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太陽が燃えていますね  作者: 青木達磨
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太陽が燃えていますね ②



 初めて御影に触れたのは、彼と出会った時だった。

 近所に引っ越してきた彼が両親に連れられてウチに挨拶をしに来た。そこで俺と御影は握手をしたのだ。

 

 越してきたばかりの御影には土地勘もなく、俺は彼と一緒に登下校をすることになった。当時十歳であった俺はそれを億劫だとも思わず、毎朝彼を迎えに行った。

 明るい性格だった御影は慣れない土地でも尻込みする様子は微塵もなく、学校ではすんなりとクラスの輪に溶け込んでいった。人懐っこくて、俺のことも『ツネちゃん』と呼んであっという間に打ち解けた。


 学校が終わるとクラスの男子の何人かで、近くの自然公園で遊ぶことが多かった。そこには沢があって、水流の緩い所ではザリガニが捕れたりする。辺りは豊かな緑に囲まれていて、草を掻き分ければ虫がいる。子供が探検をするにはもってこいの場所だ。


「誰が一番でっかいザリガニを捕まえられるか競争しよう」


 言い出したのが誰だったかは覚えていないが、その一言で俺たちは一斉に沢に飛び込んだ。靴を脱がずにいたものだから冷たい水は隙間から侵入してくる。水を吸った靴下の心地悪さも気にせずに、服をあちこち濡らしながらザリガニを探した。


「おおっ! 日向(ひゅうが)のザリガニが一番だな!」


 四方に散らばって獲物を探した俺たちは、持ち寄ったザリガニを見せ合って比べる。俺が見つけてきたザリガニはその中で一番の大きさを誇っていて、みんなが驚いて称賛してくる。それに得意になっていた。


「そうだろ? これは俺の優勝だな」

「いや、まだ御影がいるよ」


 俺はすでに勝ったつもりでいたが、まだ御影が戻ってきていなかった。彼も何匹かは見つけていたようだったが、サイズに納得していないらしく、最後まで探し求めていた。


「おーい、御影ぇー」


 沢の端っこで屈んでいた御影に向けて声を掛け、手を振る。そうすると彼はこちらに振り返り、みんなが集まっているのに気づいて、じゃぶじゃぶと水を蹴りながら戻ってくる。


「どうだった?」

「へへ、見たい?」


 手を後ろに回してザリガニの姿を隠している御影は、自信ありげに微笑しながらもったいぶった。早くと急かすと、それを披露した。


「どう? ツネちゃんのより大きいよ」


 そう言って見せてきたザリガニは確かに大きくて、称賛の言葉は俺から御影へと移った。

 すごいすごいとみんなが囃し立てると彼は面映ゆそうにくすぐったがっていた。


「ほら、ツネちゃんも触ってみて?」


 差し出されたザリガニを持つと、俺はなんだか面白くなくなって、つい、そいつを沢の遠くへと投げ飛ばしてしまった。

 みんなは何が起きたのかわからず、始めは唖然としていた。ザリガニが水面にポチャンと落ち、二拍したくらいでどよめきが起こる。


 喧嘩になると思った。自分でも、これはやってはいけないことだったとして、すぐに衝動的な行いを反省したが、御影の怒りは止められないだろうと覚悟した。


 表情が変わった彼を見て、しかし今度は俺が唖然とすることになった。御影は顔をくしゃっと歪めさせ、ぽろぽろと涙を流していた。


「ツネちゃん……? な、なんでぇ……?」


 御影は声帯を雑巾絞りにして、俯いてしまう。どうしてこんな意地悪をされたのかわからず、怖がっているようだった。


「ご、ごめん御影……。冗談のつもりで……」


 むせび泣く御影に焦った俺は手にしていた自分のザリガニを離して、不格好に謝った。まさか彼が泣き始めるとは予想もしておらず、終始狼狽えていた。


 ある種信頼していたと言ってもいいかもしれない。御影が引っ越してきてからしばらく経ち、すっかり友人になっていたから、少しくらい意地悪をしてもいいだろうと、こちらの勝手な考えで彼を決めつけてしまっていた。


 でも違ったのだ。彼は明るくて、年相応にやんちゃであったが、繊細な心を持ち合わせていた。俺にはまだそれが見えていなかった。


 みんなは御影のことを心配しつつ、俺に対してはやりすぎだと窘めていた。中には御影を励ますつもりで『こんなことで泣くなんてダセェぞ』とも言っていたが、そんなことはないと言いたかった。


 御影はきっと優しいのだ。怒ってもいいのに、俺を責めるでもなく自分が泣いていた。


「御影、ごめん。もうこんなことしないから」

「……うん。もう、大丈夫だから」


 無理やりに笑おうとする御影に、俺は胸を痛めた。日の光が水面に反射してこんなにも美しく揺らめいていても、人は傷つくのだと知った。曇らせた顔が不安を募らせる。


 俺はもう絶対に彼を泣かせはしないと決めた。御影を大切にしようと自分に固く誓う。

 仲直りをした俺たちは沢の周りを駆けて遊んだ。せせらぎが俺の暴挙を濯いでくれる気がしたが、水の冷たさは肌を刺すようだった。


 子供ながらに立てた誓いは、事あるごとに当時を思い出させるというわけではなかったが、俺の根底には御影への思いが刻まれていたはずだ。彼と顔を合わせるたびに心臓が高鳴っていたから、間違いないだろう。


 俺と御影はそれから、中学、高校を共に過ごした。大学生になってルームシェアをすることになるとは、この時には思ってもいない。

 二人の仲はそれくらい良くなっていた。互いに互いを無二の親友と、直接伝え合ったことこそないが、そう捉えていた。

 彼の隣にはいつも俺がいて、俺の隣にはいつも御影がいた。そんな日々が当たり前になっていたから、他の友人と比べてしまうとどうしても特別なもののように感じられていた。


 高校の授業で俺は少し遅れていた。運動はできるほうだったが、勉強するのは苦手だった。一方で御影は文武両道だった。だから彼には宿題を写させてもらったり、期末試験の前日には彼の自宅に転がり込んで一夜漬けに勤しんだりしたものだ。


「ねぇ、これ見てよツネちゃん。かっこよくない?」


 四角い座卓の斜向かいに座っていた御影は、こちらに肩を寄せて教科書を見せてくる。俺も身体を近づけてその教科書を覗き込んだ。


 教科書は現代文の勉強中だった俺と同じものだが、御影は試験範囲の復習に飽きてしまったようで、範囲外のページを瞥見していた。そうして発見したのは夏目漱石の『こころ』が載ったページで、彼が指差す先には一言コラムと題されたミニコーナーがあった。


「なにが?」

「これだよ。夏目漱石は『愛しています』を『月が綺麗ですね』って訳したんだって」


 コラムには本文とは関係なく、夏目漱石に関する逸話や雑学が記されており、そこには御影が言った通りのことが書かれていた。


「かっこいいよな。こんなこと言われたらドキッとするに決まってるよ」


 御影は得体の知れない奥床しさに舞い上がっているみたいで、夏目漱石を尊敬してさえいるかのような語調で同意を求めてきた。


「そうか? いきなり言われたら、告白だなんて伝わらないんじゃないか?」


 けど俺は少し斜に構えた態度で、全面的な賛同はしない。


「それになんかキザっぽいし、歯の浮くような感じがするぞ」

「あ、そう? ツネちゃんも気に入ってくれると思ったのにな。じゃあ、ツネちゃんだったらなんて言う?」


 あどけない顔に幾分男らしさを内包させる成長期を迎えた御影は、凛々しく見える目元を無邪気そうに緩めて尋ねてくる。


「俺だったら……そうだなぁ……」


 聞かれたものだから俺は素直に思案してみたが、告白の言葉など考えたこともない。

 しかも御影が期待しているのは直球な告白ではない。夏目漱石のようにウィットに富んだ言葉だ。そんなものがスッと出てくるようならば、現代文の成績はもう少し良いはずだ。


 俺にはろくな回答を用意することができなかった。いくつか候補を脳裡に浮かばせてみるが、どれも元の告白を越えられそうにない。


「……言わないかもなぁ」


 この際大喜利的な答えでもよかったのだが、それさえもしないで俺は降参した。


「えぇ? なんでさ。告白はしたほうがいいよ。じゃないと、それこそ伝わらないよ?」

「いいんだよ、そんな相手いないし。……大体、今時こんな遠回しな告白誰もしないだろ」


 告白自体を一蹴して、俺は逃げるように話題を変える。


「そうかなぁ。こんな告白されたら嬉しいけどなぁ」

「いくらお前がモテるからって、そんなこと言ってくる女はいないって」


 共感を得られなかった御影は残念そうな面持ちでいるが、そんな顔さえ男前に見えた。

 御影は顔の作りが良いうえに誰に対しても分け隔てなく優しい。そんなことだからクラスの女子の何人もが彼を狙っているのだ。まったく、腹立たしいことこの上ない。


「それにこれは、男が女に使う告白じゃないのか? なんかそんな印象だけど」

「どうだろう? でも、じゃあ僕は言われる側じゃないのか。なら男に言う場合は……」

「そんなこと俺たちが考えてどうするんだよ」


 呆れたようにそう言うと御影は、それもそうだねとパッと破顔していた。


 いつまでもダラダラと雑談をしているのは楽しかったが、試験の時間は待ってはくれない。俺は躍起になって試験勉強に打ち込んだ。


 だというのに、俺と違って余裕のあった御影は、俺が必死に付け焼刃の知識を詰め込んでいる横でいつの間にか彼女を作っていた。

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