1話 三ダース持ってきて!
陽が落ちた後の酒場。染みだらけの木の壁に橙色の光がゆれる。木のカップがぶつかる音、酔っ払いのがなり声。本当なら今頃シルクのシーツの上で香水の香りに包まれているはずだったのに。
赤髪の長身の男、無精ひげを生やした四十の傭兵は吊りランプをよけつつ、汗臭い傭兵たちの間をぬけ、カウンターにひじかけた。
「ノシクさんじゃねっすか!どもっす!」
「ノシクさ~ん」
ノシクに話しかけたのは地元の豚人でパーティーを組んでいるジッロと、流れ者の女三人でパーティを組んでるミノタウロスのモニークだ。食堂の息子で斥侯のロッコと、種族は不明だがヒーラーのヘレナもいる。垂れ目気味ながら彫りの深いノシクの瞳とヘレナの視線がしっとりと絡み合った。
「…おう」
モニークのとこのリーダーのレンピはいない様だ。レンピは良い女だが、今日ばかりは会いたくない。
「ノシクさんこの時間にいるのめっちゃ久しぶりじゃねえっすか?」
「めっずらしー!こんな時間に!」
ジッロとモニークはわざわざ俺の後ろの丸テーブルに移動してきた。
「とりあえず頼ませてくれ、エマちゃんウイスキーロックで頼む」
「はいは~い!」
パスタはまた今度だ。一杯呑んできりあげよう。
「あれ、ノシクじゃなあい」
びくっ
ノシクが横を見ると流れる金髪にエルフ特有のつんとたった耳、高慢そうなエメラルド色の瞳の絶世の美女がいた。腕組みする腕の上には双丘の膨らみが豊かに揺れている。
「………よおレンピ」
「イルマの娼館、出禁になった?」
レンピは口角をあげ、形のよい唇をみせつけるように微笑むと、カウンターに肘をかけ最高のおもちゃを見つけたという様子でノシクを見つめる。
「ええ?!」
「またですかっ?」
ジッロはエールのジョッキをもちあげたまま、モニークは手に口をあてて驚いた。
「鬼畜プレイ…」
ロッコがぼそりとつぶやく、ヘレナが「まあ」と目をうるませてノシクを見る。
「やっていない。やってないから!レンピ…なんで知ってるのかねえ」
そう。今日ようやく北東のゾワッグ地方の護衛依頼が終わって帰ってきた。いつも通り、イルマの娼館にいきロレッタかリタに癒してもらおうと思ったら、二人にもう会いたくないと断られたのである。イルマにじゃあ他の女の子を紹介してくれと頼んだら上から盥で水を落とされた。
「二人の喧嘩とめたの私だから。イルマさんにぜーんぶノシクが悪いっていっといたわよ。」
「お前かあ!なんでロレッタとリタの喧嘩が俺のせいなの?」
「そりゃあ女の子二人に平等に将来の近いを囁いたりするからでしょ。」
(それが原因か)
ノシクはようやく理由がわかり遠い目をした。悪気はなかった。ノシクはただ、君の側が一番安心して眠れると本当のことを言っただけだ。そこからの盛り上がり方が二人だいたい同じだったので、はいはいと言っている内にベッドの上で将来の家の間取り等について話し合う仲になっていた。
「まあ…俺が悪いな。」
モニークがぐいっとエールを飲み干した。
「阿保らしっ、とりあえず呑みましょ!」
「おっ今日はノシクさんのおごりっすか?」
そこにエマちゃんがウイスキーをグラスで持ってきた。
「ウイスキーロックおまたせしました~、レンピ姉さんいらっしゃいませ」
「はろ~エマちゃん私も同じの、あとルーク豚のソテーと、キリープの実とチーズ盛り合わせお願い」
「あっじゃあ俺海鮮アヒージョとパンとエールもう一杯お願いするっす」
「僕はカブのサラダとハイボール」
「あたしはポロロ鳥の手羽先とエールもう一杯!」
「あ、私は雪菊酒でおねがいします」
「はーい、ウイスキーのロックにハイボール、雪菊酒、エール二杯、ルーク豚のソテーにキリープの実、
チーズ盛り合わせ、海鮮アヒージョのパン、カブのサラダ、ポロロ鳥の手羽先ですね」
「うん、会計はノシクね。」
こいつらには労わりの心というものがないのか。
「肉ばっか頼むな!野菜をたのめ野菜を!」
「ノシクさんベジタリアンっすもんね~」
はははとジッロが笑う。
「は~もうやだやだ。そろそろルーメンも潮時かね。」
異邦人の都、ルーメンに定住してかれこれ十年になる。イルマの宿の前に使ってた娼館の子まだ怒ってるかな、そろそろ許してくれねえかな。
「女を宿かわりにつかうな!」
内心をみすかしたようにレンピにぴしゃりと言われる。
「いやいや、おれ単身者向け住居申請してないし結構切実よ。どっか旅でもでるかねえ」
モニークとレンピがげーっという目でおれを見る。やかましいわ。
「お待たせしました!」
エマちゃんが酒類とポロロ鳥の手羽先、チーズをもってきた。エマちゃんは栗色の髪の毛をポニーテールでまとめ、そばかすが健康的でかわいい顔をしている。ロッコが他のメンバーから空いたコップを回収してエマちゃんに渡していく。
「太陽の帝国とかどうっす?」
のりのりで聞いてくるジッロにモニークが答えた。
「あー行方不明だった神子が帰って来たってやつ?旅行護衛の依頼山ほどあるよね」
「あっちは日焼けしますからねえ」
ヘレナちゃんが雪の花ひらく東の酒をこくりと呑み、ほうっと息を吐く。あの酒確かここで一番高い奴…深く考えたらいかん。俺も琥珀色の液体で喉を潤す。太陽の帝国か…ちょっときなくせえんだよな。
「俺はいいや、ジッロ行きたいの?」
「いきたいんすけどね~竜王国だって行ってみたいし…」
おそらくリーダーのフランコが乗り気ではないのだろう、たしか5児の父親だったよな。
「やめときな、荒地の民狩りの依頼もあっちからでしょ」
レンピが面白くもなさそうにウイスキーを飲む。
「あったっすね~一年位前でしたっけ。余裕っしょ?チーロが稼ぎまくってたじゃないっすか」
チーロという名前に品のないC級傭兵の顔が浮かぶ。
「あの詐欺野郎ね」
「え?討伐部位の蹄と鉤爪ちゃんと持ってきたらしいっすよ」
「ないない。どうせケンタウロスとか、ハーピーでしょ。チーロじゃ百回死んでも無理ね」
レンピはチーズをぱくりと食べた。エマちゃんが次々と料理を運んでくれる。ルーク豚のソテーにはプルンとした上品な脂がのっているし、海鮮のアヒージョはブクブクと香ばしいキリープ油の香りを漂わせている。
「そんな…副ギルド長が黙ってないでしょ」
「ん~みんな気づいてたけど黙ってたんだよ。一見見分けがつかないからな。」
そして悪意のある傭兵達に駆られたハーピーやケンタウロスが居たことは胸糞の悪い事実だ。
「まじっすか」
ジッロとロッコは目を丸く見開いた。そんな二人にレンピは呆れた様子である。
「青いわねえ、最近は何うけてんの?」
「…ラットの駆除とか土建ギルドの警備とかっすね」
「くふふ。かわい~」
女三人に馬鹿にされジッロは目をしばたいた。ロッコはサラダの葉で口を膨らませている。
「荒地の民ってそんなやばかったんすか?ノシクさん戦ったことあります?レンピさんも見たことあるんすか?そんなに?」
「エマちゃん同じのもう一杯頼む。」
いいねえ、怖いものが少ないってのはいいことよ。
「んー荒地の民とオーガは魔族の中でも強いし統率されてるって有名じゃん。たしか無詠唱で二種以上の属性魔法が余裕の上級魔族だよ。これくらいの知識前にも言ってたんじゃないの」
モニークはポロロ鳥の手羽先にかぶりつきながら答えた。
「前の戦争まではね~、エマちゃん赤ワインボトルでお願い」
この女は人の財布を何だと思ってるんだ?レンピは俺が凝視するのも気にせず話題をかえた。
「オーガといえば最近どう?大狼の飼い主は?」
大狼の飼い主か…、関わりたくない人物№1の変人の姿が思い浮かぶ。
「いや、それがね。なんとこの前B級になったみたいなんすよ」
「えっ!すごおい!」
モニークは目を丸くし飲み干したエールグラスをドンっとテーブルに置いた。レンピはエマちゃんから赤ワインのボトルを受け取ると、三つのグラスにワインをそそいでいく。
大狼の飼い主は半年ほど前、ラッザロ傭兵ギルドへやってきた。その時俺はちょうど遠征でルーメンにはいなかったのでまた聞きだが、そいつは血で真っ黒になった外套をきて、これまた血で茶色くなった大狼を降下もさせずにチギットリアの前に座らせ、ギルドに入って来たらしい。そのあまりの臭さに受付嬢のスザンナちゃんが気絶し、エマちゃんは震えあがり、一年に一度位しか顔をみせない副ギルド長が面に出てきて、まずは大狼を降下させてくれと説明したがルーメンの公用語であるクルヌギア語が片言の大狼の飼い主になかなか伝わらず、最終的にはラッザロさんが直接風呂屋に連れて行ったらしい。
「今もつけてんの?あのお面」
こくりとジッロは頷く。
「オーガなのかなあ?」
モニークはレンピからグラスを受け取ると最後のポロロ鳥の手羽先に手を伸ばす。大狼の飼い主は、何かで染めたような緑色の髪に顔の上半分を隠すオーガの仮面をかぶっている。その仮面もどこで見つけてきたんだというようなボロボロの木製の代物だ。
「オーガにしたらちょっと細いかな、鬼人ならわかるけど」
レンピはぐいぐいと赤ワインを飲む。
「どっちにしろわざわざ目立つお面はつけませんよねえ」
ヘレナも杯をグラスに持ち替え、人差し指を顎にあて小首をかしげる。オーガは先の竜王国と魔族の大戦以来火山列島を追われ、離れの集落で暮らしている。オーガ種に属する鬼人も方々に逃げ、このルーメンにも多く流れてきているが、そこでわざわざオーガの仮面をつける馬鹿はいない。
「傭兵業もあの年でデビューって話だったけど、B級って早すぎ」
クルヌギアの傭兵ギルドでは傭兵の評価を等しくするため達成した依頼の難易度と数、また昇格試験をとおしてランク付けを行っている。ランクはSS、S、A、B、C、D、E、Fの8級あり、B級になれば一応一人前と認められどの難易度の依頼でも受けることができる。大狼の飼い主は三十前後ではないかという噂だが、普通三十過ぎて傭兵になる奴はいない。
「絶対なんか悪いことして逃げてきた系っすよ」
「じゃあジッロがルーメンの町警備隊としてやっつけちゃえ」
「無理無理」
「万年D級ですからあ♪」
けらけらと笑う女三人組。ジッロとロッコはむっとしているが何も言い返せない。
「レンピ達は会ってないのか?」
「彼、朝型らしいのよね」
「ああ…だから俺もあわねえんだな」
ジッロんとこのパーティーはだいたい早朝にギルドに行き、夕方に帰る。レンピ達は夕方から深夜に仕事を受ける。俺はだいたい夜に依頼版をみて討伐以外はここかイルマの娼館にいる。なので昼型の相手ならジッロ達のように酒場に来ない限り普通接点はない。上級魔族つれてオーガの仮面被ってる常識知らずの変人と関わらなくてすんでいるのは結構なことだ。
「噂になってたからねえ、命しらずの依頼ばっかとってくって」
レンピがボトルをかかげ残りを確認するとちらりとノシクを見る。ノシクは諦めたように好きにしてくれと手をふった。
「マスター!赤ワイン三ダースもってきて!」
椅子からずり落ちるノシク。
「生き残ってたかあ、たいしたもんだあ」
モニークがぐいっとグラスの赤ワインを飲み干す。
「悪いことしてまで生きてたってしゃあねえっすよ!」
ジッロはむきになりながらエールを飲み干す。いやそもそも悪いことしてたかはわからんのだけどね。
「いい男だったらなんでもありなんですけどねえ」
ヘレナはグラスを空にすると、流し目でノシクをみた。
(これは…)
今夜の宿はなんとかなりそうだな。ヒーラーということはヘレナちゃんは水属性…人の子かな?ニンフかな?ノシクはめくるめく夜を期待しつつ、マスターが運んできてくれた木箱から赤ワインを取り出した。
ルーメンはクルヌギア平原の一都市国家です。クルヌギアには、豚人3:人間3:オーク2 の感じで残る2割は色んな種族がいます。クルヌギアはクルヌギア語が話せたらクルヌギア人だねという感じの文化です。豚人と人間の違いは、ぶっちゃけありません。人間とオークが何代も交じり合ったのが豚人で、オークの固有魔法を引き継いでおらず魔族としての特性はありません。