第10章86【偽りなき炎】
村の空気が変わったのは、あの鐘のような音が響いた直後だった。
地面が微かに揺れ、草木がざわめく。村人たちは不安そうな面持ちで身を寄せ合い、広場の賑わいは瞬く間に消え去った。
「アリシア、セラ。すぐに村人たちを避難させてくれ」
かおるは剣を抜きながらそう告げた。
アリシアは頷く。「わかった。気をつけて、かおる」
セラもすぐさま動き出し、慣れた手つきで村の子どもたちを誘導する。だが彼女の表情はどこか張り詰めていた。
「この気配……魔族でも、魔物でもない。これは……もっと深いもの」
かおるは剣を構え、森の東へと向かう。その先に待ち構えていたのは、先程の白銀の髪の女だった。
「来たか。かおる」
「俺の名前を……誰だ、お前は」
女は微笑むようにして名乗った。
「エルリナ。……かつて、お前の故郷を滅ぼした者のひとり」
その言葉に、かおるの意識が一瞬ぐらつく。胸の奥で、焼け落ちる街と、泣き叫ぶ声が蘇った。
「……何のために、村を襲う」
「因果を清算するためよ。この地には、"鍵"がある。お前の内に、それは眠っている」
意味のわからない言葉。それでも、エルリナの瞳は真実を語っているように思えた。
その瞬間、彼女の周囲に黒炎が立ち昇る。熱さはなく、ただ空間を蝕むような異質な炎。
「来い。偽りの英雄よ」
エルリナが手をかざすと、炎の中から異形の獣が姿を現した。三つ首の狼のような姿をしたその存在は、見る者の理性を削るような威圧感を放っている。
「アリシアがここにいたら……お前の言葉で迷うかもしれない。でも、俺は――」
かおるは剣を構え、地を蹴った。
「そんな炎には負けない! 俺は、俺の意思でここにいる!」
異形の獣との激突。村の外れに火花が散る。
一方、村の避難誘導を終えたアリシアとセラも戦場へ向かう。
「セラ、あなた……戦えるの?」
「薬師ってのはね、ただ薬草を煎じてるだけじゃないのよ。命を守る方法、たくさん知ってる」
セラの目が鋭くなる。「それに、かおるを……あいつを放ってなんかおけない」
二人がたどり着いたとき、かおるはすでに血を流していた。
だが、彼の剣は折れていなかった。
「かおる!」
「来るな、アリシア……っ、こいつの相手は、俺が……!」
その叫びは、誓いにも似ていた。
エルリナは冷ややかに笑う。
「やはり、お前は偽りの器ではなかった……面白い。ならばその心臓ごと、鍵をいただこう」
黒炎が再び燃え上がる。セラが小瓶を投げ、炸裂する白煙がその炎を打ち消す。
「少しは冷やしなさいよ」
アリシアも剣を構え、かおるの隣へ並ぶ。
「かおる、あなたは一人じゃない」
かおるは少しだけ笑った。
「ありがとな。二人とも……行くぞ!」
三人の力が交錯し、戦場に新たな風が吹いた――