初恋は終わりました
若い2人の恋は一気に燃え上がった。
先帝陛下を筆頭に周りが婚約を認めないという“障害”が2人の恋を一層燃え上がらせた。
反対理由はナターシャが子爵令嬢だったこと。
皇太子の后は伯爵家以上の家格を持つ令嬢から選ばれることになっている。
ただこれは法律でなく暗黙の決まりで、だからこそ陛下は「ナターシャを后に」と強く望めたのだが、陛下のその考えは申しわけないけれど浅慮過ぎる。
“暗黙の決まり”には法律以上に根拠、守ったほうがいい理由がある。
先帝陛下もお父様も当時はさぞかし頭を痛められただろう。
皇太子の后は将来この帝国の皇后になる。
皇后はロシャーナ帝国の女性の第1位で、女たちの女たちによる社交界の頂点に君臨する存在になる。だから皇后の家格は重要、なぜならロシャーナ帝国は貴族制度がある国だから。
王族と結婚したら王族にはなるが、みんな頭の中で「所詮は子爵令嬢」と蔑み、その蔑みは将来産まれてくる皇子・皇女を直撃してしまう。
ナターシャを后にすると主張する陛下を後押ししたのが、先代のペトロフ侯爵であるお爺様。
お爺様はナターシャの足りない家格は私が彼女の側仕えになることで補えると言い出し、それにお父様が激昂した。
その後すぐにお父様はお爺様から家督を奪うようにしてペトロフ侯爵になり、お爺様の言葉を撤回した。
お爺様はお父様の氷魔法で「頭を冷やせ」と氷漬けにされたため風邪を召され、その後は我が家の冷たい空気に耐えられないというように領地に下がった。
唯一の味方といえるお爺様の隠居で陛下とナターシャは婚約を諦めたかと一時は思われたが、なんと陛下とナターシャは既成事実を作るという強硬策に出た。
そうしてナターシャの純潔を奪った責任を取る形で彼らの婚約は成立し、先帝陛下は反論を全て飲み込まざるをえなくなった。
そのあと、先帝陛下は私を城の政務室にお招きになった。
「ペトロフとして力を貸してほしい」
その言葉の意味は、ペトロフのお爺様と同じこと。ナターシャの側仕えになり、いずれ陛下の皇子を産んで皇妃になるようにということ。
お父様とお兄様が同行してくださらなかったら、先帝陛下はもっと直接的な言葉で仰っただろう。お二人がいたこと、そして先帝陛下ご自身が幼いときから私を可愛がっていたという情が陛下の言葉を鈍らせた。
その鈍った言葉の隙を付き、私は“ペトロフとして”早く結婚して国の未来を担う子どもを産むと返した。側仕えはいずれ皇妃になるための打診だからこそ、「結婚」という言葉で先帝陛下の願いを拒絶したのだ。
私の拒絶をお兄様は満足していらっしゃったが、先帝陛下は困った顔をなさっていて、そんな陛下をお父様は気にかけていた。先帝陛下の困った顔にお父様は妙に逆らえない、お兄様に同行していただいて正解だった。
「ペトロフ家は今後も変わらず皇族を支え続けるという表明に、皇太子殿下とナターシャ嬢の婚約式には一族総出で参加いたしましょう」
強引な手段で物事を進め、帝国の未来に不安しか感じさせない婚約式。
出席する貴族が少なければ帝国の威信にかかわる、それをペトロフ侯爵家の力でどうにかする。先帝陛下へのお父様の助け船だった。
ペトロフ侯爵家の不興を買いたくないという思いで貴族たちは出席し、形だけは盛大な婚約式になった。
主役たちはどこまでご存知だったのか。
当時の陛下とナターシャの幸せそうな姿を思い出し、そんな皮肉を何度も思い浮かべたものだ。
脇役だった私は張り付けた笑顔で彼らを祝福し、その夜ひっそりと部屋で泣いて初恋に幕を引きはじめたのだが、完全に幕を閉じることはできなかった。
それは、新たな婚約者どころか、新たな恋すらも見つけられなかったからに違いない。
失恋をした私を励ますため、お父様たちは私の新たな婚約者をよほど厳しい条件で探したらしい。
おかげで私は婚約の「こ」も聞くことはなかった。
それなら自分で探そうと積極的に茶会に出席してみたものの、エスコート役のお兄様が「焦らなくてもいいじゃないか」と慰めてくださるくらい成果がなかった。
そして婚約者未定のまま成人を迎えたのだが、本来ならそんなのは恥で、早く婚約者を見つけないといけないと焦って気が狂いそうになるのだが、当時の私に焦りは一切なかった。
なぜなら私と同じく婚約者未定の令嬢がたくさんいたから。
令嬢たちが婚約者未定ならば当然令息たちもそうで、つまりいつでも婚約できるなという気持ちでいた。
結婚適齢期の貴族の者たちが結婚どころか婚約さえしていない。
この異常事態の原因は、陛下がまだナターシャと結婚していなかったからに他ならない。
普通なら婚約期間は1年、長くても3年。それが5年間も婚約者のままだったのは、先帝陛下が御二人の結婚は「ナターシャの皇太子妃教育が完了したら」という条件をつけたからだった。
その5年間でナターシャの教育は2割も完了していなかった。
先帝陛下の意地悪かと思いもしたが、礼儀作法を何度か教えていらっしゃったお母様は「基礎中の基礎」だと仰っていたし、そもそも“身につける”以前の問題だった。
ナターシャは「体調が悪い」や「やる気が出ない」という理由で皇太子妃教育から逃げていた。
本来なら死ぬ気で身につけるべきだというのに、「これは無理だ」と講師たちのほうが匙を投げるほうが先で、そのため貴族の大部分が陛下とナターシャの婚約はいずれ白紙になると踏んでいた。
それが、多くのご令嬢たちが婚約が先送りにしていた理由。
婚約の白紙。
あの婚約は陛下が責任をとった形での婚約のため、王家側からは解消を申し出ることができなかったため、お父様は何度もポポフ子爵に皇太子妃への辞退を進言し、それを子爵は受け入れなかった。
しかし陛下とナターシャの婚約は、ナターシャの死によって終わりを迎えた。
ナターシャを亡き者にして新たに婚約者を選定するという手があったため、当時は先帝陛下やお父様が手を下したのではないかという噂が流れたが、お二人はそんなことをしていない。
情に弱い先帝陛下は切り捨てるのがお嫌いなのだ。
それが陛下の弱点であり、陛下に弱いお父様の弱点でもある。
「お父様、先帝陛下はいまどちらに?」
「泣きついてきたので、そのままうちに滞在していただいている」
滞在という名の軟禁だが、それも仕方がないだろう。
いま城内は落ち着きを失っている。
それは陛下の元婚約者産んだという「皇帝陛下の御子息」が突然登場したからだ。




