丙午の巫女 ‐序章‐
この村はその昔、赤衣村と呼ばれていた。
ある時から、この村に人喰い鬼の一党がのさばるようになった。この村では、日が沈むと男の鬼たちが人間を狩り、日が昇ると女の鬼たちが夫が狩ってきた人間の血で織物を染め、着物を仕立てていたという。そうしてできた赤い着物が村の名の由来なのだとか。
村人たちは常に鬼共に怯えながらの暮らしを余儀なくされており、これを見かねた領主が村に鬼の討伐軍を出したが、鬼共の怪力や妖術を前に討伐軍は惨敗を喫した。為す術がなくなった領主は、領内の山岳地の奥深くに住まうという火神にお祈りをした。なんでもその火神という神様は、もとは高天原に住んでいたとかで、かなり高位の神様らしい。火神は領主の祈りに応えて鬼共を滅ぼし、村人たちを救った。このまま村にとどまってはもらえないかと村人たちに懇願された火神は村に残り、村の娘と交わった。
後の村の二大名主、御子山家と金宮家はどちらも火神を祖とする家であり、神の血統として村人たちからも仰がれるようになったこの二家は、それぞれの有力者たちが代々村の行政に加え、火神が高天原に還る際に残したという"御燈火"を御神体とし、二家の氏神である火神を祀る神社・燈御社で行われる神事にも中心として携わってきた。
室町時代頃になると、宮座を結合の中心とした村の行政組織が確立され、この社の神主には二家の当主が年番で就任するようになった。
燈御社は神道の歴史的に見ても珍しく、神主以外の神職は巫女が兼任しており、その職階は巫女の階級も兼ねていた。巫女には主に御子山家や金宮家から嫁入り前の若くて美しい娘たちがその家の威信をかけて出され、禰宜や権禰宜を務めた。巫女たちには神楽を舞ったり祈祷や占いをしたりすることの他に、御神体である"御燈火"の灯台に油を継ぎ足し続けるという役目もあったが、最も重要な役割といえば、神主の責任のもとで神事を実質的に主導することだった。特に神主を補佐し、権禰宜たちを束ねていた禰宜はいわば巫女の花形でもあり、巫女神楽を一人で舞うことがあるなど、神事においては主役と言っても過言ではない存在だった。
また、その頃には新興の杜下家が台頭し、村の行政や神事にも参加するようになり、村の勢力図は御子山、金宮、杜下の三家による三つ巴の様相を呈していた。