冒険者ギルド支店長代理の俺に美少女メイドが押しかけてきたんだけど。
貧者にはパンを、悩める者には道を、許せぬ敵には毒を、冒険者には名声を。そして……労働者には休息が、必要だ。
激務の週末を終えたクロドは、首都リルバニアのすぐ外、小高い丘の上に居た。野生動物、魔物、無法者といった類が徘徊するだけあって、小さな子供達だけの外出は、門番に咎められる程度に壁外は危険だ。
そのせいもあり、大きな樫の木が鎮座するこの場所は、人通りがなく静かで、とても落ち着くので、彼のお気に入りの場所であった。
樫の大きな幹に身体を委ね、存分にリラックスする彼は呟いた。
「はぁ……だれかいい人……こないかなぁ……」
彼が望むのは、良き伴侶でも、人手不足に悩む第9支店の次なる犠牲者でもなく、戦力となる人材である。
貴重な休日の昼下がり、腹も満たし、目前に広がる平原から流れる風に心洗われながら、第9支店の明日を案ずる彼。立派である。しかし、更にその先、休日を惜しんで奉仕という行動に出れば、それ即ち仕事中毒。中毒には薬が必要だろう。
「ふぁ~あぁ……帰って寝よう……」
とはいえ彼の精神はまだまだ正常な様で、休日はもっぱら今日の様に散歩。もしくは一日中寝て過ごす事に費やされていた。それは日々の勤務で蓄積される疲労のせいであるが。彼が趣味らしい趣味を持たないせいでもある。
無理もない、つい数年前までの彼は、ただひたすらに、一途に冒険者になる夢を追いかける青年だったのだ。とうに挫折したとはいえ、その残り火は彼の中で燻り続けている。
「……あれ?……しまった……道を間違えた……」
そう……家路に着く彼が、無意識の内に壁外の迷宮付近まで来てしまう程に……。
壁外の迷宮への入り口は、その周辺を取り囲む様に柵で覆われている。クロドは変色して今にも腐れ落ちそうな、木の柵を見て懐かしさを感じた。
学生時代に貯めた金で買った、真新しい防具に身を包み、壁外の迷宮に一人向かったあの日。あの娘に初めて出会った夏のはじまり。そして……二人で並んで歩いた日々。
それらを思い出しながら、柵に沿うように歩いていると、柵が途切れ迷宮への敷地内へ続く道が見えた。同時にこれ以上、彼は思い出の道筋を辿る事を躊躇もした。
「帰ろう……」
クロドは柵の向こう側を確かめぬまま、振り返り、再び家路につこうとする。
――突如
ドガァアアアアアアアァァァァァアアアアンン!
爆音が鳴り響き、柵が震え地面が揺れた。
「なんだぁ!?」
音がつんざき、耳鳴りが止まぬ耳を、クロドは両手で押さえる。
音と衝撃は柵の向こう側から来ていた。確認しなければと、彼は駆け足で柵の途切れた場所を目指した。
「ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃーー!」
「ぎゃぎゃ~~!」
「ぎゃぎゃっぎゃっぎゃっ!」
中から走り去る……いや逃げさる魔物の一団を目にした。
「ゴ、ゴブリンかっ!?」
クロドはその一団に気づかれないよう小さく声を上げた。でも、ゴブリンは気づいても無視して逃げていっただろう。武器も持たぬ雑魚に構っている暇などなかったからだ。
「いったい……なにが……」
クロドは慎重に柵の切れ目から迷宮の敷地内を覗く。視線の先には大きな煙が立ち上り、なぎ倒され焼き払われた数体のゴブリンの骸。そして、激昂し声を荒げる六体のゴブリンによって作られた円陣。その中心にはメイド服を着た一人の少女が居た。
「女の子?……襲われているのかっ!?」
そう感じた瞬間にクロドは走りだしていた。助けなければ。そう考えての行動だが、すぐに重要な問題に気づいた。
「あっ!……武器は!?」
ちょっとした散歩のつもりで第9支店を出たのだ、当然、武器の類は持ち歩いていなかった。クロドは走りながら辺りを見回し、とにかく武器になりそうな物を探したが、何も見当たらない。
彼は走る速度を緩め、立ち止る事も考えたが。両足に力を込めると加速した。少女の手を引き逃げさる、この状況ではそれがベストだと判断したのだ。
「ぎょがああ~!」
少女のいる位置まで後二十メートルといった所だったが、彼が辿り着く間も無く一体のゴブリンが少女に襲いかかる。
「やめろ!」
クロドは声を荒げた。
バギャ! ブシャアアア!
その声も空しく長物で殴られた体は、噴水の様に鮮血を発し、石ころの様に跳ねた。地面に擦れ勢いを失い、力なく転がったその体は、受けたダメージがハッキリと視認できる程に陥没し変形していた。それがゴブリンだとは一見ではわからない程に。
「ザコがぁ! 軽すぎて手応えがまるでないねぇ! あははははぁ!」
そう言って高らかに嗤う少女の手には、青白い光を帯びた一本の箒が握られている。
「……魔術? うそだろ?……武器強化?」
思いも寄らぬ展開にクロドは足を止めたが、更に別のゴブリンが少女に斬り込んでいった。
「ごぎゃややあああ!」
「おーらぁ! 冷氷撃!」
ゴォオオオオ!!
錆びついた手斧を振りかぶり、叩きつけんとするゴブリンを、少女の手から放たれた絶対零度の吹雪が襲う。それは周りの地面も空気さえも巻き込み、凍てつかせながら、ゴブリンを氷の彫像に変えてしまった。
「あはははは! 頭の悪そうなオブジェだねぇ! こんなんじゃ玄関の飾りにもなりゃしないよ!」
少女は凍りついたゴブリンを見てそう言うと、魔術で強化された箒に、ギリギリと力を込めながら大きく振りかぶる。
「……砕け散りなぁっ!」
ブン! ガシャアアアアア!
少女が一声を発し、箒を目にも止まらぬ速さでスウィングすると、凍りついたゴブリンは硝子の砕ける様な音と共に粉々に四散した。
「……!?」
クロドは目の前の光景が信じられなかった。少女は明らかに少女だ。メイド服を着ている以外におかしな所は見られない、どうみてもただの人間の少女である。
ゴブリンの集団を一人蹴散らす少女。それはクロドにとって初めて目にする光景では無かったが、少女の魔術の発動速度と威力は尋常ではない。何より少女とゴブリン、どちらが魔物なのかわからないほどの少女の凶暴性。
同族が砕け散る姿を目にして、残った数体のゴブリンも一斉に動いた。
「ぐぎゃぎゃあ~!」
「ぎゃっぎゃぎゃーーー!」
形が崩れた円陣を急速に縮める様に、中心点にいる少女に皆、突撃してゆく。左、右、前、後からの全方位攻撃。ベテランの冒険者でもコレを無傷で切り抜ける事は難しいだろう。
「あぶないっ!」
思わずクロドは叫んだ、だが、少女は避ける素振りも見せず声を荒げる。
「めんどうだよ! まとめて消してやるっ! 塵の嵐!」
キュイーーーーーーィ!
少女が右手を高く掲げ、すぐにその手を地面に叩きつける様に振り下ろすと。手が触れた地面を中心に広がる四方陣が、魔力の軌跡で描かれる。直後、円柱状の光がゴブリン達を貫き天に向かって駆け上がっていく。
円柱内の空間は、その内側と外側が魔力により分断、隔離され。激しく放射される火水土風の四属性が混じり溶け合い、原子の嵐が吹き荒れる。結果、内に囚われたゴブリン達の分子結合が崩壊していく。
マスタークラスの魔術士、すなわち魔術師と呼ばれる天才達ですら、単独では不可能と言われる、多重合成魔術。それを少女はいとも簡単にやってのけた。単独で……しかも……詠唱も無しに……。
…………。
……。
ィーーーーーイィ……。
跡形もなく、塵と化したゴブリン達が、断絶された空間を満たし灰色に染めると……やがて、少女の手元から広がる四方陣は薄れ消えていく。四方陣が消えた事により内と外の境界も無くなり、塵は穏やかな空気の流れにのって大気に溶け込んでいった。
「これなら墓穴の心配もいらないねぇ……あははははぁはぁ!」
その事象の中心にあった少女の姿は、光と塵に隠れていた。それらが薄れ、笑い声と共に徐々に姿を現していく。
クロドはそこまでの一部始終を呆然と見守り、やがて直感する。やばい絶対にやばい。少なくともまともな少女ではない、視界に入ったら殺されるかもしれない……と。だから、彼は逃げ去る事にした。
助けに入ろうと駆け寄ったものの、幸いな事に少女にもゴブリンにも気づかれてはいない様子だった。
少女を助ける、という意図で介入しようとしたのだから、誰にも気づかれていなかった事は恥ずべき事かもしれない。とはいえ完全に想定外の状況におちいったクロドにとっては僥倖だった。
彼はゆっくりと……ゆっくりと……後ずさる……少女に気づかれない様に……ゆっくりと……しかし……。
「おい、おまえ」
死んだ。おそらく死んだ。かけられたのが魔術ではなく声だったから、この瞬間は生きているが、ただちに殺される。クロドはそう感じた。
「おまえだ、おまえ。そこのマヌケ」
この際だから走って逃げてみようか。イカれた魔術士相手に逃げた所で意味があるのだろうか? いやそれでも逃げるべきだ。
クロドはそう思考するのだが、蛇に睨まれた蛙とはこの事なのか? 彼の足はピクリとも動かなかった。何かの攻撃を受けた時に備えて、視線を外す事だけはしなかったが。
身構えるクロドを、少女は指差しながら、ゆっくりと歩き向かってくる。
「……おまえ……何処かで見た顔だな」
いえ……人違いです。クロドは口をパクパクさせ、声にならない声を上げる。
「ん~……ドコだったかねぇ……」
少女は手を口元に当て、記憶を探った。
「う~~ん……あぁ、アイツかぁ?」
考え込む少女の顔は……実に素朴であどけない。歳の頃は十二から十三で、美少女と表現しても良い程には整っている。
クロドは、今の所は危害を加えられていない。加える気もないのでは? そういう希望すらも湧いてきていた。
「……でも、あのバカは随分と昔に消し炭にしてやったからねぇ……」
そして、すぐに希望を捨てた。ダメ元でも構わない……なりふり構わず逃げ去ろう……。彼が決意した瞬間に少女が言った。
「……そうか……アデルハインの!?……おまえがそうなのかっ!」
少女はクロドの祖父の名を口にする。同時に顔をオーガのように吊り上げ。クロドの顔に食い入るように身を乗り出す。
ドサ!
クロドは驚き尻もちをついてしまった。
「くくくく……こいつは都合がいい……。あのクソジジイへの恨み……オマエで晴らしてやるよぉ……」
怨みのこもった口調で少女は言い放つ。同時に少女の髪の毛が、溢れ出る魔力により逆立つ。余りに強すぎる魔力は目に見える色、形となって少女の体を覆っていき、両目に宿る魔術刻印も不気味に光り輝き始めた。
(……コ……ロ……サ……レ……る……)
焼かれるか氷漬けか、はたまた塵と化すか。クロドは心の中で悲鳴を上げ、これから起こりえる死に方を想像し怯える。
ボスン。
突然感じた頭の重みに驚きはクロドは悲鳴を上げた。
「ひぃ!」
殴られたにしては大した衝撃では無かった。痛みを感じる間もなく殺されたのか? と、彼は考えたが、そうではない。
「ソコマデダ。イヴェルスタ」
鳥が……立派な耳を持つ梟が頭の上に乗っていたのだ。それを見た少女は言った。
「黙れ! 邪魔をするんじゃないよ! オウル=ウェッジ!」
「ソウワイカン、貴様ノ仕事ハ終ワリダ」
「ふん……しらないねぇ……。終わりなのは寿命だよ……オマエ達のなぁ!」
少女の小さな体から放たれる殺気と威圧感、そして……計り知れない強大な魔力。
少女が全身をしならせ、大きく振り上げられた箒は、頭上の梟ごとクロドを打ち抜かんと振り下ろされる。
「うわぁー!」
「起キロ! リリエッタ!」
ビカーン!
クロドの情けない悲鳴と、ほぼ同時に放たれたのは梟の掛け声。続けて梟の両目から、放射状に広がる光。
「!?」
クロドは閃光によって目がくらみ、眩しさに耐えられず瞼を閉じた。
ビュン!
直後、額を何かが掠める音と、鼻先を焦がす匂いを感じた。
ドゴッ!
地面に硬いものが叩きつけられる音がする。
……。
…………。
クロドは瞼越しに光を感じなくなると、ゆっくりと目を開く……。
そして、目にする、股関のすぐ先の土が抉れ、まるで桑でも叩き付けたかの様に、深々と地面に突き刺さる一本の箒。あと数センチ……ほんの数センチ踏み込まれていたら……。
運が悪ければ死。運が良ければ……一命を取りとめたものの、男でも女でも無い人生を歩み始める事になっていただろう。
クロドは股間の無事を確かめつつ、背中に冷たい汗が吹き出るのを感じると。両目から熱い涙がこぼれた。
それは恐怖に怯える涙か、二十数年間も苦楽を共にした、股間の無事を喜ぶ涙か、はたまたその両方なのか。溢れる涙は止まらなかった。
「……う、う~~~~ん……」
その涙も向かい合わせになった直ぐ目の前。鏡に映った自身の姿を見るかの様に、同じ姿勢で尻もちをつく少女の呻き声で、スッと引っ込んでいった。
「起キタナ、リリエッタ。大丈夫カ?」
今だクロドの頭の上に立つ梟が、少女に声をかける。
少女は頭を左右にふるふる震わせながら応えた。
「……うん……ヘーキだよ、ミーちゃん……。えっと……首都はすぐそこなのに門の場所がわからなくて……」
頭の動きに合わせて柔らかな髪が揺れている。
「……迷宮に迷い込んだら……魔物に襲われて……それからイヴちゃんが……換われって言い出して……んと……えーと……」
うつむく少女の表情がクロドには見えていなかったが、少女の揺れる髪の柔らかさに合わせる様に、口調と雰囲気が穏やかになっているのを感じていた。
「……んと……あっ! ゴブリン達は!? 大丈夫かなっ!?」
少女は何かを思い出した素振りを見せ、上半身を起こすと辺りをキョロキョロと見回した。それに合わせて梟も、首だけをグルリと回転させ周辺の様子を伺い始める。
「ええぇぇぇーーー!」
「魔女メ、ヤリスギダナ」
少女非常が見た光景は、それは悲惨なものだった。
焼け焦げ黒い煙を上げる死体。ひしゃげた死体。ゴブリンの物だと思われるコナゴナの肉片……。とにかく酷い……生死の問題ではない、まともな死体が一つも無かったのだ。
「ううぅぅ! イヴちゃん……乱暴はしないでって言ったのにっ!……うううううぅぅう~~うわ~~~ん!」
少女が大粒の涙を流し泣き出す。
「泣クナ、リリエッタ。襲レタンダ。仕方ガナイ」
両手で目を覆い泣きじゃくる目の前の少女、そしてそれを慰める頭上の梟。一体これはどういう状況だ……。クロドは今だ動けぬままそう思った。
「……イヴ……ちゃん……」
突然、少女はボソリと呟き立ち上がる。頬を濡らしていた涙を拭うと、大地に突き刺さった箒を手に取り、両手でしっかりと握りしめる。
バシィ! バシィ! バシィ!
「イケナイ子っ! 今度こんな事したら許さないんだから! 聞いてるのっ!? イヴェルスタ! ねぇ!? 聞いてるのっ!?」
自分の頭を思い切り打ちつけ始めた。その打撃音は空気を揺らし、振動となってクロドの体を震わす。少女の力とは思えない威力だ。
「あっ! こらぁ!……手を返してっ! 反省してよっ! うぎぎぎぃぃっっ」
少女は箒を持つ自分の右腕を、体から遠ざける様にのばし始める。自分の右腕を左腕で必死に押さえ込もうともしている。意味不明の一人芝居を始めている。
その姿を見てクロドは感じる。さっきとは違う意味で怖いっ! やっぱり逃げなきゃ殺られるっ! と……。
クロドは背中越しに振り返り、柵の途切れ目、壁外の迷宮の敷地内から抜ける道を確認した。その際に首を素早く回したが、頭上の梟が飛び去る気配はない。
(この小太りの鳥類はいったい何なんだよ?)
そのようにクロドは考えるが、今の最優先事項は逃げ道の確保と、実際に走り去る事だ。些末な事を気にしている場合ではなかった。
初見は凶暴、現在はサイコパス。イカれた少女の目を盗んで逃げよう……。クロドはそう決意して、タイミングを見定める為に少女の様子をうかがったが……それが失敗だった様だ。
「……わかってくれた?……良かった~イヴちゃ……あれ?」
ガッツリと少女と目が合った。それはもうガッツリだ。少女の涙で潤う澄んだ目は、海の様に青く、空の様に透き通っている。そんな表現を思いつく程にガッツリと。
「……あ……あ……あ……あ……あ~~~~~~っっ!」
少女はガッツリと目を合わせたまま、クロドを指差し大きなとても大きな驚きの声を上げた。
「クロドさまぁ~~!」
「うわぁぁああっ!」
ブン!
「ホォオオオー!」
ボスン!
「むぎゅっっ」
もはやタイミングなど関係ない。クロドは一目散に逃げ出した。頭上の梟を鷲づかみにし、少女の顔に向かって放り投げて。
それが少女の顔に命中して可愛らしい声が上がった頃には。既に三十メートル程の距離が開いたが、それでも足りないとばかりに、火事場の馬鹿力のスピードで彼は加速していく。
「まって……まってください~~!」
「絶対またないっ絶対またないっ……なんで俺の名前をっ?」
「クロドさまーーーーー!」
「……ひぃいいいいいいーー!」
クロドが会心のスタートダッシュを決めてからほんの数秒後。少女もクロドを追いかける様に走りだしていた。
「リリエッタ。荷物ワスレテイルゾ」
「あ~、そうだったっ!」
少女は走りだして束の間、梟の声に従い、急ブレーキを掛けると、側に放り投げられていた荷物を手にした。それは少女の背丈ほどもある大きなバックパック。蓋を止めるボタンが今にも弾け飛びそうな程に、物がパンパンに詰められている。バックパックは体格の良い大人一人分の重さはありそうだったが、その大荷物を少女は軽々と背負い……再び走り出した。
この時点でクロドとの差は既に百メートル。クロドは足が速い方ではないが、それも冒険者基準での話。一般人基準でならば、速い部類であるし何より持久力が違う。ましてや相手は子供である。彼はこのまま逃げ切れると思っていた。
「クロドさま! あなたはクロドさまですよね!?」
ものの数十秒で追いつかれ、併走されながらそう問われるまでは。
「……はぁ……はぁ……人違いですー!……はぁはぁ……」
「そんなっ!? 間違いありませんっ!……だよねミーちゃん……!? ほらアデルハインさまにこんなにそっくりなんだもの!」
少女はドデカイ荷物を背負い、息も切らさず走りながら言った。そのセリフにドデカイ荷物の上に乗って、耳と羽毛を風になびかせる梟が応える。
「偉大な契約主アデルハインニ、似テイルトハ私ニハ思エナイガ」
「そっくりだよ! 目も口も優しそうで素敵なところがそっくり!」
この少女と鳥は、なぜ祖父の名を口にするのか……。クロドは考えたくも無かった。その理由は、全力で走り続け、脚も鈍くなってきて、息が上がって苦しいのも原因だったが。何よりも関わり合いになりたくないからだ。
それに命の危険も感じていたから、偶然にも自分と祖父の名前が一緒なだけで、たんなる人違いだと思い込む事にした。
マジで関わりたくないから。名前が一致する事なんて良くある良くある。そう思い込んだクロドは必死に走った。
首都リルバニアの城壁を抜け、馬車の通行用に舗装された道を駆け抜け。
「クロドさまぁ~~!」
時には狭い路地に入りこみ、少女を振り切ろうと懸命に走り続ける。
「まってくださいぃ~~!」
時には路上のゴミ箱を蹴り倒し、通行人を押しのけて。しかし……少女は汗ひとつ流さず、平然とクロドを追い続ける。
「クロドさま、クロドさまですよね!」
「はぁはぁ……! 違います~~ぅ!」
「元冒険者で、いまは冒険者ギルドで働いていらっしゃる!」
あ~~~~……それ俺かも……とクロドは思い始めた。
「聞イタ特徴トハ一致シテイルナ。コイツカラハ、魔力ノ匂イガシナイ」
あ~~~~……それ俺だわぁ~……とクロドは思った。
他人の空似を完全に否定されたクロドは。走る力を失い、ゆるゆるとスピードを緩めていく。ついには立ち止まり、両腕を突き出す形で地面に倒れこんでしまった。彼の心臓はバクバクと脈打ち、脚はプルプルと震えている。
「……はぁはぁはぁはぁ……」
息苦しさで表情は歪み、顔を上げる事も出来なかった。そんなクロドに少女は息を乱す事もなく近づいてくる。そして、クロドの正面で歩みを止め、またも同じ質問を繰り返す。
「……クロドさま……ですよね……?」
いまにも地面にへばりつきそうなクロドに、少女の表情は見えてはいなかったが。少女の声に自身を案ずる気遣いが感じられた。加えて逃げる力も失ってもいたクロドはついに認める。
「……はぁはぁはぁ……はぁ……はぁ………はい……そうです……」
…………。
……。
何のリアクションもない。不審さを感じたクロドは恐る恐る顔を上げる。
少女は両手を口に添え、目に涙を浮かべていた。
「……ようやく……ようやく……お会いできましたぁ~……ううう……」
少女の涙は悲しみのよるものか?
「クロドさまぁ~~!」
それは……感動によるものだった。少女は涙で装飾された満面の笑顔で、クロドの名を叫ぶと、両手を大きく広げ。
「ええ!?」
ボフン!
クロドの胸に飛び込んできた。
「ようやくお会いできました~!」
クロドは少女の髪の匂いと、華奢な感触を感じるとつよく困惑した。それと同時に、恥ずかしくてむず痒い、説明しがたい感情が心に湧き上がるのを感じた。
「……あ、あの……キミは一体……」
バキィ!
「ぐはぁああ!」
思いがけない少女の抱擁に、事情を尋ねようとしたクロドは突如殴られる。拳で。
少女の一撃とは思えない力で、クロドは仰向けに吹っ飛ばされ背中から着地した。
少女は吹き飛んだクロドを見るなり、驚いた様な顔を一瞬だけ見せると、打ちはなった右手の拳を、逆の手で押さえながらペコペコと頭を下げる。
「あぁぁ~~!……すみません、すみません。いまのはわたしじゃなくてイヴちゃんがぁ……すみません~」
そう言いながら、クロドと視線の高さを合わせる為、少女は膝を地面に立てる。
クロドの顔の高さまで降りてきた、少女の表情は悲しみに満ちている。喜怒哀楽、その移り変わりがとても激しい少女である。
対してクロドはずっと驚いてばかりで、訳がわからないを通り越し、どうでも良い気さえしてきていた。
彼は殴られた頬をさすりながら少女にこう問いかけた。
「……キミは一体、誰なの? なんで俺の名前を?」
「あっ……」
その問いを受け止めた少女はスッと立ち上がる。
パンパンパン……サッサッサ……。
メイド服を汚す土を払い落とし、激しい動きでついた皺を整える。
バサバサバサ……。
荷物の上で様子を見守っていた、梟も舞い降りて少女の肩に止まる。
その姿を見守るクロドの目の前で、少女はスカートの両裾をつまみ、両脚を軽く交差させる様におり曲げ頭を下げる。
気品礼。メイドが主人に対して行う挨拶を、少女は実に見事に披露した。それはとてもとても優雅であった。クロドがこれまでの騒動を一瞬忘れて、目を奪われる程に。
「もうし遅れました。私の名はリリエッタと申します。この子は私のお友達でオウル=ウェッジです」
「ヨロシク頼ム」
少女は今まで見せてきた、豊かな表情とはまた別の芯のある真面目な表情で続ける。
「あなた様のご祖父……アデルハイン様の命を受け、参上いたしました」
「……じいさんの……命令?」
小さい頃に何度か会ったきり、十年以上も会っていない。顔も声も、何もかも思い出せない祖父。
魔術の深遠を見極めんと、樹海の果てで暮らす魔術師、偉大なるアデルハイン。その名声以外にクロドは祖父の事を何も知らない。
血の繋がり以外、ほとんど他人と言っても良い関係しか持たぬ祖父が、なぜこの少女を自分の元に……。クロドはそう感じていた。
「はい。アデルハイン様のご命令です」
一体……どんな命令を? ふがいのない孫を殺せ、とでも? まさかそんな……でもこんなヤバイ少女なら……ありえるかもしれない。
クロドはそんな事を考えつつ、リリエッタの次の言葉を待った。
リリエッタはコホンとひとつ、小さな咳払いの後に、笑顔を伴ってこう言った。
「私をお側においてくださいませ! ご主人様っ!」
……。
…………。
「はぁっぁああああ!? ないないないない!」
「私モ一緒ニナ。ホォーホォーホォ!」
場所は第9支店の目と鼻の先。人通り激しい街道のど真ん中、不審にこちらを伺う通行人達を掻き分けて、クロドの声は街に響いて消えていった。