて見ずにいたのは、再会の喜びを最大限に味わいたかったからである。
誕生日が近いと知って、王都で一番人気のクマのぬいぐるみを匿名で贈ったのは秘密だが、宝物だと聞いた時は嬉しくてたまらなかった。
怯えている様子が見て取れるが、王命であるこの婚約は覆せない。
けれど彼女が少しでも心温かな生活を望んでくれるのなら、セオドアの不器用な愛情でも、寄り添うことができるかもしれない。
自分の気持ちを外に出すことが、とても苦手な、――彼女のために。
***
「君が俺を望むなら、全力で愛される努力をしよう」
「へぁ?」
そして場面は現在に戻り、フィオナはぽかんと口を開けて、セオドアを見つめていた。
「……公爵邸にも可愛いモノはある」
「ええッ!? ベルトラン公爵邸にですか!?」
暴虐公爵と名高いベルトラン公爵邸にあるものといえば、鉄製の拘束具とか、重い鎖とか、怪しげな三角木馬とか――そんな表立っては口にできない秘密道具盛りだくさんのイメージしかなかった。
だが、ここで油断は禁物だ。
彼の『可愛い』と、フィオナの思う『可愛い』が同じベクトルだとは限らない。
夜な夜なうっとりと、拷問道具を愛でている可能性だってあるのだ。
「トゲだらけの鞭、とか……?」
「…………ちがう」
若干間があったのは気のせいだろうか。
もはやいつもの計算は追い付かない。
フィオナは完全に素の状態だが、それどころではなく嫌な予感がヒシヒシと押し寄せる。
「し、失礼ですが公爵閣下、『可愛い』がどのようなモノかご存知ですか……?」
もしセオドアの『可愛い』が拷問道具のことだったら――?
最悪、王宮脱走計画を今すぐ練らなければならない。
「当然だろう、可愛いモノは知っている」
生命の危機を前にして、目まぐるしく回転し始めたフィオナの思考は、セオドアの次の一言に停止した。
「――君の、ことだ」
「ひぇ」
驚きすぎて、人生で二度目の変な声が出てしまう。
何を言われたのか理解ができず、遠慮がちにセオドアの顔を覗き込む。
セオドアは相変わらず恐ろしい眼差しで、ギロリとフィオナを睨みつけた。
「……ッ!?」
「近々、公爵邸に招待する」
「あ、ありがとうございます……?」
冷酷非道なはずの暴虐公爵は、相変わらずの鋭い視線でフィオナを見つめている。
だがその目元にほんのり浮かぶ朱に気付き、フィオナはもう何も言えなかった。
ただ、たまらなく恥ずかしくなって、――慌てて、目を伏せたのである。
***
――その後、セオドアは一週間、王都に滞在した。
そして『遠回しな物言いは好きじゃない』と宣言したセオドアの言葉に、嘘はなかった。
まるで日課のようにフィオナのもとを訪れては、怖い顔で睨みつけ、たまにボソリと特大のデレをかまして去っていく。
フィオナは毎度すべての体力を奪われ、反省タイムもそこそこに、倒れ込むように眠りに落ちてしまうのだ。
ちょっとした会話の中にいつもさりげなく公爵邸行きの話を混ぜ込んでくるため、それならとフィオナが小さく頷いたのを、セオドアは見逃さなかった。
これ幸いと小脇に抱え、ついにそのままベルトラン公爵邸へと持ち帰ることに成功したのである。
「本人の強い希望だから」と国王に堂々と宣言し、以降、王宮へ返すつもりなど微塵もない旨、言いつのる。
そしてフィオナへは「事なきを得たから問題ない」と、セオドア直々に報告をした。
ついでに離宮にいたフィオナ馴染みの『シゴデキ使用人達』を根こそぎ引き抜き、公爵邸内の体制も万全に整えてある。
「セオドア様はどんなことにも本気で取り組むタイプでして……申し訳ございません」
「いえ、その……思いのほか、情熱的な方だったのですね」
「昔はこんなんじゃなかったんですよ?」
ノックスと仲睦まじく話す様子が気に入らなかったのだろうか。
セオドアは大股でズンズンとフィオナのもとに歩み寄った。
「まだ、俺が怖いか?」
そういえば初めて会った時も、同じことを聞かれた気がする。
フィオナは少し考える素振りをした後、――セオドアの問いに、小さくコクリと頷いた。
ピクリとセオドアの片眉が上がる。
見下ろす視線は凍りつくようで、フィオナはゴクリと息を呑んだ。
フィオナは俯き、足元を見つめる。
身じろぎもせず、そしてしばらく黙りこくった後、――決心したようにパッと顔を上げた。
「一番怖くて……、一番、好きです」
「なッ!?」
セオドアはこれまでの人生で味わったことのない多幸感に襲われ、ふらりと一歩、後退る。
素なのか、計算なのか……。
頼むから素であって欲しい。
だが計算であっても、構うものか。
今日から一週間、公爵領で感謝祭だ。
あまりの嬉しさにセオドアの心の声が、すべて口からダダ洩れている。
さらに二、三歩よろめいたあと、セオドアはやっとのことで踏みとどまった。
「……公爵閣下はいかがでしょうか?」
何も気にせず、何にも動じず、ただ日々の生活を楽しむだけの、お気楽で平凡な末王女。
……を装う、空気読みまくり気遣いまくり、でもって計算しまくりな、メンタル弱めの腹黒王女。
セオドアは答えを探すように、眉根をわずかに寄せる。
軽々とフィオナを抱き上げ、揺るぎない眼差しでその顔を覗き込んだ。
「君以外の選択肢がないから、順番は付けられない」
「ッ!?」
攻守交替、まさかのデレ返し。
そうくるとは思わず、フィオナは恥ずかしさのあまり、顔を背けることしかできない。
王宮へと返すことなく婚約式を終え、結婚を待つのみとなった、——じゃないほうの末王女。
本当の自分でいられる居場所がずっと欲しかった小さな王女は今、耳の先まで紅く染め、セオドアの腕の中で恥ずかしそうに微笑んでいる。
そしてフィオナが頑張り過ぎてしまうたび、不器用な暴虐公爵は、そっと寄り添ってくれるのだ。
――大丈夫だ、と。
彼女のすべてを、受け止めて。
お読みくださりありがとうございました。
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