騒ぎに頭を痛める
奥宮の改修が終わったという報告があった3日後、私は荷物をシエル宮に移した。
女官たちの中には「ペトロフなのに」と私を笑う者も少なからずいたが、特に咎める必要はない。オリガは不敬だと憤っていたが取り締まるには数が多くて面倒だし、彼女たちがどれだけ騒いでもあまり意味がない。
彼女たちの経歴をざっと確認したが、彼女たちを皇妃に推薦することはなさそうだった。
「オリガ、侍女たちの部屋は足りている?」
ルシル宮では私と侍女たちが生活するが、建物はあまり大きくない。私室と隣の寝室を合わせても、温室のほうが広いくらい。
そしてなぜか子ども部屋が二人分ある。
皇族はいずれ宮が与えられるとしても幼いうちは母親と暮らす。だから子ども部屋は理解できるが、この建物がソフィーナ皇后のために作られたと思うと皮肉にしか感じない。
「内宮よりも気が楽ね」
「ここにはペトロフ家の使用人しかいませんからね」
「ここにきた騎士たちの剣と防具は全て新品だそうですよ。万が一すら許さないという旦那様と若様の気迫を感じますわ」
「そういう意味では、お父様たちも私が内宮よりもここに居るほうが安心かもしれないわね」
シエナ宮にはペトロフ家から連れてきた侍女しかいないし、入口も剣と防具を新調したというペトロフの女性騎士が守ってくれる。
そうは言ってもいまの帝国にペトロフの皇后を暗殺しようとする貴族はいないだろうし、陛下が皇妃を娶ろうとしている今は尚更メリットがない。
私の身の安全は問題ないが、ルチル宮のほうはそうはいかない。
複数の妃が入り、個人のスペースは彼女たちが連れてくる侍女が管理するだろうが、共用スペースの管理には女官を入れざるを得ない。
人選は慎重に行わなくてはいけない。
過去に皇后や皇妃を狙った暗殺の実行犯は女官が多い。
***
「困ります!」
何ごと?
目線だけで私の意図を理解したオリガは執務室から出ていき、溜息とともに戻ってきた。
「ナターシャ様が廊下で皇后様に会わせろと騒いでおります」
「馬鹿なの?」
オリガとのヒソヒソ話なので思わず素で応えてしまった。
「ちょっと! どうして私の邪魔をするの?」
ナターシャが邪魔だと言っているのは護衛騎士だろうが、護衛騎士が邪魔をするのは当たり前。
皇后である私のところに、ロシャーナ帝国で一番偉い陛下ですら先触れなくやってくることはない。
「ポポフ女男爵!」
「触らないで!」
騎士の大きな声に、ナターシャのヒステリックな叫び声。
「ミハイルの母である私の行く手を阻むなど、なんて無礼な騎士なの?」
「私の仕事は皇后陛下の許可のない方を陛下に会わせないことです!」
騎士の言っていることが正しいのだが、残念ながら正論は非常識な人に通じないことが多い。
そして何より、ぎゃあぎゃあ騒がしくて仕事に集中できない。
「オリガ、入れていいと言ってきて。そしてオリガ以外は全員出ていって、護衛もオリガがいれば大丈夫だから。あと誰か陛下に、ナターシャを引き取ってほしいとお伝えして頂戴」
全員が部屋を出て、しばらくするとオリガだけが戻ってくる。その後ろには満足気なナターシャがいた。
「ご無沙汰しております、皇后陛下」
口調は丁寧であるがこちらを見る目は昔のように威圧的。ナターシャが立っていて私が座っているから、見下ろす形になっているのが嬉しいのかもしれない。
昔からナターシャは私に対してだけ攻撃的だった。ナターシャが侯爵邸に来るたびに、お兄様たちは私とナターシャができるだけ会わせないようにしていたくらいだもの。
その理由が実にくだらない。
私たちはどちらもお祖父様の孫娘であるのに、私が「侯爵令嬢」と呼ばれ、自分が「子爵令嬢」と呼ばれるのが嫌だったらしい。
嫌でも、それこそ仕方がない。
産まれてくる場所は選べない。
「それで? 何の御用かしら?」
「エレノール宮から出ていけと言われました」
「エレノール宮はミハイル殿下に与えられた宮殿ですから」
「私の息子よ!」
「皇子の住まいに母親が暮らすなど皇后ですら許されません。滞在が許されていたのは特例、あなたが家なしだからです」
私の言葉にナターシャが驚いたように目を見開く。
「家なし?」
「ポポフ子爵邸は子爵の借金返済のために売りに出されました」
「それなら、私はどこで暮らすの?」
「陛下にお聞きください。人を遣ったので直ぐに迎えがくると思いますわ」
「私は出ていかないわ!」
だからそれを陛下と話してと……。
「城を出たらペトロフ侯爵に殺されるもの!」
は?