「いまさら」と思う(ニコライ)
ペトロフ侯爵から提出されたノクトの供述書を読み終えたとき、深い溜め息しか出なかった。
ノクトは、アナスタシアのことが好きだった。
それが一連の犯行の動機だった。
恋とは人を狂わせる魔性の感情だと、つくづく考えさせられる。
ノクトは祖母の日記から自分が皇族であることを知ったこと。
ナターシャの失踪した時期と同じ時期にスザンヌが彼の子を孕んだこと。
自分の子が神殿で皇族と認められると確認したとき、天啓がひらめいたという。
そしてアナスタシアを浚い、彼女を孕まして皇太子を産ませようとした。
奇想天外が過ぎる……と笑い飛ばしたいのに、笑い飛ばせない。
今回の件でノクトは表向きは処刑されることになるが、実際は俺に子どもができるまで秘密裏に生かされることになっている。
俺に子どもができないと分かったとき、ノクトの持つ皇族の胤が役立つかもしれないからだ。
そして、ノクトの胤で孕むことになるのは、俺が種なしであることを証明するのにかかる年数を考えれば可能性は低いが、ペトロフの皇后であるアナスタシアの可能性もある。
つまり、形は違えどノクトの大願は成就する可能性が残っているというわけだ。
それを皇帝として、大神ロシャーナの加護を受けるロシャーナの血統を維持するため、容認しなければいけないのが腹立たしい。
2年間も無駄にしたのは自分で、この事態は自業自得とはいえ、どうにもこうにも腹立たしい。
「このことを知って、君はどう思う?」
カリーナ様からお借りした、国家機密並みに重要な地図を見ながら、ロシャーナの聖魔具の話を聞いたアナスタシアの顔は呆れている。
「今さら、ですね」
「今さら……か」
本当に、アナスタシアの言う通り“今さら”だ。
グレンスキー皇帝も皇后ソフィーナ様もすでに亡くなっている。
愛されていたと、今さら知って何になる。
物語の中の結ばれない恋人同士のやり取りで「来世はきっと」というのがあるが、来世があるか不確かなのだから今世が全てであると俺は思う。
「アナスタシア」
「……え?」
名前を呼んで、戸惑いが返ってきた。
そう言えば、結婚前は”ペトロフ侯爵令嬢”で、結婚してからは“皇后”とだけ。
名前をこういう風に呼んだこともなかった。
何をやっているんだ、俺は。
名前を呼んだことすらないなんて。
「今さらだが、アナスタシア、と呼んでも構わないだろうか?」
「ええ……どうぞ……」
アナスタシアの顔に大きく“いまさら”と描いてあるのがみえる。
いまさら、本当にそればかりが増えている。
そして、また増やそうとしているのだから俺は本当に救いようがない。
「アナスタシア、ミハイルの病死が発表されたら皇室は規定に従い2年間の喪に服すことになる」
ミハイルは名を変え、母上の実家が運営している孤児院に預けられることに決まった。
大人の思惑で利用された子どもだ。
どうか幸せになってほしいと思う。
「その間は皇妃を迎え入れることはできない。つまり、しばらくはまた君一人に後継者問題の負担をかけてしまうことになる」
「仕方がありませんわ」
アナスタシアの表情には何の感情もない。
彼女が何を感じているのかは分からないが、今となっては“仕方がない”を言葉通り受け取るべきだろう。
「アナスタシア、その2年の間に、俺とのことを考えてくれないだろうか」
「陛、下?」
アナスタシアの目が大きくなる。
やっと感情が見れた。
そこにあるのは大部分は驚きで、ほんの少しだけ怒りが混じっている。
どうして“いまさら”そんなことを言うのか。
言ってどうするのか。
アナスタシアの目は確かにそう言っている。
「この2年間のことを思えば、図々しいことを言っているのは百も承知だし、俺のせいで事態はかなり複雑になっていることも自覚している」
過去を思い返せば後悔ばかりだ。
その資格はない
でも、俺たちは、皇帝と皇后である以上、どうしても離縁することはできない。
一生、仕方なしでも、俺たちは夫婦。
もちろん、将来アナスタシアは別居を願い出ることはできる。
しかし、アナスタシアの年齢を考えればそれまではかなりの年数がある。
「……陛下、お戯れはおやめください」
戯言ですまされる、か。
「聞かなかったことにいたします」
なかったことにされたが、拒絶される覚悟もあったから、これはいい結果と捉えよう。
なかったことにされても、記憶には残る。
俺は、アナスタシアの中にある焼け木杭に火を起こそうとしている。
俺の手で消しておきながら随分勝手だと自覚しているが、男と女で、例え義務であっても肌を重ね続ければ情がまた……と期待もしてしまう。
狡いな、と思う一方で、やるだけやって悔いない人生を送りたいとやっぱり思ってしまうのだ。




