冒険者ギルド支店長代理の俺にメールが届いたんだけど。
世界は白紙だった。暇を感じた創造神は無に闇を創造った。
闇に光が差し、光によって火が灯り、火が風をよび、風が土を削って、土が水を蓄えた。そして水は命を育んだ。その全てはやがて無に返還えるだろう。
これは、この世界の神話の最初の一節だが、首都リルバニア含めこの世界の大抵の地域では、この一節を元にし、曜日が循環する7日を週としている。つまり、無曜日から始まって闇曜日、光曜日、火曜日、風曜日、土曜日、水曜日だ。
大抵の人々はこの曜日感覚で生活を行うのだが、妖精や神に近しいとされるエルフ族。彼らは長寿のせいもあってその限りではない。睡眠も週に数時間だけ、瞑想に近い形で行い。自然の中でさえあれば、何週間もじっと時が流れるのを愉しむ事ができる彼らにとって、時間とはただ過ぎ去るものである。決して追うものではなく、ましてや追われるものではないのだが。
定命の人間にとって、特に時間を賃金に変換して日々の糧を得る、労働者にとってはそうではない。
「お待たせしました~、ご注文の品は以上でしょうか?」
クロドはホールを縦横無尽に駆け巡っていた。
「お~~い、店員~!」
「はい!……ただいまお伺いいたします~。ウーヴェごめん、5番テーブルの注文取りに行って」
「こっちまだかっ?」
「はいぃ! ただいま~!」
元冒険者、元剣士として培った軽快な足捌きは、リズムが曲がってる、回避率低そう……と評されていたものの、この戦場では遺憾なく発揮されていた。
「へぃ! 兄ちゃんっ! 勘定、勘定だっ!」
「はーーい。ウーヴェ、注文取りより 先に8番さんお勘定~!」
「受付窓口誰もいねぇーのかよっ?」
「いますっ! 今行きますっ!」
時は闇曜日午後1時。定休日を明日に控え、冒険者ギルド~アックス&スペルズは賑わっていた。
多くの冒険者達が、休み前に仕事の受注だけでもと、他の飲食店を出禁になり飲めないからと、金も無いしやる事ないからと、足を運んでいた。
「……えーと、はい。難易度Bの仕事をマッチングですね。それではこの用紙にお客様のパーティの構成をご記入ください。……はい?……ええ、ただいまの時間込み合っていまして…そうですね、1時間程お待ち頂ければ、と。……ん? どうしたのウーヴェ……え? 金額が細かくて計算できないの? その大きい銀貨を3枚と小さいの6枚貰ってきて!」
週で一番込み合う時間帯である。冒険者達はクロドの獅子奮迅の活躍を尻目に、はやくしろ、はやくしろ、注文まだか、酒まだかの大合唱。
定命の者、命に限りある労働者である、クロドとウーヴェは時間に追われまくり、時間 を猛ダッシュで必死に追いかけている訳だが。
今日がいつにもまして忙しい理由。それは時は少し遡って午前8時頃。定期的に配達される、妖精便。その最初の便が届いた。
小さな妖精が背負ってくる羊皮紙に混じり、メモ張を破ってしたためられ、折りたたまれた一通の手紙があった。とてもとても嫌な予感がしたクロドだが手紙を手に取り開いた。
「支店長代理へ☆彡おなか痛いし、ねむいのでやすみます(。-人-。)ゴメーン -ケイト」
繁忙の闇曜日の欠勤報告に。クロドは思わず「俺は友達かっ!」と吼えた。同じ非正規雇用の身とは言え、一応、支店長代理、年上でもあるから。
それに驚いた妖精は、逃げる様に泣きながら行ってしまった。可哀想に。
そんな理由で、最も多忙な時間帯をクロドとウーヴェの二人でまわしている訳だ。正直きちんとまわっているとは言えないのだが。
コボルトのウーヴェはホール担当、ウェイターと言えば聞こえがいいが、人の言葉は辛うじて理解できるものの、喋る方は単語を繋げる程度にしかできない。実質的なコミュ障だから看板犬とそう変わらない。
支店長代理のクロドも一通りの業務はこなせるものの、器用とは言えないから戦力としてはケイトに劣っていた。何よりも広い店内を一人と犬一匹。やはり厳しいものがあるのだ。
それでも明けない夜はないもので、午後4時から半時が過ぎた頃、店内には談笑する数名の冒険者をのぞいて、ほとんど客が居なくなっていた。
「は~……つかれた……」
クロドは受付窓口に突っ伏し、呟いた。視線の先にはシフト終わりを目前に控え、床にへたり込んで尻尾を振るウーヴェがいる。
「やっぱり……店員……足りないよな」
自身は店を開けている限りフルタイム勤務。否、店を開ける前から店を閉めた後も、業務に追われる身だ。
第9支店は20時に閉店するが、残務をこなし21時に押せと言われているタイムカードを押したら、完全に義務的で強制的な奉仕残業である。真夜中の就寝間際まで、帳簿の記帳や、発注する商品の取りまとめ、本部への報告書の準備などをこなす。そうでもしないと店がまわらないから、仕方がない。
いや、仕方なくはない。所詮は時給いくらの非正規雇用。支店長がキチンと管理し、奉仕残業を辞めさせるか、せめて賃金は払うべきだが…。第9支店に居候という身分と、与えられた支店長代理という肩書きが……。
「自分の仕事の手際が悪いから……」
という自己責任論への誘導を行ってしまう。
自己陶酔に近い、その間違った考えは、彼の正常な思考を破壊し社畜化する。
行き着く果ては、死霊術師が使役する動く死体とそう変わらないだろう。
ウーヴェは週五日勤務。ケイトは盗賊ギルドとの掛け持ちの為、週三日の勤務……平気でドタキャンもする。クロドに比べると二人の店員の負担は随分マシに思えるが、定休日が週に一日だけの第9支店をまわす人手不足は明白だ。
その状況を打破せんが為、求人募集は度々行われるが。薄給、激務、冒険者への接客という三重苦が、応募の高いハードルとなり、血迷ってハードルを飛び越える奇特な勇者達も、大体三日、速ければその日の午後には逃亡めて行く。
そんな深刻な人手不足に陥る、アックス&スペルズ首都リルバニア第9支店の事情も知らず、冒険者達は一様に、仕事が遅い、酒とツマミだけじゃなくて飯も出せ、貧乳じゃなくセクシー女を雇え、と不満を口にする。
顧客の不満は何故か、何故か解らないのだが、本部に届いてしまうものらしく、「なんとかするべし」とだけ、実に嫌味たらしく言ってくるのだ。
「クロド君。お客様のいるホールでそんな疲れた表情を見せる事に、不利益はあっても利益はない。そう思いませんか?」
そう……丁度こんな風に嫌味たらしく……。
「……うわ!」
「なんですか? 人を魔物でも見るみたいに」
「す、すみません。マネージャー……」
突如、現れたその男はスラリとした長身で、清潔でキッチリと整えられたビジネススーツを着こなし。寸分の狂いもなく七三に別けられた髪型、眼光鋭い切れ長の目に合わせたセンスの良い眼鏡。左腕の高級感漂う腕時計は、ドワーフ職人の一点物だろうか。両手にはレザーの白手袋、そして、何より目に付くのは……腰に帯刀された一振りの刀。
デキる……明らかにデキる企業戦士である。
「今日、いらっしゃるとは……」
「事前に言う必要がありますか?」
「いえ、そんな……すみません」
「責めてはいませんよ。特別でない日常の業務を観察するのも、私の仕事ですから」
要するにエリアマネージャーが、抜き打ちのチェックに来た訳だ。
クロドは彼が、ヨハンがとても苦手だった。理路整然と無駄なく業務を遂行する、デキる大人の相手は、しがない非正規雇用には荷が重い。
「支店長は、イザベルは今日も居ないのですか?」
「……え~~っと……それは」
クロドは正直に言って良いものか解らず言葉を濁した。今日も……というか、週に一度様子を見にくる程度でしか出社してこないからだ。それが、普通ではない事はクロドも理解している。というか支店長はハッキリとダメな社会人だろう。
第9支店が加盟店契約でなければ、解雇になっていてもおかしい話ではない。
「居ないんですね。まったく困った方ですね、支店長の自覚が足りない様だ」
加盟店とはいえ、アックス&スペルズの看板を掲げるのだ。本部からの干渉は当然ある。
「一応、僕が代理です」
「その話は存じていますが。正社員でもないあなたにそのポストを与える事を、私は良いとは思っていません」
それはそうだよな、とクロドは思った。
「とはいえ、支店長が不在というのも問題ですからね……。イザベルとは私が改めて話をしますから、しばらくは代理として業務にあたってください。そろそろ、私は行きますが、何か質問や懸念事項などは?」
ヨハンは切れ間なくそう言った。デキる大人は1分1秒も無駄に出来ない無駄にしない。時給870シルバのクロドとは時間の価値が違うのだ。
とはいえ目下の問題、人手不足を相談するには良い機会かもしれない、本来は支店長に相談するべき内容だが。
「う~~ん、適当に♪」
と、返されるのがオチだから仕方がない。クロドは勇気を出して相談してみる事にした。
「ひとつだけ……どうしても人手不足で……なんとかならないでしょうか?」
ヨハンは表情ひとつ変えずに応えた。
「それは、ヒューマンリソースの最適化、プライオリティの精査、ボトルネックの解消、支店長へのオーソライズを行った上での、
エスカレーションですか?」
「……え、エスカ……?」
クロドにはデキル大人、ヨハンの言っている事が解らなかったが、「本当か?」と言われているのだけは何となくわかったので。
「本当に足りないんですっ!」
勢いで押し返してみた。
「……ふむ」
するとヨハンは右手を顎にあて一考した。
「持ち帰り検討します」
「本当ですかっ?」
クロドは内心、安堵した。これで何とかして貰える、と……。
「検討しますが……。本部の人間を寄越すにしてもコストは発生します。第9支店にそれを捻出するだけの余力があるかどうか」
支店長代理になってから帳簿を目にする事も増えた。だから、第9支店がギリギリなのも知っている。度重なる費用削減で、
少ない店員……それも薄給なのに……これ程までにギリギリな理由。それは本部への高額な指導量の支払いに他ならない。もちろん、店舗の賃貸料などの維持費も一因ではあるが…。
「ですよね……」
安堵は絶望へと変わった。
「では、失礼」
ヨハンはシャープに踵を返すと、足早に立ち去って行く。
クロドはその姿を見送ると、頭を抱え込みへたり込んで、深いため息をつく……。
「……ふ~~~~……どうしよう……」
世知辛い……あまりに世知辛い……。
「だいじょぶ?」
クロドにウーヴェが心配そうな目つきで声をかける。
「……なんでもないよ。ほら、もう帰る時間だろ? 今日も少ないけど余りものを厨房にまとめといたからね。ウーヴェの好きなハムも一塊だけあったかな」
「ありがと!」
ウーヴェはペコリとお辞儀をすると、踊るように厨房に向かって行った。
夢と繁栄の首都リルバニア、その資本主義の底辺でもがく一人の元冒険者。時は午後5時、午前6時から始まる彼のシフトは半分も終わっていなかった。