本番当日② ノットルノ
美音が最初に練習に参加してから、三週間後くらいだっただろうか。
その日は土曜日だけれど、メンバーの都合がつくのが夜しかないということで、珍しく十九時から二十一時といった時間帯での練習だった。
吉田さんや坂本さんが、「未成年を夜遅くまで連れ出して、申し訳ない」なんて言ってくれていたけれど、僕らももう高校二年生だ。塾なり学校行事なり、あるいは友達との遊びなりで、これくらいの時間になることは珍しくない。
あんまり気にしてくれるものだから、月島さんと一緒に苦笑いしたっけ。
その日は三楽章を集中的に練習。しかし、ここで明石さんにすっぱ抜かれたのは、僕と月島さんだった。
「お前ら、愛が足りん、愛が!!」
「えーと、それはつまり……」
「調、この曲を最初に聴いて、どう思った?」
「そりゃあ、すごくきれいな曲だなあ、と。この楽章だけ取り出して演奏されることが多いのも分かります」
「美音は?」
「私もです。奥さんとのロマンチックな思い出を歌ってるみたい」
「美音の方が、まだ近いかな。
お前ら、まだ綺麗すぎる。端的に言えば色気が足りん。それはつまり、愛を知らんということだ」
「えー、私たち、まだ高校生ですよ……」
月島さんが口を尖らすと、
「明石さん、そうですよ。あんまりその辺を子供たちに求めても……」
坂本さんが苦笑しながらフォローしてくれた。
「まあ確かに高校生だから、健全な恋愛しかしてもらっちゃ困るな……とは言え、この曲は絶対もっとよくなると思うんだなあ。おい、調!」
「は、はい!」
「何とかしてこい」
「ええ~、そんな、無茶ぶりな……」
そんな感じで練習が終わり、解散。
大人たちに月島さんを送るよう強く言われ、僕は遠回りして彼女の最寄り駅まで行くことになった。
都内は狭く、数十分も電車に揺られれば、大抵のところには着いてしまう。
改札まで送りながら、僕は月島さんに尋ねる。
「駅から家までは近いんだっけ?」
「うん、すぐだよ」
「そうか。じゃあ、僕はこの辺で」
「あ、待って、藤奏君」
「どうしたの?」
「……ちょっと、時間ある?少し話そうよ」
月島さんの家と僕の家は近いとも遠いとも言い難い微妙な位置関係だけど、それでもここから帰宅まで三十分程度、まだ十時前だから、余裕の時間帯だった。
「いいよ」
僕は承諾し、改札をくぐることにする。
月島さんは「それは悪い」って言ってたけど、人が多くて、駅構内はなかなか落ち着かなさそうだったから。
結局月島さんの提案で、彼女の自宅近くの公園まで送ることになった。
「ふー、思ったより寒いねえ」
「もう十一月だからね。月島さん、コーヒー、飲む?」
道中で自販機を見つけると、ドリンクで暖を取りたくなったんだ。
「お、いいねえ。あ、待って、ここは私が出すよ」
「え、そのくらい大丈夫だけど」
「いやいや、ここまで来てもらっちゃったから、そのお礼ってことで」
「……じゃ、ありがたくいただいとく」
「よろしい」
そんな会話をして缶コーヒーを二本手に入れ、公園のベンチに腰掛けた。
「あのさ、さっきの明石さんの、三楽章のことなんだけど」
月島さんが切り出す。
「うん」
「愛が足りない、って言われたじゃない。それで、藤奏君はさ、その……言いたくなければ、それでいいんだけど……」
ああ、なるほど。
「前にフラれたこと?さすがに時間が経ってるし、ショックは和らいでいるから、大丈夫だよ」
「そうなの?
……いや、でも、やっぱいい。悪いし。ごめんね、嫌な話しちゃって」
「そう?」
そう言われると、わざわざ自分から話すこともないだろうけど……。
「愛が足りない、か。確かに僕も、ずっと片思いだったから、誰かと付き合って……みたいな経験はないんだよなあ。難しいよ……」
「そうなんだよね。私も恋愛経験あんまないし……」
「またまた、謙遜しちゃって」
「ホントだよ!」
頬を膨らます月島さん。
「え、それは意外」
「意外って、何で?」
「そりゃあだって、可愛いし、性格も良いしで、絶対モテるでしょ。告白されたこととか、いっぱいありそう」
「……ストレートに来るなあ」
あ、つい本音が……。
「あ、ごめん……」
「いや、良いんだけど。確かに、男子に告白されることはあるよ。でも、全然話したことない人と付き合えないし。割と女子同士でかたまってることが多くて、あんまり男友達はいないんだよね。むしろちょっと身構えちゃう」
「そうなんだ。話していると、そうは思えないけど」
「いやそれが、藤奏君はめっちゃ話しやすいんだよね。メロ様だってことも知ったからかな?すごい身近に感じる、というか。
まだ知り合って一ヶ月も経ってないのにね」
「言われてみると、僕も月島さんとは話しやすい。音楽やってるからってのもあると思うけど、そうか、まだ一ヶ月経ってないのか」
「ね。ってかさ、苗字呼びも止めちゃわない?何か、堅苦しいし、むずむずする」
「え?僕はまあ、いいけど……変に誤解されないかな?」
「誤解って、何を?」
「そりゃ、付き合ってるんじゃないか、とか」
「う……」
あんまりそういうことを考えていなかったようだけれど、僕の指摘から思い至ったのか、彼女は少し俯いた。
ややあって、彼女が少し顔を上げる。
「うーん……藤奏君は、迷惑?」
その上目遣いは反則に思えた。
「いや、そこまでは……」
「じゃ、いいんじゃない?」
「いいんですかね」
「いいんですよ」
そうなのか。
そこから、二人の間に静寂が流れる。
「……呼んでよ」
「……いや、そっちこそ」
改めて身構えてしまうと、何だか恥ずかしいな……。
それは向こうも同じようで、お互いしっかり顔を見れなくて、正面のベンチを眺めていた。
「……美音」
「……調」
僕がポツリと呟くと、美音も同じ調子で返してくれた。
美音がスクッと立つ。
「よし、調!握手しよ!」
「え、いいけど、何で?」
「そりゃあ、これからもよろしくってことだよ!」
「ああ、なるほど」
美音が差し出した手を、僕は握り返した。
「じゃあ、演奏会、絶対いいものにしようね、調!」
「うん!こちらこそ、よろしく、美音」
「ありがと!じゃ、私、帰るね。また学校で!」
美音と別れ、僕も帰路につく。
何気なしに夜空を眺めると、自然とノットルノの音楽が思い出されたんだ。




