第4章30【ライターは笑わない】
王都地下、“灰の図書館”。
かおるとアリシアは、崩れた階段の奥、最深部にたどり着いた。
そこにあったのは、異様な空間だった。
宙に浮く本棚。逆回転する時計。
まるで世界が“誰かの手”で書き換えられたような、捻じれた記録の残滓。
「アリシア。ここが“やつの中枢”だ。絶対に気を抜くな」
アリシアは、小さくうなずく。
「……かおる。君の記録も、書き換えられたりするの?」
「わからない。でも、もしそうなっても……“俺は俺”を信じる」
彼らの前に、音もなく“影”が現れる。
人型だが、人ではない。仮面をつけ、手足は糸のように宙に浮いている。
「ようこそ、記録者。私は《ライター》――記録を上書きする者」
《ライター》の声は、鼓膜を通らず脳に直接響いた。
「君たちの行動は、すでに私の記録にある。“ここで私に出会い、敗北する”と」
アリシアが剣に手を伸ばすが――動かない。
「っ……! 体が……っ!」
「君に“動く記録”は付与していない。君は、まだ立ち位置のままだ」
かおるが一歩、前に出る。
「……記録ってのは、そんなに都合よく書き換えられるもんかよ」
「そうだとも。君の“存在理由”すら、私は書き換えられる。君の名も、思い出も」
「だったら――書き換えられる前に、俺が“お前の名前”を記録してやるよ」
かおるは、懐から一枚の“白紙の紙”を取り出し、ライターへと投げつけた。
紙は仮面に張り付き、空間が歪む。
《ライター》がわずかに後退した。
「その紙……記録されていない……? 空白が……?」
かおるは、小さく呟いた。
「記録:ライター、システムエラーにより停止」
その瞬間、《ライター》の身体にヒビが入り、崩れ始めた。
「記録……されていないものに、敗れる……など……」
仮面が割れる。だがその中身は、何もなかった。
空っぽの器。
かおるは崩れたライターの残骸を見下ろし、そっと言った。
「“書かれた物語”より、“語られていない想い”のほうが、強いってことだ」
アリシアが、かおるに駆け寄る。
「無茶しすぎ……でも、ありがとう。……ほんとに」
「こっちこそ。お前が隣にいたから、記録されない未来を選べたんだよ」
アリシアは照れながらも、静かに笑った。
「じゃあ……もう少し、隣にいてもいい?」
かおるは、力強くうなずいた。
「もちろん。“記録に残したいくらい”にな」