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当たり前と思っていた(ニコライ)

「宰相と話し合いたい。予定を調整してくれ」


俺の指示に従うため侍従長が執務室を出ると、俺は姿勢を崩して椅子の背にもたれながら皇妃候補者のリストを見る。


皇后の字……これが原本なのだろう。


本気か、などとよく彼女に問えたものだ。

乱れることなく綺麗に並んだ文字が彼女の本気を伝えてくる。



妻が夫の愛人を選ぶような歪な行為だが、皇后に従う立場になるため皇后が皇妃を選ぶのはロシャーナの慣習だ。


父上にも皇妃がいた。


父上が皇妃を娶ったとき「自分で選んだのだから受け入れろという意味なの」と俺にそう言った母上の悲し気な顔には『仕方がない』という思いが滲んでいた。



皇妃候補者になったご令嬢たちは、俺とは少々年齢は離れているせいか面識はあまりなく印象も薄い。


それは皇后も、そしてあの場にいた貴族の誰もが分かっただろうが、それでも「問題なし」とこのリストが認められたのは皇妃は俺の子を産むための存在だからだろう。



「子ども、か」


2ヶ月前、ザイツェ伯爵の手引きでナターシャが俺の子ども、ミハイルを連れて登城した。


ミハイルの存在が衝撃的過ぎたからか、死んだと思っていたナターシャとの再会には驚きはしたものの、自分でも驚く程あっさりと受け入れていた。



ナターシャを忘れていたわけではない。


つい先日も月命日の墓参りをしたし、皇后に対して「ナターシャならば」と何度もいい続けてきたんだ、そんな都合のいいことは言わない。



ナターシャが死んだと聞かされたあとは、俺に届いた見舞いの花や菓子を見るたびに「ナターシャが好きだったな」と彼女を思い出すことが多かった。


ナターシャの声を思い出せなくなったのはいつの頃か。


そしてナターシャと再会して、こんな顔だっただろうかと違和感を感じて、自分がナターシャの顔を忘れていたことに気づいた。


皇后に対して言い続けた「ナターシャならば」は、一体どんな“ナターシャ”だったというのだろう。



ナターシャの見た目は、以前城の絵師が描いた彼女の肖像画と照会してみたが、あまり変わっていなかった。


相変わらず美しかったし、絵が描かれた頃よりも性が強調されて女性として魅力的とも言えたが、俺はそんな彼女に惹かれることはなく、むしろ彼女は俺の目には醜悪に映った。


恐らく、あの大きな瞳に灯る欲のせいだろう。


野心が悪いとは言わない。しかし隠すこともできないほど滲み出る欲の深さは醜悪だった。



……瞳。


あの日、「もう大丈夫ですわ」と言った瞬間に何かが消えた皇后の瞳が忘れられない。



 ***


「陛下、ナターシャ様が面会を求めて……その、部屋の外に……」

「追い返せ」


再会した俺がまたナターシャを寵愛すると、彼女はそれを期待していし、そんな期待を持つ理由も理解している。


俺と皇后の不仲は有名。しかも城で働く者たちは俺が「ナターシャなら」と皇后に言うのを見聞きしているのだから。



ナターシャの後見であるザイツェ伯爵もそれを期待している、むしろそれを見込んでナターシャの後見を引き受けたと言える。


ナターシャはミハイルと離宮に滞在しており、再会したあと俺は私的に離宮にいき、俺と二人になったところでナターシャは俺にしな垂れかかってきた。


「今も変わらずお慕いしております」


その言葉に一切揺れない自分の薄情さに嫌気がさし、ナターシャの目から視線を逸らしたところで首飾りに気づいた。


「覚えていてくださったのですね」


妙なほど目を引く首飾りだと思っていただけだが、ナターシャのその言葉にその首飾りが以前彼女がよく身につけていた“お気に入り”だと思い出した。


俺が昔を思い出したことに気をよくしたのか、ナターシャはこれまでのことを話し始めた。


ペトロフ侯爵家に命を狙われて隣国に逃げるしかなかったと、その後は侯爵と皇后への悪口雑言が続いたが俺は全て右から左へと流した。


ナターシャの証言が嘘だと分かっていた。


なぜならナターシャが生きているから。ペトロフ侯爵は目的のためなら容赦など一切しないし失敗もしない。彼に命を狙われたことが本当ならナターシャが生きているはずがない。


皇家の助けもなく独力で逃げ切り、隣国で再起を図っていたなどペトロフ侯爵を知る者なら誰も信じない。


だから誰もナターシャの話の裏取りなどしなかった。それが本当なら一人無敵艦隊のペトロフ侯爵を貶められるというのに。



「焼け木杭についた火を消しにまいったのですが、その必要はなさそうで安心いたしました」


離宮から戻った俺を執務室で出迎えたのはペトロフ侯爵で、「これは宰相として陛下に提出いたします」とだけ言って少し端が黄ばんだ紙の束を置いていった。


そこにはナターシャが愛人の手引きで隣国に渡ったまでの、数日分の抜けはあるが、詳細が書かれていた。怪我をして歩くこともできなくなった俺に将来はないと笑いながら宿で男と抱き合う様子も細かく書かれていた。



裏切られたという気持ちにならなかったのは、俺自身が婚約中からナターシャの裏切りをなんとなく感じていたからだろうか。


それなのに……何が「ナターシャなら」、だ。



嬉しくない話だが俺の勘は正しく、ナターシャは俺と婚約していた間も複数の男と関係を持っていた。


つまり誰の子か分からない、だから神殿でしっかり調査をしろというのがペトロフ侯爵が宰相として資料を俺に渡してきた理由だった。


あとで俺はナターシャの裏切りをなぜ俺に言わなかったのかとペトロフ侯爵を責めたが「皇族かどうかは鑑定で分かるから国に問題はない」と、さらには「女の管理は国の仕事ではない」と言い切られてしまった。


皇族の血を持つという意味では、ナターシャの愛人だったハトコのセルゲイも同じだが、これについては宰相が厳しく監視し俺と同時期にセルゲイがナターシャと関係を持たないようにしていたらしい。


5人の神官に全てがミハイルを皇族の子だと判定した。


ナターシャがいなくなる半年前からセルゲイは南方地域で豪遊していたため子どもの父親の可能性はなく、俺はミハイルを自分の子と認めた。



ミハイルが皇族の子だと判定されて以来、ナターシャは1日に何度も俺のところにきて「会いたい」とせがんでいる。


でも俺は忙しさを理由に会っていない。


避けていると思われるだろうが、今さら話すことなど何もなく、愛情はもちろん、俺を裏切っていたことへの恨み言すら湧かないのだ。


おかしなくらい情が湧かない。


それよりも俺が気にかかるのは温度を失くした皇后の瞳だった。



あの日、ミハイルを第一皇子にするという書類を渡した日を境に皇后は変わった。


変わったと言っても、ペトロフ侯爵流に言えば国に一切の問題はない。


皇后は怪我をした当日こそ政務を休んだが翌日には復帰。そして俺の期待以上にミハイルの環境を第一皇子に相応しいものに整えたてくれた。



今夜の房事は中止にした。


第二皇子の誕生が急がれるこの時期に房事の中止は皇后を蔑ろにしていると感じられてもおかしくないが今夜はできそうもなく、先ほど退室する前に「今夜はいけない」と声をかけると皇后は淡々と「分かりました」と返してきた。


会議での皇后の言葉が頭にこびりついて離れない。淡々とした口調だったが俺には彼女が嘆いているように聞こえた。


女性が妊娠できる機会は月に1回、それも数日間であることは分かっていた。全ての夜に房事を行っても皇后が俺の子を孕む確率は低いことも。それなのに俺は多忙を理由に彼女との房事を断ったことが何度もある。することをしなければ子はできない、この2年間に皇后に子がなかったのは俺のせいだ。


それなのに皇后は俺の勝手を責めることなく、答えはいつも「分かりました」。


今回もそれは変わらないが、今回はその言葉に安堵が見えて、気が進まないのなら暫くはやめようかと提案しかけたがそれは止めた。


多忙を理由に房事を怠った俺が言えることではないが、俺も皇后も気分で房事を拒絶できる立場ではない。



「俺は全てを彼女に押しつけている」


ミハイルを第一皇子にすると一方的に告げた。


第一皇子にすると言っても、皇后がいる以上は彼女の認知が必要で、俺は彼女にミハイルの存在を受け入れるように強要したに他ならない。


そして皇太子にできない第一皇子の存在は、それまでも子をなさないことを責められていた皇后にさらなる圧を加えることも承知していた。


ミハイルが第一皇子となれば早急に皇太子に相応しい第二皇子が必要で、ペトロフの皇后が産む皇子以上の皇太子など存在しない。


皇后の【分かりました】に甘え切っていた。


彼女の「愛している」を拒絶し続けたくせに、美味しい汁だけ吸い続けてきた結果がこの様。


貴族の誰でもなく皇后に皇妃を娶るよう薦められ、俺は彼女の想いに胡坐をかいていたことに気づかされた。



己の傲慢さに反吐が出る思いだ。

ニコライ視点続きます。

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