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太陽が燃えていますね  作者: 青木達磨
3/4

太陽が燃えていますね ③

 試験明けにその報告を受けた俺は、憎らしく思う一方で、彼には何食わぬ顔でおめでとうと言った。しかしながら、顔も性格も性能も良い御影には遅かれ早かれ交際相手ができるだろうと確信していたので、祝いの言葉は本心からのものだった。


 予想外だったのは、俺と御影が以前よりも疎遠になるということがなかったことだ。

 彼は交際相手ができてからも、変わらぬ頻度で俺と話し、共に遊びに出掛け、帰り道で買い食いをしていた。こういったことは彼女ができればそちらに構いきりになるものだと思っていたが、友人と恋人に使う時間を両立させられる御影には驚かされた。


 そういう器用なことができるから、彼らの交際は五年にも及んだのだろう。

 俺から見ても御影とその交際相手は仲が良く、お似合いだった。高校生らしく節度を持ったお付き合いをしていたし、彼女のほうもそれに何ら不満を抱いてはいなかった。

 あるいは、御影がそうさせていたのかもしれない。彼は優しいから、彼女を思いやるあまりに、そういったことには厳しかった。


 御影を近くで見てきたから、その交際相手のことも間接的に見てきた。大学に進学する際に彼とルームシェアを始めてしまったのは、さすがに彼女に悪いと思った。

 けれど彼は何の問題もないと言って誘ってくれたし、俺もそれが楽しそうで断れなかった。むしろ断るのが不自然なくらい、俺たちは当たり前のように二人の時間を過ごした。


 同じサークルに入り、同じアルバイトを始め、授業の課題を手分けして片付ける日々は、常に俺と御影の笑い声と共にあった。


 初めて御影の心に触れたのは、彼が彼女のためにサプライズ誕生会を計画していることを相談された時だ。


 計画を立てている時の彼の表情は真剣でありながら、時折朗笑を浮かべていた。そのような顔を俺は見たことがなかった。

 照れながら、気恥ずかしそうにしながら、御影は利他的に計画を練る。そんな様子に、彼の心遣いを垣間見た。本当に心憎い男だ。


 そんなことが年に一度あり、大学二年生の夏に五度目の相談を受けた。御影はプレゼント代を稼ぐために海の家で臨時のアルバイトをしていて、俺もそれに付き添っていた。


「いやぁ、あっついねぇ」

「ああ……太陽が、燃えてるな。ギラッギラに燃えてるよ」


 客入りが落ち着いて休憩時間を貰った俺たちは、砂浜に並んで腰掛けて、照りつける日差しを孕んでは揺らめく海を眺めている。

 ザザァ、ザザァ、と打ち寄せる波は耳に心地良く、爪先を濡らしては帰っていく。


 視線を少し横に逸らせば、海水浴にきた同い年くらいの学生や家族連れの一行が、渚を駆けて愉快そうに遊んでいる。旅行客もいるのか、存外賑やかだ。夜になれば空に星の輝きが広がり、多少ロマンチックなのかもしれないが、昼間はそうでもない。


 静けさの欠如した海辺で俺たちは、安く買った炭酸水を回し飲みしながら話していた。


「ようやく二十歳か。本当に真面目だな」

「まぁね。こういうことはちゃんとしたいし」


 御影は二十歳になる彼女の誕生日が待ち遠しいようだった。彼女にも飲酒は二十歳からと徹底させていたからだ。それを順守する大学生がほとんどいない中、彼だけは周りに流されることなく、頑として譲らないでいた。


 彼女と一緒に酒を酌み交わすのが今から楽しみだと言わんばかりに頬を綻ばせている。御影は一足早く成人していたが、折角ならと言って、まだ一口も酒を飲んでいなかった。


「じゃあ当日は、俺はどっかヨソで寝ればいいか?」

「いや、そんなに気を遣わなくていいよ。十時くらいにはお開きにするからさ」


 誕生会の会場には我が家を使うことになった。ルームメイトとはいえ、こういう時くらいは家を明け渡すべきだろう。御影は、なんなら同席してくれてもいいとまで言うが、そこまで野暮なことはできない。


 それから御影は、プレゼントを何にするだとか、食事は何を用意するだとか、お酒は何種類用意したらいいだろうかとか、あれこれ相談してくる。休憩時間が終わるまで、俺はその一つ一つに丁寧に意見を出していた。


 夏の太陽はいつにも増してかんかん照りで、海に砂にと反射しては肌に突き刺さる。俺は熱中症になりそうなほど身を焼いていた。

 日焼け対策を失念していた俺の足元を、汀線を越えてきた波が慰めるようにくすぐる。


 汗を掻く不快さを忘れて遊ぶ一般利用者とは違い、俺たちはまた軍資金を稼ぐために脇目も振らず仕事に邁進した。


 その甲斐あって御影の懐は温まり、準備を万端に整えることができた。しかし、彼の努力は報われなかった。全てが、水泡に帰した。


 サプライズ決行の日の夜。俺は二十二時に自宅の前に着いた。月は欠けていても明るくて、未練たらしく夜道を照らしている。


 なるべく静かに扉を開けたが、玄関には女物の靴はなく、部屋の奥から談笑するような声は聞こえなかった。予定通り解散したのかと思って、俺は心置きなく靴を脱いだ。


 室内は異様なほど静かで、違和感はじわじわと押し寄せてきた。電気が点いたままの居間は整然としすぎていて、部屋の飾りつけは僅かも乱れていない。用意していた料理も手つかずのようで、バースデーケーキの蝋燭に火を灯した形跡も残っていない。あまりにもなにもなかった会場で、奮発して買ったシャンパンだけが空っぽだった。


 なんだか胸がざわついて、俺は御影の部屋に向かった。扉にべったりと耳を貼りつけて、中の様子を窺う。聞こえてきた彼の声に反応して、扉を押し開いて室内へ踏み入った。


「ツネちゃん……? お、おかえり……」


 俺を視認した御影は瞠若した瞳を向けてきた。部屋の隅っこで脚を抱えて蹲って。


 御影はどうやら泣いていた。すでに涙は出ていなかったが、なおも泣き続けていた。


 頬に跡がつくほど泣いた訳を問い質すと、彼女に振られたのだという。御影との関係に物足りなくなって、別の男ができたから別れてほしいと、電話越しに言い渡されたそうだ。


 そこまで説明すると御影はまた顔を俯けた。

 肩を震わせ、涙を枯らした歔欷きょきに耽る。


 俺はなんと言うこともできず、ただ御影を見下ろして、カッと腹の底を熱くさせていた。

 御影をこんな風にした女を許せなくもあったし、そんな相手なら別れて正解だとも思えた。とにかく、彼を励ましたかった。


 理性の糸がプツンと切れたみたいに、俺は感情に忠実になって御影の胸ぐらを掴む。そうして無理やりに立たせた。彼の目は泣き疲れて覇気がなく、怯えるように弱々しく、眼光もない。そのくせヤケになってシャンパンを飲み干してしまったものだから、眦はトロンとだらしなく落ちぶれている。


 強く引き寄せられた彼は戸惑うような態度だったが、俺は構わず抱き締めた。息苦しくなるくらいきつく、腕に力を込めた。


 抱擁に当惑しつつも御影は、安堵したように俺の背にも腕を回した。何も言わなくても、俺たちは繋がっているのだと実感した。


 初めて御影の奥深いところに触れたのは、酩酊した彼をベッドに横にさせた時だった。


 怖がった彼の手をぎゅぅっと握り締めてやって傍にいた。伝わる体温が熱を帯びていたのは、それだけ不安だったからだろう。


 御影の翳った表情は、潮焼けに赤黒くなった素肌に強張る。頬を伝うものが脂汗に代わって、滴る。月の輝きなんて目じゃなかった。

 くしゃっと歪めた顔は子供の頃から変わらず可愛らしく、けど昔と違ってずっと艶冶で愛おしく、苦悶そうに真っ赤に染まっていた。


「大丈夫だ。やまない雨はないって言うだろ」


 口を開けば気休めしか言葉にできずにいた。それが御影にどれほどの勇気を与えたかは知れない。むしろ全くの逆効果だったかもしれない。だから俺は、終始態度で思いを示した。


「ツネちゃん……、ツネ、ヒサッ……!」


 火炎のように感情を爆発させて、御影は呼吸を弾ませる。濡れた唇で慄きながら何度も俺を呼んでいた。縋りつくように必死なその声が、本気で俺を求めてくれているような気がした。


 普段だったらとっくに就寝している時間になっても、熱帯夜は俺たちを唆した。

 二人して宵っ張りになって、額に汗を滲ませていた。夏らしく、貼りついて鬱陶しい前髪を掻き上げる。


 やり場のない悲懐に苦しめられていた御影から、俺は溜め込んでいたものを吐き出させて、スッキリさせてやった。気が済むまで抱き締めてやった。


 何度となく言葉を奪ってやって、御影は呻いて、唸って、喘いで、嘔吐えずいて、くたくたになってようやく眠りについた。それを見届けてからも、俺は中々傍を離れられなかった。


 窓の外の暗がりはうっすらと明るくなっていく。明日なんか始まらなければいいとさえ、俺は馬鹿馬鹿しく考えていた。


 だけれども、やまない雨がないように、明けない夜もありはしなかった。




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