7話:嵐を呼ぶコンクール*1
王都での小旅行の日程が終了したので、一度、僕らは森に帰ることにした。
ほら、僕なんかはいつどこに居てもいいのだけれど、フェイはそういう訳にもいかないし、フェイのお父さんにも報告しないといけないし。
……ということで、僕らはレッドガルド領の森に戻って、そこで作戦会議だ。
会議室は僕の家。飲み物は王都のお土産のお茶。お茶請けは妖精のクッキーとマドレーヌ。瓶詰キャンディを食べるのは描くまでお預け。
都会から移住してきた妖精達が森の妖精達に挨拶しているのを机の端っこに見ながら、僕らは話し始める。
「まあ……俺か親父か兄貴がブロンパ家と話すのが一番いいかもな。ライラって子自身はそうしろって言ってたし」
うん。彼女自身は、今の状態でコンクールへの出品を目指してるらしかったし、折れる気は無いってことだろう。なら、申し訳ないけれど、貴族同士の話し合いをしてもらうしかないのかな。
「フェイ、ごめん」
「いや、これはトウゴのせいでもねえからな。しょうがねえしょうがねえ。災難だったってだけだろ。うん。まあ、コンクールの出品を取り下げさせなかったのは意外だったけどよ」
「ごめん」
うん。あれ、フェイは許してくれたけれど、フェイじゃない人だったら許してくれなかったかもしれない。
「いいんじゃない?トウゴ君、気になっているんでしょう?」
けれど、そこでクロアさんが苦笑しながら言った。
「美術館に行ってから、ずっともやもやした顔、してたもの」
「……うん」
ライラっていう子は、美術館の絵を『名前が展示されているだけ』だって言っていた。この国では、貴族や貴族がパトロンについている画家だけが評価されている、って。
僕が美術館で感じたものは、多分、そこについての違和感だった。
絵自体よりも、絵の名札に価値があるというのは……僕にとって、納得のいくことじゃない。何なら、名前なんていらなくて、絵だけがただぽつんと置いてあるべきで……そういう意味では、それを誰が描いたことにしたって、同じなのかもしれない。
だから、彼女にはあのまま、出品してほしかった。名前が関係あるのか無いのか、はっきり見てみたい気持ちがあったから。
そもそもあの絵、取り下げてしまうにはあまりにも勿体ないくらい素敵だったから。うん……。
「まあ、その分、フェイ君には交渉を頑張ってもらいましょうね」
「うおっ、ま、まあ、そうだよなあ……頑張るけどよ。うん」
……けれど、そのせいでフェイ達には迷惑、かけてしまう。
「ごめん……」
「いや、だから、いいって。俺だってちょっとは気になってるんだぜ、あの美術館の展示の基準っつうか、そういう奴は」
けれど、フェイは笑ってそう言って……それからふと、ちょっと暗い顔をした。
「もし、トウゴがここに来ていなかったら、俺、あの美術館に何も疑問を持たずに居たんだろうなあ……『ああ、こういうものが素晴らしいのか』って思って、生きてたんだろうと思うとぞっとするぜ」
そっか。フェイも、貴族だから。
……いや、フェイは貴族『なのに』今こうして僕と話してくれているし、僕に振り回されてくれているんだけれど……。
「お前の絵を見て初めて、『好きな絵ってこういう奴か!』って思ったんだ。俺さ。絵を見て美しいと思うことなんざ今まで碌に無かったんだぜ?王立美術館に疑問を持つくらいになったんだ。これは悪いことじゃねえだろ?多分」
うん……多分。
知らない方がいいこともある、って言われることもあるけれど、でも、僕は、できるだけ多くのことを知っているべきだと、思ってる。
先生もいつだったか、『知らないことが多い奴は不幸を知らないだけで、不幸を知らないことは決して幸せではないのさ』って言ってた。だからこそ、全部知って、その上で自分で判断して幸福な方へ歩け、って。……知ることは可能性を増やすことで、その可能性をできる限り子供から奪わないのが大人の務めだ、とも。
……似たようなことをフェイも思ってくれるっていうのは、すごく、嬉しい。
「それに、コンクールとかで派手にやってくれた方が、『穏便に済ませなくて済む』ってのはあるしなあ……クロアさんはそっち狙いだろ?」
「ふふ。まあね。多少は狙っていたわよ」
それから、フェイが苦笑すると、クロアさんはにっこり満面の笑みを浮かべた。
……え?狙ってた?それは、一体。
「こっそり内々で処理、なんてつまらないわ。どうせやるなら徹底的にやりましょう。第4第5のトウゴ君が現れないように」
……なんだかクロアさんが生き生きとしている。
「そういう意味では、コンクールっていうすごく目立つ、それでいて取り返しのつかない場に相手が出てきてくれるのはやりやすいわね。相手に逃げ場が無いんだもの」
それから、フェイとクロアさんが何か話し合っていたけれど、詳しいところはよく分からなかった。
ただ、僕は……なんとなく、不安でしょうがない。
「あの子、どうなるんだろう」
そして、僕がそう呟いたら、フェイもクロアさんもきょとん、として……それから、それぞれに答えてくれた。
「まあ、ブロンパ家次第じゃねえかな。ブロンパ家が『この絵師がトウゴ・ウエソラを名乗って来ていただけで、うちは騙されていただけだ』って主張するなら、あのライラって子だけ処分して終わりってなっちまうかもしれねえし」
「そうはさせないつもりだけれどね。ライラっていう子を見ている限り、ブロンパ家が何も知らずにいるとは思えないもの」
……そっか。うーん、あの子、立場が悪くなるよな。そうだよね、うん……。
僕としては、彼女が絵を描かなくなってしまうのは、ちょっと、寂しい。彼女が描いた嵐の森の絵、すごく好きだから。
けれど、彼女が僕の名前を使っていることは確かで、それは悪いことで……だったら、彼女を『処分』しなきゃいけないんだろう。
……うん。
「……というか、普通は雇い主に迷惑かけないようにするもんだよなあ。幾らブロンパ家と打ち合わせがあるにしろ、昨夜のアレはむしろ、積極的にブロンパ家に損害出そうとしてるように見えるぜ。あの態度といい、俺をブロンパ家にけしかけたことといい」
そんな中、フェイがそんなことを言い出した。
「何か裏がある、ということだろうな。そして、その裏を、相手は積極的に見せに来ている」
ラオクレスもそう言って頷く。どうやらライラっていう子には何かあるらしい。
「その、ブロンパ家っていうところと、仲が悪いとか?」
僕が試しにそう言ってみると、クロアさんにくすくす笑われてしまった。……笑わなくても。
「そうねえ……ライラちゃんとブロンパ家の仲が悪いかはさておき、裏がある、というよりは、むしろそれが目的なのかもしれないわ」
クロアさんは優雅に妖精のクッキーをつまみながら、そう言った。……仲が悪いことが目的、っていうことだろうか。僕が考えていると、クッキーを飲み込んだクロアさんは、そっと、囁くように言った。
「……そうね。もしかしたら、ブロンパ家をレッドガルド家によって裁かせるのが目的なのかもしれないわね、あの子」
それからクロアさんとフェイは王都へ戻っていった。……ええと、調査、らしいよ。何の調査だろう。うーん。
そして僕は、森の中を探して、コンクールに出す絵の構図を考えている。
「……何がいいだろう」
「俺だったらここの馬描くぜ。いっぱいいるし、かっこいいしさ!」
僕がぼやいていたら、リアンがそう言ってくれた。リアンは馬達の世話をするようになってからすっかり馬と仲良しになって、馬達はまるで自分達の弟を見るみたいにリアンを見ている。……うん。馬に弟扱いされてる。ここの馬、ちょっと生意気だから。
「アンジェは?」
「ええと……アンジェはね、んーと……妖精さんが、お菓子焼いてるところ」
アンジェにも聞いてみたら、そういう答えが返ってきた。そっか。そういう絵でもいいかもしれない。なんとなく、素朴で……。
けれど……なんとなく、思うところがある。
ライラ・ラズワルドは、僕の名前で、僕が描きそうなモチーフを、僕が描かなさそうなかんじに描いた。
だったら僕は、ライラ・ラズワルドの名前で、ライラ・ラズワルドが描きそうなモチーフを、僕らしく描いたらいいんじゃないかな、と。
……でも、彼女っぽいモチーフってなんだろうか。うーん。
それから僕は、森の中を歩き回って、『ライラ・ラズワルドっぽいモチーフ』を探そうとした。
けれど、どうにも上手くいかない。とっかかりが無い。何をどこからどうしていいのか分からない。うーん……。
「あんまり深く考えなくていいんじゃねーの?なあ」
「うーん……」
けれど、急がなきゃいけない。コンクールには締め切りがある。締め切りまであと20日だ。あとたった20日で絵を完成させなきゃいけない。
だから、今すぐにでもモチーフを決めて、構図を決めて、色合いや細かいところなんかもイメージできるようにして、描き始めたいんだけれど……。
「トウゴおにいちゃん、妖精さんがリボン結んでるけれど、いいの……?」
「うん……」
「……あ、さてはまた考え込んでるな?」
「うん……」
「あーもういいや。妖精達、好きにしちまえよ。トウゴ、全然気づかねえんだしさ。我に返ってから反省してもらおうぜ」
「うん……」
……それからちょっと悩んではっとしたら、いつの間にか僕はリボンでぐるぐる巻きにされていた。
髪にもリボンが結んであったし、アンジェもいつの間にか髪を編んであって、そこにリボンが結ばれてふわふわ揺れていた。『おそろい』とアンジェはにこにこしていて、リアンはリボンでぐるぐる巻きの僕を見てけらけら笑っていた。
うーん……自由だなあ、妖精と天使は……。
気晴らしに妖精と天使の絵を描き始めたり、瓶詰キャンディの絵を描き始めたりしていたのだけれど、やっぱり、何となく落ち着かない。
そうこうしている間にどんどん時間は過ぎていくから、最悪の場合でも出品するものが無い、なんてことにはならないように、森の絵を描く。
……嵐の森の絵を描こうとも思ったのだけれど、それはなんとなく違う気がして、普通の森の絵を描いた。うん。いつものやつだ。見ただけで『トウゴ・ウエソラの絵です』って分かるかんじの。
……これでいいんだろうか?
「ねえ、ラオクレス」
「……なんだ」
外で薪割りしていたラオクレスに声を掛ける。
「ライラ・ラズワルドっぽいモチーフって何だと思う?」
僕が聞いてみると、ラオクレスは手を止めて、考え始めた。……そして、僕の考えを整理して導いてくれるように、言葉を放り投げてくれる。
「お前はライラを見てどう思った」
「嵐みたいな子だと思った」
「そうか。どういう嵐だ」
「冷たくて激しくて、全部吹き飛ばしていくような……もしかしたら、雹が混ざった嵐かも」
うん。考えれば考えるほど、嵐みたいな子だった。風を巻き上げて、雨を叩きつけて、何なら雹か、ナイフか何かすら巻き込んで、通り過ぎていく。そういうイメージだ。
「ならそれでいいんじゃないか」
……ラオクレスはあっさりとそう言うのだけれど、本当にそれでいいんだろうか。
何か、あるんじゃないだろうか。彼女を構成する要素。彼女が好むもの。そういったものは無いだろうか。
必死に考えてみるのだけれど、思いつかない。昨日のことを思い出して、ライラ・ラズワルドの印象を掘り起こしていくのだけれど、短い時間を何度頭の中で繰り返しても、話していた間ほとんどずっと只々嵐みたいだった彼女の印象しか出てこない。
……けれど、そこで気づいた。
「……よく考えたら、僕、彼女のこと、ほとんど知らない」
「だろうな」
うん。そうだった。僕、ライラと話したのは昨日の一回きりだった。そりゃあ、彼女のことなんて分かるわけがない。
彼女が好きな食べ物も、彼女が住んでいる場所も、彼女の家族も……どうして絵を描いているのかも、どうして僕の名前を使ったのかも、よく分からないままだ。うん。これじゃ、分かりっこない。
「ありがとう。気づけた」
「俺は特に何もしていないがな」
やっぱり、考えをまとめる時にはラオクレスと話すのが一番だ。うん。先生が言っていた『アヒルのおもちゃに話しかけるやつ』みたいに、『世界一の石膏像に話しかけるやつ』はよく効く。
「やっぱり、彼女についてもっと知らないと駄目だ。彼女の名前を使うんだから」
「……相手はそんなことは思っていないだろうが」
「うーん、あの子が僕の名前を使う時に僕のこと知らなくても、まあ、いいんだけれど、僕は彼女について知らないと、描けない気がして」
なんとなく気乗りしない、というか、とっかかりが無い、というか。そういうかんじだから、何か、『ライラ・ラズワルド』から絵のヒントを貰いたいんだ。
「じゃあちょっと王都に行ってくるね」
ということで、僕は早速、王都へ……。
「……おい、待て」
王都へ行こうとして、ラオクレスに止められてしまった。
「今、フェイとクロアが王都で動いている。2人が帰ってきてから考えろ」
……うん。そっか。じゃあ、もうちょっと待ってからにしよう。
……でも、ただ待っているのは、ちょっと、あんまりにも、落ち着かない。何か少しでもやっていないと駄目な気分だ。
「あの、森の動物達にちょっと連絡してくるね」
だから僕は、できることをやることにした。
「……何?」
「嵐、起こすよ、って、連絡してくる。それで、今日のお昼から嵐ってことで……」
「……おい。待て。どういうことだ」
早速動物達の所へ行こうとしたら、ラオクレスに襟を掴まれてしまった。
「嵐?嵐を起こすのか?」
「うん。龍に頼んでちょっと嵐にしてもらおうかと思って。それ見て描いたら、いいかんじだと思う」
多分、龍ならできる。雨を降らせることができるんだから、嵐くらい、起こせると思う。局地的でいいんだ。あんまり大規模じゃなくてもいい。ただ、僕が僕の目で嵐を見て、どういう印象になるか、確かめてみたいだけで……。
……ラオクレスは、深々と、ため息を吐いてから、言った。
「家の窓に板を打ち付けてくるからそれまで待て」
やっぱりラオクレスは最高だ!