第366話:ユイシス。
ネコの発言に思わず俺は身を起こしていた。
「あ、ごしゅじん、やっと起きてくれましたね」
「気休めはやめろ」
正直言ってかなり不愉快だ。
勢いで反応してしまったが、ティアがまだ居るなんて事……。
「あるはず無い、って言えますか?」
いつになくネコが真剣な眼差しで俺を見つめ返してくる。
「……有り得ないだろ」
「どうしてそう言えます? 確かに私はその場に居ませんでしたし、きちんとこの目で見た訳じゃないですけど……」
「だったら余計な事を言うな」
俺を立ち直らせるための適当な方便ならやめてくれ。妙な期待を持たせるな。
「だって……ごしゅじんは自分の中にある過去の記憶達を取り込んでその人を消滅させる事できます?」
……あ?
「そんな事……」
どうなんだ? そんな事やった事が無い。
例えば前世の記憶に身体を渡す事は可能だ。
俺が引っ込んでいればそいつとしてこの身体を使う事を許可できる。
キララで言う所の今ままでのティアがそうだ。
俺と同じ状況だったとして、だったら俺は自分の中の過去を取り込み消滅させる事が出来るか?
『記憶は記憶よ。過去の自分として君の中にあるってだけ』
なんだよ急に出てきやがって……。
『私にも思う所があるってだけよ』
……しかしママドラがここで口を出してきたという事は、そういう事なのかもしれない。
『とは言っても過度な期待はしないでちょうだい。私達の常識が通じる相手じゃないんだから』
分かってるよ。
分かってるが、その可能性が少しでも残っているというのなら話は別だ。
俺にはまだやらなきゃならない事がある。
「どうです? できますか?」
「いや、少なくとも俺には過去の自分を消滅させるような事は出来ない」
ネコは俺の顔をじっと見つめ、微笑んだ。
「もう大丈夫そうですね♪ なんでもかんでも一人で抱え込まないで下さい。私に出来る事なんてあまりないですけど、一緒に苦しんだり悲しんだり可能性を探す事くらいは出来ますからね?」
そう言うとネコは俺を後ろから優しく抱きしめてくれた。
あの時のキララとはまるで違う。
温かさに包まれるような感覚。
「……それじゃあ私は食事の準備を手伝ってきますね。だから、落ち着いたらでいいので食べに来て下さい」
ネコはすっと立ち上がると俺の返事を待たずにドアノブに手をかける。
「待てユイシス」
「……えへへ、びっくりしちゃいましたよぅ。いつも通りネコでいいですよ♪」
「……ありがとうな」
ネコはまんまるな目を大きく開き、そしてゆっくりと閉じてから「私はいつでもごしゅじんの味方ですからね?」と笑って部屋を出て行った。
本当に俺ってやつはダメな奴だな。
『今更ね』
うるせぇな。今までずっとだんまり決め込んでたくせに。
『声をかけられる状態じゃなかったのは君でしょ?』
そりゃそうだが……。ママドラも俺の半身だっていうならもうちょっとこうさ、慰めてくれたっていいじゃんよ。
『私にネコちゃんの代わりは出来ないわよ。だって私は君なんだもの。私だって今のネコちゃんには救われたわ。あいつらの言葉を鵜呑みにする必要なんて無いんだって気付かせてもらったものね』
そもそもお前はティアが居なくなった事をどう思ってるんだよ。別にそんなに問題じゃないだろ?
そう、六竜からしたら人が一人消える事がどれだけの事だというのか。
『失礼ね。言ってるでしょ? 私は君なのよ。君の気持ちも考えも誰よりも理解してるわ。君が悲しい事なら私だって悲しいの。君が怒りを感じるなら私だって怒ってる。そういう物よ』
……そんなもんかねぇ?
『そんなものなのよ。でも君が誰かにとんでもない劣情を抱えたとしても私まで一緒にされちゃ困るわ』
今いい話してなかったか? なんで急にそんな事になった。
『ふふ、調子が出てきたじゃない』
うるせぇなカラ元気ってやつだよ。
……しかし本当にキララの中にティアが残っているなんて事があるだろうか?
もしかしたら本当に気休めで、そんな可能性は残っていないのかもしれない。
だとしても、俺にそれを確かめる術はない。
つまり、ゼロかどうかを確かめる事が出来ないのなら可能性があるかもしれないという事だ。
ほんの僅かな望みだったとしても、どんなに滑稽だったとしても俺はまだ可能性があると信じて動くしかない。
考える事は山積みだ。
もし万が一にもティアがまだ残っているとしたら、キララの身体からキララ本人をどうやって追い出す、或いは封印するか。
再びティアに主導権を握らせるためにどのような手段を講じる必要があるのか。
このあたりはシルヴァと相談する必要があるだろう。
やる事が見つかったら急に体の方が悲鳴をあげてきた。
思えば倒れていた間何も食べてないのだから仕方ない。
『じゃあまずはともあれ……』
腹が減っては戦は出来ぬってな。