第9章79【目覚めの声、調整者の囁き】
夜が明け、朝の陽光がかおるの頬を温かく撫でていた。
昨夜の出来事が夢だったのかと錯覚するほど、村はいつも通りの静けさに包まれていた。
「おはよう、かおる。……顔色が少し悪いわよ?」
アリシアが心配そうに声をかけてくる。朝食の支度をしながら、ちらりとこちらを見やる。
「いや……昨日のこと、やっぱり気になっててな」
「……私もよ。記録の使徒、選ばれし者、“調整者”――」
二人は目を合わせ、互いの不安を察しあった。
そのときだった。外から小さな声が響いてきた。
「かおるー! いるかー! 起きてるー?」
玄関を叩く明るい声。それは、久々に聞く声だった。
「セラ……?」
扉を開けると、そこには旅装束姿のセラが立っていた。
以前より少し髪を伸ばし、旅で日焼けした肌が印象的だ。
「なんだよ、珍しいな。どうしたんだ、急に」
「ちょっと、村の近くに用があってな。それで、ついでに顔出したんだ」
セラは笑いながら家の中に入ってきた。以前のような距離感は保たれている。
アリシアも軽く会釈し、席に勧めた。
「相変わらず仲良さそうでなにより。安心したよ」
セラはどこか寂しげに言いながらも、表情には柔らかさがあった。
「で、本題は?」
「……この辺りで、最近“時空の歪み”が検出されたって情報があってな。気になって調べてたら、やっぱりこの村だった」
かおるとアリシアは目を見合わせる。
「“調整者”の動き……始まってるのかも」
セラはうなずいた。
「私の情報網でも“観測者”って名前の連中が動いてる。おそらく、彼らが“調整者”に近い存在だ。世界のバランスを保つために、異物――つまり“転生者”を監視し、時に排除する存在」
「……つまり、俺のことか」
「気をつけろ。今回、奴らは“本気”で動いてる」
その言葉の裏に、凄まじい重みがあった。
セラはしばらく滞在すると告げ、周囲の調査を進めるという。
その日は特に事件もなく、夕方を迎えた。
──が、夜になると空気が一変した。
村の広場の中央に、突如として黒い球体が現れた。
重く、揺れるように漂いながら、中心から“何か”が出現する。
「これは……っ!」
アリシアが剣を構える。かおるも無意識に構えを取る。
黒い球体から現れたのは、漆黒のローブを纏い、顔のない存在だった。
その手には、歪んだ砂時計が握られている。
「時間が……歪んでいる」
アリシアが呟いた瞬間、男の声が空気を裂いた。
『異端の来訪者。汝らの存在は、許容範囲を逸脱している。調整を開始する』
──それは、“調整者”そのものだった。
セラが飛び出す。瞬時に魔法を展開し、周囲に結界を張る。
「かおる!アリシア! 今は戦うな。ここは一時撤退だ!」
「けど!」
「相手の力を把握してからじゃないと、無謀だ!」
やむなく、三人は森の奥へと退避する。
背後では、“調整者”がゆっくりと村に向かって歩みを進めていた。
その足跡から、時空の波が不規則に広がっていく――
「……あいつは、ただの敵じゃない。世界の“修正力”そのものだ」
セラが息を整えながら言う。
「これから、日常を守るために、俺たちはあいつに立ち向かわなきゃならない」
かおるの言葉に、アリシアとセラがうなずく。
森の木々が風に揺れる中、かおるは静かに決意を固めた。
──守るべきものは、確かにここにある。