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己の罪を知る(ニコライ)

「宰相、皇妃についての意見を聞きたい」


俺の言葉にペトロフ侯爵はふっと鼻で笑う。傍に控えた侍従長の顔色は青だが、おそらく俺の顔色も似たようなものだろう。


そのくらい圧がすごい。


「そういうことは嫁の父親ではなくご自身の父親に相談してください」


そう言って侯爵はこれ見よがしに懐から時計を出す。


「迎えの馬車を出したので、もうすぐいらっしゃいます」



その言葉通り、父上がきて……。



「ニコライ、どうかこれ以上アナスタシアを無下に扱うのはやめてくれ。全ては私のせいなのだ」



その言葉と、床に膝をついて頭を下げるその姿に俺は驚いた。



「私は、お前がアナスタシアに支えられて再び立つ姿を見たとき、あのときロシャーナの理想を見た気がした。あれを実現させる、そのために自分はこの時代に皇帝になったとさえ思った」


それは、怪我から復帰した俺が皇后を伴って皆の前に姿を現したときのことだろうか?


「お前は隣に立つアナスタシアと微笑み合っていた。だから今度こそ上手くいく、私はそう思った」


今度こそ、か。



父上は昔から皇后を俺の妃にしようとしていた。


初めて顔を合わせたあと、父上にどうだったと聞かれて「可愛い子だった」と言った瞬間にアナスタシアは俺の婚約者に内定していた。


父上たちは準備を重ね、俺もそれに納得してアナスタシアと交流し、あの日もナターシャに出会う直前まで皇后に婚約を申し込むつもりでいた。


あのときナターシャに会わなければ。

そんなことを思っても意味はない。



俺はあの日、ナターシャに一目で惹かれた。


皇太子としての責任とか、国の将来とか。今まで息をするように当たり前にあった思いが嘘みたいに消えて、ナターシャを妃に迎えて自分のものにするんだという狂おしい思いに駆られた。


周りは反対した。


当時はそれに憤ったが、いまなら当然だと分かる。


皇太子の俺が皇后として資格も器でもないナターシャを娶るといったのだ。当時のナターシャは子爵令嬢だったが、今の冷静な目で一歩引いて見れば皇妃にすらなれなかっただろうと分かる。


ナターシャの裏切りを薄々と感じていたのように、ナターシャを后に迎えるわけにいかないと薄々と感じていたのかもしれない。


後継ぎができれば周囲は結婚を認めてくれるという思いとナターシャへの肉欲に駆られて最初の頃は頻繁に夜を共にしていたが、最後の頃は「私をもう愛していないのね」とヒステリックに叫ぶナターシャを宥めるために抱いていたくらいだ。


そう言えば、ナターシャがヒステリックになる原因は決まって皇后だった。



ナターシャは茶会や夜会に参加したがったが、彼女の作法では皇太子の婚約者として出席させるわけにはいかなかった。


結果として俺は一人で出席することが多く、そんなときに皇后と会ったと知られればナターシャはヒステリックに暴れた。



ナターシャが勘繰るような疚しいことは何もない。


一強のペトロフ侯爵家には社交をして顔を繋ぐ必要はあまりなく、彼女も俺と同じく必要な夜会にだけ参加しているようで、男と女の必要は違うことから俺が彼女と顔を合わせることも稀だった。


仮に同じ夜会に参加していても、ただ同じ空間にいたというだけ。


皇族の俺とペトロフ家の彼女、どちらも周りには大きな人垣で、遠くから会釈するだけで終わるのがほとんど。


いつだって彼女の兄のアレクセイがエスコート役としてくっついていたから二人で話すなんてことは一度もなく、会話をしたといっても主にアレクセイ相手で彼女とは軽く挨拶する程度だった。内定していた婚約を反故にした自分から話しかけるのも変だし、皇后が俺に淡い恋心を抱いていたことも知っていたので罪悪感もあった。



それなのにナターシャはヒステリックになった。


「やっぱりアナスタシアがいいのね!」


皇后との婚約話が出ていたからナターシャは過敏になっているのだと、そう自分に言い聞かせながら騒ぐ暴れるナターシャを宥めた。


「愛しているなら証明して」


抱いてすむなら簡単だと思いながらナターシャを抱いた。



そんな日々も、テロリストの襲撃を受けて一変した。



怪我が原因で歩けなくなると、俺の周りからどんどん人は減っていった。


この国の貴族としての判断を仕方がないと理解しつつも、心の感じる虚しさは拭えず、俺はぼんやりと一日一日を過ごしていた。



「何をウジウジしているのですか!!」


誰もが俺を腫れ物のように扱う中、皇后だけは俺の無気力を怒った。


母である侯爵夫人譲りのふわふわとした可憐な妖精のような見た目なのに中身は苛烈で、アレクセイを筆頭にその場にいた者たち全員を一列に並べて喝を入れる皇后の姿を見ながら「やはり宰相の娘なんだな」と変な感心をしてしまったことを覚えている。



あの日から少しずつ俺のぼんやりした視界がクリアになった。


彼女は容赦がなく甘えを許さなかったが、ほんの僅かなことでも何かできれば自分のことように泣いて喜んでくれた。


俺がまた歩けるようになったのはそんな彼女のおかげだった。


でも感謝と媚薬を盛ったことは別だ。


あんな卑怯な―――。



「あの日、お前に媚薬を盛ったのは私だ。アナスタシアではない、あの子は知りもしなかった」


……は?

いま、父上は、なんと?


「アナスタシアはお前を好いていたし、あの子はペトロフだ。だから問題ないと、私はあの子がいつもお前のために淹れていた薬膳茶に媚薬を入れるように侍従長に命じた」


いつも飲んでいた薬膳茶。

侍従長。


あの日、皇后がいれてくれた薬膳茶を飲み……皇后を抱いた。


夜も更けて人の少ない政務棟の俺の執務室で、記憶は朧気だが、床に彼女を組み敷いて、空が白けだしたところで俺の様子を見にきた先代侍従長が俺たちを発見するまで俺は彼女を抱き続けていた。


彼女は処女で……俺は彼女の花を散らした責任を取る形で婚約をして……皇后が謀ったと、ナターシャと同じ手で婚約を成立させた皇后を恨んで、憎んで、蔑んで……。



「皇后は……彼女は、知らなかった?」


あのとき媚薬入りの薬膳茶を飲んだのは俺だけ。


あれは彼女が俺のためにと薬師と相談して作ってくれた俺だけのためのものだから、彼女はいつも自分は別のお茶を飲みながら俺の側で……笑って……。


「皇后は……」


あのとき皇后はどんな様子だった?


分からない。

覚えていない。


気がついたときには皇后は侍女たちに囲まれていた。

俺はあのとき彼女を見ていない。


どのような様子だったかを知らない。



ずっと、俺に媚薬を盛ったのは彼女だと思っていた。


俺がそう思っていることを彼女も否定しなかった。


でも違った。


彼女は何も知らなかった。


何も知らずに俺に襲われた。



「そんな……」


彼女にしてきた仕打ちが頭の中でぐるぐる回る。



初夜の床で「君を愛することはない」と言い放った俺を彼女はどんな顔で見ていたのか覚えていないが、優しく抱かなかったことは覚えている。


あの夜、義務は果たしたとばかりにさっさと部屋を出っていった俺を彼女はどんな顔で見ていたのだろうか。


自分を襲った男にまた抱かれるなんて怖かったに違いない。


どれだけ悲しい思いをさせてきたのか。

どのくらい俺のせいで泣いただろうか。


俺は彼女に……。


「謝らなければ……「陛下!」……侯爵?」


ふらりと立ち上がりかけた俺の四肢がペトロフ侯爵の出した氷で椅子に固定される。


膝下全てを覆う氷、炎魔法で簡単に溶かすことができるが、そうしてはいけない気がしてそのままペトロフ侯爵に向き直る。


「今までのように振る舞えないなら、あの子には会わせません」


今まで、通り?

真実を知って、それでもなお今までの通りに振る舞えと?


「なぜ?」


いや、なぜかは分かる。

じわじわと戻り始めた脳の機能が“なぜ”の答えを弾き出す。


「お分かりのようですね」


俺は今までのどの仕打ちも彼女にもう謝罪できない。


ーーー 大丈夫ですわ。


そう言った彼女の瞳から消えたのは俺への愛情。



「あの子はやっとあなたを諦められた。いまさら謝罪して、あの子を煩わせるような真似はおやめください」

皇后アナスタシア視点に戻ります。

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