5話:お絵描き小旅行*4
「今日は美術館を見に行かない?」
「行く」
その日はクロアさんの提案に二つ返事で、僕は美術館を見に行くことにした。
描きたいものもあるけれど……夕陽の差し込むステンドグラスの色を見るには、夕方にならなきゃいけない。だからそれまで美術館に居ても問題ない。
そういうわけで、僕はクロアさんとラオクレスと一緒に美術館へ向かった。
「……すごい」
「だって『王立』美術館だもの」
そうか。王立。ということは、王様が作った美術館か。うん、名前だけですごい。
けれど、すごいのは名前よりも美術館自体だ。美術館の建物自体も1つの芸術品みたいだ。大理石の柱に金の象嵌が走っていたり、ガラス窓は窓枠が綺麗な細工になっていて、光が差し込んだ時に落ちる影が1つの模様になってとても綺麗だ。
入ってすぐのロビーの天井には豪華なシャンデリア。床にはいくつかの色のタイルが模様になるように並べてある。……これはすごい。
「まだ美術品まで辿り着いていないが」
「建物も美術品だよ」
王城に入った時もこういう感覚だったなあ、と思い出しながら、僕は辺りを見回して、美術館の風景を存分に楽しんだ。その間にクロアさんが受付を済ませてくれて、僕らは美術館の中へ入ることができた。
……美術館は最高だった。
たくさんの絵が飾ってあって、たくさんの彫刻が飾ってあって、学ぶものが多かった。
水彩みたいな絵もいくつかあって、特にそこから学べたものは多い。僕ももっと滲みを意図したとおりに動かせるようになりたい……。
油絵は今はまだ練習中だから、見ても技術を分析しきれていない感覚がある。もっと油絵をやってからもう一回見に来たい。
それから……水彩でも油絵でもない、不思議な絵がいくつかあった。
何だろう、と思ったら……『魔法画』だった。
……魔石を砕いて粉にして、それを絵の具にするやり方で……展色材も色々と、こう、『スライムの粘液』とか『ドラゴンの唾液』とか『フェニックスの涙』とかそういうものを使って……筆じゃなくて、魔法で描く、らしい。
ちゃんと魔法が制御できれば、自分のイメージ通りに色が動いて絵になる、らしい。王城の壁画とかも、この方法で作られたそうだ。
うん。ちょっと意味が分からない。けれど興味はすごくある。今度やってみよう。
今回、この美術館に来て一番の発見は魔法画の発見だったかもしれない。いや、他にもたくさんあったし、水彩なんかもすごく勉強になったんだけれど……でもほら、新しい画材って、見つけてしまうと、ちょっと……嬉しくなるよね。
頭の中が魔法画でいっぱいになっていた僕だったけれど、美術館を回っていく内に……ちょっと、気になるものが出てきた。
「……ここの絵って、どういう基準で集めてあるんだろう」
なんというか、方向性がバラバラだ。色々な種類のものがある、とも言えるんだけれど、こう……なんというか、『これ、本当に美術館に置いておいていいんだろうか?』というようなものも、ある。いや、こういう芸術だって言われてしまったらそれまでなんだけれど。
でも、意図的な表現というよりは、技術が足りなくてそうなってしまった、みたいな、そういう絵がいくつかあるような……。
「……この辺りに飾ってあるのは、『素晴らしい画家達が描いた絵』だそうよ」
クロアさんは少しため息を吐きながら、解説してくれた。
「要は、貴族が描いた絵ね」
……ええと、それってどういう意味だろうか。
僕が困っていると、クロアさんは少し不満げな顔で、こう言った。
「つまり、上手い下手じゃなくて、『貴族の絵だから』美術館に収められてるのよ」
……それから僕は、美術館の絵を見て回って、ちょっと複雑な気持ちになった。
隅っこの方に飾ってある絵がすごく好きだったり、部屋の真ん中でガラスケースに収められている絵がちょっと……その、あんまりな出来だったり、そういうのがいくつかある。
勿論、貴族出身の画家の絵でも、素晴らしいものは沢山ある。特に、魔石を材料にする魔法画はお金が無いとできない画法だからか、貴族出身の画家が描いたものが多かったし、そこには作者の豊かな視点がすっかり見えるようで、見ていてとても楽しい。
『オーリン・ハルク』っていう人が描いた王都の絵が特にいい。迫力があって、いっそ怖いようなかんじすらあって、『見ろ、これが王都だ』っていうかんじの、堂々として、ちょっとやけっぱちなかんじの絵だ。うん。これはすごく好きだ。この人には王都がこう見えてるんだろうな、ってかんじがして、いい。
……けれど、その、やっぱりそういうものばかりじゃない。
見ても特に気に入らない絵は、すごく多い。ピンとこないというか、特に魅力的だと思わないというか。
それどころか、影の色が不揃いだったり、光源がずれていたり、配置が今ひとつだったり、画面に微妙に説得力が無いような、そういう絵も、よくある。『この人、本当にモチーフ見て描いたんだろうか?』っていうかんじの。
うーん……芸術に優劣をつけること自体が間違ってるのかな。『僕より下手だ』なんて思うのは、あまりにも傲慢というか、その、もっと謙虚であるべきなような気がする。けれどその一方で、『こんな絵でも美術館の真ん中に飾られるのか』って思ってしまう自分がやっぱり居て……すごく、複雑な気持ちだ。
「……僕、嫌な奴だ」
「どうした、急に」
「うん……」
なんというか……学ぶことも沢山あって、ここに来た価値は十分すぎるくらいにあったんだけれど、でも……なんだか、複雑な気持ちになった、美術館巡りだった。
「……トウゴ君!」
美術館を出て歩いていたら、唐突にクロアさんに声を掛けられて、びっくりした。
「もう、大丈夫?呼んでも反応しないんだもの」
「え、あ、ごめんなさい」
……唐突に声を掛けられたんじゃなくて、僕が反応しなかっただけらしい。ごめんなさい。
「なんだかぼーっとしてるわね、あなた」
「うん……」
確かに、ぼーっとしてる。してた。だからクロアさんの呼びかけに気づかなかった訳だし。うん……。
「何か、あったの?美術館からずっと、あなた、こうだけれど」
「さっき『自分は嫌な奴だ』と言っていたが、あれか」
クロアさんとラオクレスにそう聞かれて、僕は……ちょっと迷ったけれど、話してみることにした。
「……貴族の人達が描いた絵が飾ってあったりしたけれど、どうにも、納得がいかなくて」
うん。納得がいかない。そして、納得がいかないことに納得がいかない、というか、納得がいかないのは悪いことなんじゃないか、と思ってしまうというか……。
「そういう絵の中のいくつかを見て、下手だ、って思ってしまうことが、なんだか嫌だ」
「……そうか」
「下手なものは下手、でもいいと思うけれど」
「それは下手なわけじゃなくて、僕がその絵の良さを見つけられないだけかもしれないから。下手、って言ってしまうのは、あまりにも不誠実だし、傲慢だと思う」
僕が説明すると、ラオクレスとクロアさんは2人それぞれ、『そういう考え方をするのか、こいつは』みたいな顔で頷いた。……一応、僕の考えは伝わっているらしい。嬉しい。
「だから、僕にとってそんなに魅力が無い絵でも、王様とか、美術館の人達にとってはすごく魅力的な絵なのかな、と思ったら、自分の目に自信がなくなってきたというか、どこに自分の自信の根拠を持てばいいのか分からなくなってきた」
「……他人の目を疑うより先に自分の目を疑うんだな、お前は」
「純粋に、『貴族だから』高く評価されてるんだと思うわよ?そこに絵の良し悪しは関係ないと思うわ」
うん。2人がそう言うのを聞いて、ますます……頭がこんがらがってきた。
「僕が見て納得がいかなかった絵は美術館の真ん中に飾ってあった。だから、高く評価されてるってことなんだと思うんだけれど、だとしたら、評価ってなんだろう、って思ってしまって……」
……評価って、なんだろう。
僕、王都に来てからずっと、それを悩んでいる気がする。
……夕方から、また絵を描き始めた。夕陽の差し込むステンドグラスの絵。
ただ、どうにも……なんとなく、筆に力が入らない。頭の中がもやもやして、絵に集中できない。
評価って、なんだろう。どうしてほしいのか分からないし、どういう基準で評価されるのかもわからないし、美術館の絵の並びにはなんとなく納得がいかないし、納得がいかない自分がなんとなく嫌だし、美術館にあるような評価が欲しい人達の気持ちが分からないし、トウゴその1のルシアン君も、トウゴその2の男性も何を思っていたのか結局よく分からないし……。うーん。
「トウゴ。妖精が止まってるぜ」
「うん……」
「トウゴおにいちゃん、あの……いいの?」
「うん……」
「妖精に服、脱がされかかってるぞ!」
「うん……うん?」
急にリアンに声を掛けられてびっくりしたところで、妖精が5匹がかりくらいで僕のシャツのボタンを外しにかかっているのを見つけて、慌てて妖精を止めた。駄目だよ、こういうことしたら。
「……なんか、悩みでもあんのか?」
「うん。少し」
心配そうに僕を覗き込んできたリアンにそう答えると、リアンは少し困ったような顔をして……少し悩んで、それから、おずおずと、言い出した。
「その悩みって、俺が助けられるやつか?」
「うーん……」
多分、違うやつだ。けれど、そう言ってくれるリアンの気持ちには、少し、助けてもらってる。
……うん。
「うん。助けてほしい」
「そ、そうか!?なら、俺、何すればいい!?」
「とりあえず、そこに座ってほしい」
意気込むリアンに指示を出すと、リアンは僕の前に座った。
そこで僕は、鉛筆デッサンを始めた。
「……ん?」
「あ、動かないでね」
「お、おう……え?」
リアンは僕に描かれ始めてから、ようやく、何かに気づいたらしい。
「……悩みって、これで解決するのか?」
「根本的な解決はしないけれど、僕の元気は出る」
……そうして、夕陽に透けたステンドグラスの下でちょっと拗ねた顔をしている少年の鉛筆デッサンが出来上がった。
僕は気分を切り替えて絵に集中したからか、少し、元気になった。満足。
……それから僕は、王都に居る時間いっぱいまで絵を描いて過ごした。
夕陽に透けたステンドグラスも描いたし、町外れのパン屋さんも描いたし、裏通りの薄暗い様子も描いたし、大きなお屋敷も描いたし、大通りの人の行き交う様子も描いたし、とにかく描いた。
そうして王都に居る最終日の夕方、僕はすっかり紙が減ったスケッチブックと切り離した画用紙の束を手に、リアンとアンジェと一緒に宿へ戻る。
「結局、トウゴその3は来なかったな」
「そうだね」
夕焼けの道を歩きながらもリアンが少し残念そうに言うので、僕は頷いて返す。
「ってことは、直接こっちから行くことになるのか?」
「うーん……それをやるとフェイ達が困るかもしれない、って言ってたから……」
……できれば、トウゴその3さんと直接会って話せれば、それがよかったんだけれど、残念ながら直接会うことはできなかった。
となると……やっぱり、貴族の家と貴族の家での話し合いになるのかな。
大ごとになってしまうし、フェイには今以上に迷惑を掛けることになってしまうけれど……うーん。
「ただいまー」
「おかえりなさい」
……けれど、僕が宿に戻ってすぐ、フェイとラオクレスとクロアさんが、少し険しい顔をして待っていた。
「トウゴ。今すぐ出られるか」
「え、うん」
何かあったのかな、と思っていたら……フェイは、こう言った。
「トウゴ・ウエソラの絵がコンクールに出品されてるらしい」
僕とフェイが向かった先は、美術館の裏手の建物だった。
そこで、おろおろしている美術館の人に向かって、フェイが歩いていく。
「お、お待ちしておりました。ええと……」
「とりあえず、絵、見せてくれ。トウゴ・ウエソラ本人に見てもらう」
フェイがそう言うと、美術館の人は頷いて、僕らを奥へと案内してくれた。
……そして僕らが進んでいくと、やがて、倉庫みたいな場所に行きついた。
「こちらでございます」
そして美術館の人が一点を示しながら、そこに明かりを向けてくれる。
「……トウゴ。確認、してくれるか?」
「うん」
そこで僕はフェイに促されて、そっと、その絵を覗き込む。
……そこにあったのは、森の絵だった。
嵐の日みたいな、そういう日の絵だ。
灰色にくすんで、煙って、木が荒々しい風に吹かれてしなったり曲がったりしている絵。
水彩によく似た、けれど水彩じゃないようにも見える不思議な画法で描かれた……僕が描いたものによく似ていて、それでいて、僕が描いたものではない絵が、そこにあった。
その絵につけられていた名札には、『トウゴ・ウエソラ』と、名前が書いてある。当然のように、僕の字じゃない筆跡で。
……うわあ。
なんだか、こう、変な気分だ……。