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丙午の巫女  作者: 覡童子
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丙午の巫女 ‐第弐章‐

 鈴鹿の死後、村は戦乱で荒廃した都から陰陽師を招聘し、鈴鹿の祟りを未然に防ごうとした。


 それから十年ほど経っても、祟りは起こらなかった。村人たちは安心しきり、二十年、三十年と時が過ぎていくにつれ、記憶は風化していった。


 それは六十年が経った、ある日の夜のことだった。

 杜下家の屋敷から原因不明の火の手が上がり、当主以下三十名以上が死亡した。御子山家や金宮家をはじめ、他の名主の屋敷や農民の住居でも不審火で合計二十数名が亡くなるなどし、同時多発的な大規模放火殺人事件は村中を震撼させた。

 鬼の存在を疑う者や、作人や下人による集団的且つ計画的な犯行を疑う者などが現れ、当初人々の意見は様々に分かれたが、このような大規模な放火事件は赤衣村でも前例がなく、どの意見も現実的ではなかった。

 そんな中、作人たちから奇妙な目撃証言が上がった。なんでも、事件のあった夜、白装束に身を包み、垂衣付きの市女笠を被り、手には煌々と燃える松明を掲げた女人が、馬にまたがり颯爽と駆け抜けていったと、皆口々に話したのだとか。

 最も被害の大きかった杜下家の動揺は凄まじかった。その動揺の発端は、あのお温羅だった。

 この時既に齢八十を超え、家内でも発言力のあった彼女は火事の中でも生き残っていたが、この話が耳に入ると顔を真っ青にして震え上がり、鈴鹿さんの亡霊だ、鈴鹿さんの祟りだ、許してください、許してくださいと喚き始めたという。家にいた他の者たちも、今年があの年と同じ丙午で、事件のあった日が鈴鹿の命日だというお温羅の話を聞くやいなや、今度の丙午には家や村が滅びてしまうのではないかとか、陰陽師では祓えないのかとか、石碑を建てて供養しなければならないとか、皆混乱の中とにかく必死になって考えを巡らせた。


 その後杜下家が主導となり、巫女や陰陽師、仏僧による祈祷と、慰霊碑の建立が行われ、皆六十年後の二度目の祟りに怯えながらも、とりあえず一段落したといった様相だった。

 しかし、講じられた対策のどれもが、結局全くの徒労に終わってしまうことを、この時の村人たちは知る由もなかった。


 惨劇は早くもたった数カ月後に訪れた。村全域にまたがる大火に人々は逃げ惑い、中にはひどい火傷で皮膚が爛れ、溜池に飛び込む者などもいた。村は文字通りの地獄絵図と化したのだった。

 お温羅は孫息子に手を引かれ、山沿いにある川の方へと避難していた。到着すると、既に十数名の村人が対岸に身を寄せ合っていた。

 そして孫息子がお温羅を背負って川を渡ろうとした、その時だった。

 後方から馬のけたたましい鳴き声と蹄音が響いてきた。彼らが振り向くと、すこし離れたところに馬にまたがった白装束の鈴鹿が佇んでいた。鈴鹿は馬を降り、市女笠を脱ぎ捨て、血を滴らせた日本刀を手に、お温羅たちのもとに迫ってきた。二人とも恐怖で腰を抜かし、川を渡ることを忘れ、そこに凍りついた。


「う、くく、く、来るなぁ!」


 お温羅の孫は恐怖に震える声を絞り出し、必死に抵抗しようとした。だが鈴鹿はそれを無視し、お温羅に向かって語りかけ始めた。


「私のことなんてどうでもよかったのに。気づいて欲しかったのに。今日が姉さんの命日だなんてこと、とっくに忘れてるよね」


 呆気にとられたお温羅に向かって、鈴鹿は悲愴の笑みを浮かべて続けた。


「私はね、気づくきっかけを与えたんだよ。なのにあんたたちは私の供養ばかり。姉さんの墓は壊されたまま、誰も見向きもしようとしない。所詮、いつまで経ってもあんたたちは自分たちのことだけしか考えられないんだね。いいわ、終わらせてあげる。ただ、死んでも姉さんのところにだけは行かないでね」


 鈴鹿はそう言うと、お温羅の孫息子を日本刀で無造作に斬り捨てた。


「お温羅、私を裏切ったこと、まだ後悔してる?」

「許してください…許してください…紅葉姉さんのお墓は、杜下が責任を持って直しますから、もう村を焚いて人を斬るのはやめてください…」

「そんなことは訊いてない。どうせあんたも、鬼と成り果てたこの私に斬り殺されるのよ。遺言があれば聞こうと思っただけ。そっか、姉さんの墓を立て直すとしても、あくまで村のためなんだよね。聞くだけ無駄だった…。じゃあ、さようなら」


 鈴鹿がお温羅を斬り殺さんと日本刀を振り下ろした、その時だった。

 もう一筋の日本刀が、鈴鹿の斬撃を受け止め、お温羅を守った。

 お温羅は視線をその刀の主の方に向けると、思わず目を見開いた。

 刀の主は、緋色の掛衿を覗かせた純白の小袖と鮮やかな緋袴を纏った、どこか懐かしさを感じさせる人だった。

 その人は斬撃を受け止めた刀で、そのまま鈴鹿の刀を振り払った。


「今すぐその刀を収めなさい!金宮鈴鹿!」

「ね…、姉さん…」


 鈴鹿はその場に立ち尽くし、力を無くした右手からは日本刀が滑り落ちた。

 紅葉は鈴鹿に歩み寄ると、彼女をそっと抱きしめた。そして紅葉はいつもの穏やかな口調で、鈴鹿を優しく慰めた。


「ずっと苦しい思いをさせてごめんね。鈴鹿はよく頑張ったよ。私を心配してくれて、ありがとう。でも姉さん、大丈夫だから、もう私のことで苦しまないで…」


 鈴鹿は唇を噛みしめ、すすり泣いていた。


 彼女は村人たちに対して自分がしてきた仕打ちが、かえって姉を傷つけていたのではないかと心配した。


「ごめんなさい…ごめんなさい…私、姉さんが大切にしていた村に、村の人たちに、こんな酷いことを…」


 紅葉はゆっくりと首を横に振った。


「自分を責めないで。何かをされて心が折れてしまうことくらい、人になら誰だってある。これからは姉さん、あなたとずっと一緒だから…ゆっくり休んで、鈴鹿」


 二人は光となり、空を舞って消えていった。

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