職業クリエイターを諦めた話
幼い頃から、無謀な夢を追うタイプだった。
小6くらいまでは、恐竜博士になるのだと本気で信じていた。しかし、算数が致命的にできないことを悟って諦めた。
中学くらいの頃から、何となく「声優になりたい」と考え始めた。父や祖母は「不安定な仕事だから辞めなさい」と言った。それで折れたわけでは無かった。そのうち、絵を描くことや歌うことも自分は好きだったから、声優という決まった職業ではなく、マルチに活動するクリエイターになりたいと考えるようになった。
高校の時、文芸部に入り小説を書き始めた。漫画を描くには時間が足りないので、小説で自分の思う「面白い」や「カッコイイ」「カワイイ」を表現しようと思った。これにハマってしまった。受験勉強の時間も惜しんで、ただ在学中の3年間で小説を完結させることに全てを捧げた。そしてその小説は見事完結した。
だが、まだ語り足りなかった。部誌のページ数の都合もあり、完結編はかなり展開を削って書かざるを得なかった。
今度こそ、自分が納得できる形で物語を完結させたい。締切もない。字数制限もない。どこまでだってクオリティを上げられる。そんな世界に飛び込んだ。
投稿を始めたweb小説サイトでは、連載中の小説を賞に応募できるイベントが存在した。完結していない作品でも出版を狙える。そんなイベントにちまちま応募しては、1次選考で落とされ続けた。
しかし、そのことがショックだったわけでもない。元々自分は、自分の思う「面白い」を伝えたくて小説を書いている。書籍化とはそれをより多くの人に伝えるための手段にすぎない。だから、書籍化は「あわよくば」の話で、より広く人に伝えられる手段があるなら、書籍化などしなくてもいいのだ。そうやって自分に予防線を張っていた。
広報のために始めたSNSで、このweb小説界隈のメソッドを知った。異世界転生ものか悪役令嬢ものを書き、毎日更新を欠かさない。それがこの界隈でpvを上げるための最低限のルールだった。
面白くねえな、と思ってしまった。
芸術品は、そのクオリティによってのみ評価されるべきだ。そこに流行りも廃りも無い。良い物は良い。多くの新旧の名作を読んで私はそう感じていた。流行りに乗り、小手先の技術で伸ばした閲覧数は、その作品のクオリティに付いたのではない。その技術に付いただけだ。
加えて私は、そもそも「異世界転生」というテーマが好きではなかった。この世界の外に逃げ出し、どこにも無い想像上の楽園で暮らしたいという願望は、人間の弱さから出た醜いものだとしか思えなかった。そんな甘さを求める人間に蜜を提供するのは嫌だった。人間は現実で生きるべきだ。その事を教えるために小説を書いていたい。
だから、自分の好きなものを書き続けた。読まれたいからある程度の広報はして、あわよくば賞が欲しいからレースにも時々応募した。近年流行ったアニメや漫画に共通するテーマ(心理的なもの。「失った命は戻らない」など)も取り入れた。結果として、PVはそこそこ伸びた。上位5%と言われる、ブックマーク100件も達成し、現在は148件になる。レビューも多くいただいた。
このまま、緩やかに趣味人を楽しんでいられれば良い。自分は絵も描けるし、演技も出来なくはない、歌も歌えるから、どれかを磨けば他も結果が付いて来る。そう考えていた時だった。
大学3年の後半、声優の学校に通おうとした。週に1コマでもいいから、とにかくやってみたかった。しかし入学金が足りない。しかも期限が近い。授業料は月々のバイトの稼ぎで払っていけそうだったし、入学金も大した額ではなかったのだが、その時手元には無かった。仕方なく、入学金だけは親に無心することにした。
今じゃない、と、よく分からない反対を受けた。
「学校や講座に通うこと自体は反対しないが、今じゃない。まずは普通に働いて社会経験を積んでからやるべきだ」
……何人の声優がそうしている? それは何年後になる? なぜそんな回り道をしなくてはならない?
親の気持ちとしては、収入が不安定な世界に飛び込ませるのは不安だったのだろう。しかし反論が回りくどい。とにかく不満だけが沸々と湧き、長時間の言い争いになったが、結局、私が疲れてしまって、適当に同調した。しかしそこで諦めはしなかった。
当時、親が管理している私の口座があった。大学2年生までのバイトの収入と、奨学金がそこに入っており、学費などに使われていた。私が声優の学校に通うのは私のためであるし、何より私が稼いだ金と私に給付された奨学金が入っているのだから、使っても何ら問題は無いはずだ。そう考えて夜中に通帳を開いた。
残高は7万円だった。
瞬間、これはまだ使う予定の額だと悟った。
私の学費や、何か有事があった際に使うための金だ。これまでも使ってきて、そしてこれからも使う予定があるからこの額が残っている。
そう解った時、私はここから金を引き出すことができなくなった。
入学金を払うには足りている額だ。だが、ここから金を引き出すことは、さらなる争いを家庭に招く気がした。
争いは、嫌だ。
私には何でも話せるような友人がいない。恋人もいない。必然的に、心の拠り所は家族しかいないのだ。その拠り所で争いが起きると、私の安息の地はどこにも無くなる。どこに居ようが、結局人間は家に帰るのだ。そして自分の家が両親のものである以上、私の居場所はここしか無い。そこで波風を立てたら私はどこにも安心して居られない。家族にも悪い。自分の将来よりも、今ここで家族が納得していることの方が、私にとっては重要だった。
そして、自分には声優の道は開かれていないのだと悟った。いや、声優だけではない。自分が志してきた「クリエイター」なるもの全ての門が閉ざされるのを感じた。こういう事は、結局、運とタイミングなのだ。あるべき時に受け入れてくれる者が居るか、応援してくれる者が居るか、そして先立つものがあるか。少なくとも今の自分には、何も無い。
この程度のことで諦めるのだから、所詮大した執着も無かったのかもしれない。クリエイターを目指す人には、家族の反対を押し切るか、生活が成り立つことを納得させる場合も多い。しかし私は家族に波風が立つのが嫌だった。そして自分の安息が消えるのが、居心地が悪くなるのが嫌だったのだ。友人との関係は浅いから、そうした将来にかかわることの相談もしていない。弟だけが応援してくれたが、彼も両親には逆らえない。
自分の考えていることが正しいと保証されなければ、その行為に及べない。自分の願望が正しいとすら思えない。私はそういう弱い人間だ。
自分の願望が誰かを不快にするなら、そんな願望は捨ててしまった方がいい。そう考えてしまう。
そして結局、親の考える通りに、適当に安定した、退屈しなさそうな会社に入った。入ってみると自分が避けてきた体育会系の人間が多かったが、待遇は良い。
しかし、よくよく考えてみると、アルバイトやパートに入って、不安定な収入のなかで夢を追うよりは、安定して昇給を重ね、年に1度は旅行に行き、ゆくゆくは車を買い、家を買うような生活の方が私は欲しかった。正直に言って実家は裕福ではなく、上に連ねたような生活は車しか満たされていなかったし、食事は精進料理のようだった。焼肉すら家族では行ったことがない。その生活をわざわざ自分で選び直すよりは、「普通」の生活、「普通」の人生を歩んでみたかった。
だが今、何か物足りないような気もしている。本当にこれで良かったのか。自分はもっと色々できるはずだ。なのにここに落ち着いてしまって良かったのか?
答えはまだ、分からない。しかしサラリーマンというのも、案外派手な職業かもしれない。特に営業職なんか。パフォーマーという点では、自分に向いているのかもしれない。
とにかく今は、まだ何も分からない。自分が属したこの場所で、やれるだけのことはやってみる。
再起不能になるか、クビになるか、死ぬか。それまでは辞めないでおこうと思っている。
ここまで読んでいただき、有難うございます。