4話:お絵描き小旅行*3
次の日は、時計塔のある公園で絵を描いていた。
ここはクロアさんが考えておいてくれた絵描きスポットの1つらしい。クロアさんのおすすめだけあって、時計塔は素晴らしい建物だった。
少し色褪せた煉瓦とクリーム色の漆喰でできた塔に、大きな時計がついている。……この世界の時計は、太陽や月に合わせて時を刻むらしい。そのために、太陽と月の力のある宝石が内部に組み込まれているんだとか。……クォーツ時計みたいなものだろうか。
とりあえず、そういう不思議な時計を眺めつつ、僕はそれを絵に描いていく。時計塔は背が高いから、見上げるような構図がいいかな。褪せた煉瓦の色合いは、水彩でさっと着彩するとそれらしい気がする。こういう、水彩っぽい風景を見つけると、なんとなく嬉しい。
時計塔の公園は、王城前の広場よりも人が少なかった。静かな場所で、絵を描くには丁度いいかもしれない。
けれど、人が全く居ないわけではないので、時々、話しかけられる。何度か、名前も聞かれた。これは王城前の広場で描いていた時と同じだ。
そんな中、僕がひたすら絵を描いていたら……妖精が2匹飛んできた。
「珍しいね」
この2匹は都会派なんだろうな。きっと街角の靴屋に忍び込んで靴を縫ったり、家の台所に忍び込んでクッキーやパンの欠片を盗み食いしたり、酒蔵で樽の中のお酒をちょっともらったりしてるんだろう。多分。
……そしてその妖精2匹は、僕の絵をまじまじと見つめて、なんだか嬉しそうにしている。気に入ったのかな。
「……気に入った?」
聞いてみると、妖精は何かを妖精語で言いながら頷いて、それから僕の指をぎゅっと抱きしめるようにして上下に揺れた。これが彼ら妖精が人間と握手する時のやり方なんだってことは知ってる。
妖精達はしばらく、にこにこしながら僕の絵を見ていたのだけれど、ふと、何か言って……そして、2匹揃って、僕の袖を引っ張る。
「え?何処かに行くの?」
聞いてみても、妖精の言葉は分からないから意味がないのだけれど……妖精2匹は、僕の袖をぐいぐい引っ張っていく。
しょうがないから僕はそちらについていく。すると、妖精は木陰に僕を連れ込んで、そこで止まってしまった。
……なんだろう。この木陰に何かいいものがあるんだろうか。
僕は少しあちこち眺めてみたのだけれど、特に何も見つからない。あ、いや、綺麗な花を見つけた。森には無い種類だ。都会派の花……?
……けれど、妖精達は僕にその花を見せたかったわけでもないらしいから、少し困る。妖精2匹は僕の袖をぎゅっと握ったまま、ちらちらと、僕がさっきまで居たところ……着彩が5割方終わったスケッチブックの方を見ている。
「……何かあるのかな」
僕が聞いてみると、妖精2匹は何度も頷く。そっか。何かあるのか。……いや、何だろう。それ。詳細が何も分からない。
妖精達の様子を見る限り、僕に対して敵意があるわけではなさそうだし、多分、これも僕のためにやっていることなんだろうな、と思う。
思うから、余計に僕は身動きが取れないんだけれど……。
そうして、少し困った時間を過ごした。妖精は僕をしっかりその場に引き留めておきながら、じっと、僕が置いてきてしまったスケッチブックの方を見ている。
……そんな時だった。
「あ」
公園の隅のベンチに座っていた男性が、周りに人が居なくなったのを見て、そっと立ち上がると……僕のスケッチブックに近づいて、そして。
ひょい、と、スケッチブックを抱えて、歩き去って行こうとした。
僕が動くより先に、妖精2匹が動いた。すごい速度で飛んで行って、男性の目の前に飛び出す。そこで妖精特有のきらきらが舞い上がって、それを見たらしい男性は、戸惑ったように足を止める。
「何をしている!」
そしてその男性は……木陰からさっと飛び出してきたラオクレスにあっさり捕まった。
……えっ、ラオクレス、そこに居たのか。知らなかった。
「何故、盗んだ」
ラオクレスが仁王立ちする前で、その男性はベンチに座って、びくびくしながら身を縮こまらせている。ちなみに、ラオクレスの両脇では妖精が宙に浮きながらやっぱり仁王立ちのポーズをとっているのだけれど、この男性には妖精が見えないらしい。ただ、きらきらは見えるらしくて、時々不思議そうに宙を見ているけれど。
「そ、そこに絵があったから……」
そして、男性の答えはこんなかんじだった。……ええと、つまり、スケッチブックが欲しかったわけじゃなくて、絵が欲しかった、っていうことだったのかな。どちらにせよ盗まれたら困るけれど。
「随分と舐めた回答だな」
「ひっ」
僕が困っていたら、ラオクレスが一歩、男性に詰め寄った。それに合わせて、男性はますます縮こまる。……うん、ラオクレスがちょっと怖いっていうのは、分かるよ。迫りくる石膏像……いや、迫りくる仁王像だ。うん。迫力満点。
「あ、あの、ちょっといいだろうか」
ただ、仁王像を前にしていると、その男性があまり喋れなさそうだったから、ラオクレスと妖精達の前に僕が出る。
すると、男性は少しほっとした顔をした。……うん、いや、ちょっと落ち着いて話をしてもらうために僕が前に出たんだからこれでいいんだけれどさ、ええと……僕、やっぱり迫力が足りないんだな。うん……。
「あなたは絵専門の泥棒?」
ちょっと落ち込みながら聞いてみると、男性はきょとん、として、それから首を横に振った。
「泥棒なんて!違うよ!」
「……なら、どうしてこの絵を持っていこうとしたんですか?」
泥棒でもない普通の人が絵を持っていこうとするのは、ちょっとおかしい気がする。ええと、そんなにこの絵が気に入ったんだろうか?
もし、絵を気に入ってくれたのなら、ちょっと嬉しいけれど……と思いながら、彼の回答を待っていたら。
「……き、君はトウゴ・ウエソラだろう?」
突然、名前を呼ばれて少しびっくりした。
「え?あ、はい」
僕が答えると、男性は『やっぱりな』というように頷いた。
「さっき、他の人と話している時に聞いたんだ。君がトウゴ・ウエソラだって」
「はあ……」
そういえば、さっき話した。うん。散歩中らしい老夫婦に。そして、その時にこの男性、近くのベンチに居た。聞こうと思えば聞けたと思う。そっか。聞いてたのか。
……というところで、男性の話は終わってしまった。あれっ。
「ええと、それで、僕が上空桐吾だからこの絵を盗んだんですか?」
話が途切れてよく分からないけれど、もしかしてこの人、僕のファンなんだろうか?ええと、だとしたらやっぱりちょっと嬉しいのだけれど……と、思っていたら。
「だ、だって、トウゴ・ウエソラの未発表の作品が目の前にあったんだ!これがあれば僕だってトウゴ・ウエソラになれる!」
……なれないと思う。うん。
予想外の返答に僕がちょっと困っていたら、男性は僕のスケッチブックを抱えたまま、言った。
「これ、売ってくれ!お金ならなんとか工面するから!」
「いや、お金は間に合ってるから……」
なんかこのやりとり、昨日もやったような気がする。うーん……。
……僕が既視感を覚えつつ困っていると、ラオクレスが横から、ぬっ、と出てきた。
「……お前、さてはトウゴ・ウエソラの名を騙っているのか」
ラオクレスが低い声でそう言うと、男性はまた竦み上がった。
「目的は金か」
「ち、違……」
「なら何が目的で名を騙った」
ラオクレスの迫りくる仁王像ぶりに、男性はすっかり竦みあがって震えている。
「言え」
それでもラオクレスは容赦が無くて、男性を睨みながらそう詰め寄ると……。
「あ、憧れの女性に振り向いてもらいたくて……」
……そう、男性は応えてくれた。
うん。これは、予想外だった。
「……憧れの、女性」
僕が聞き返すと、男性は頷いた。そっか。うん。……困ったな、これ。どういう顔をして聞いていたらいいんだろう。
「トウゴ・ウエソラの名声があれば振り向かれるだろう、と?」
ラオクレスがすっかり呆れたようにそう言うと、男性は何度も頷いた。そ、そっか……。
「彼女は芸術家肌の男が好みらしいんだ。それで、僕がトウゴ・ウエソラだって言ったら、絵のファンだ、って!」
それはありがとうございます。
……できればそれ、僕が直接聞きたかった。いや、そんなことを思うのは高望みかな。
「ちなみにあなたは絵を描くんですか?」
「い、いや……全く」
そうか。ルシアン君といいこの人といい、絵を描かないのに絵描きを名乗る人って、結構居るんだなあ……。
僕がちょっと不思議に思っていたら、男性は僕の肩を掴んで、必死の形相で訴えてきた。
「それで、トウゴ・ウエソラの絵を買って部屋に置いておいたら、彼女、すっかり僕をトウゴ・ウエソラだって思ったらしくて……実際、それで僕と彼女は上手くいってるんだ!だから邪魔しないでくれよ!なあ!」
どうしよう。男性の話を聞く限り、中々困った状況みたいだ。
僕だって彼らの邪魔はしたくないけれど、僕と知らない女性がお付き合いしていることになるのは、なんか、こう、ちょっと……ええと、恥ずかしい?困る?うーん。どう言ったらいいんだろう、これ。
僕は男性に肩をゆさゆさやられながら困ってラオクレスを見上げると、ラオクレスは僕の肩を掴む手を引き剥して男性を少し押しやると、苦り切った顔で小さくため息を吐いた。うん。そうだよね。困るよね、これ。
……ただ、とりあえず、やってもらいたいことは1つ、確実にある。
「……あの、とりあえずスケッチブック、返してほしい。それ、描きかけなんだ。それに、他にも描きたいもの、たくさんあるから」
男性が抱えっぱなしのスケッチブック。早く続きを描きたいから、返してもらわなきゃいけない。
僕が手を差し出すと、男性は……スケッチブックを後ろに隠してしまった。
「い、嫌だ!これがあれば、僕は、もっと完璧にトウゴ・ウエソラに……」
……けれど、その時、男性の後ろで、スケッチブックがふわり、と浮いた。
「えっ!?」
妖精が見えない男性は驚いていたけれど、僕とラオクレスには妖精が見える。妖精が2匹で一生懸命、重たいだろうにスケッチブックの両端を持って、ぱたぱた飛んでいるのを見たら、なんだか、申し訳ないような嬉しいような、そういう気持ちになる。
妖精は頑張ってくれて、なんとか僕のもとへスケッチブックが返ってきた。ありがとう。
「な……なんだ、今の」
男性にはきらきらしか見えなかったんだろうから、さぞかしびっくりしたことだろう。でも、僕の目の前で妖精が、口の前に指を1本立ててニコニコしているから、僕は『妖精の仕業です』なんて言わないことにした。
「返してくれてありがとう」
とりあえずお礼を言ったら、男性はぽかん、としたままだった。そんなに驚いたのか。そっか。
「ええと、それから、できれば僕を名乗るのもやめてほしいんだけれど……」
それから……彼には酷かな、とも思ったのだけれど、僕はそう言うことにした。
「そんな!じゃあ、彼女に何て説明すればいいんだ!」
案の定、男性からは反発された。そうだよね。うーん……。
「嘘を吐いていた、とでも言えばいいだろう」
「そんなことしたら嫌われてしまうよ!」
「知ったことか」
ラオクレスが冷たい。大理石みたいに温度を感じさせない表情で、ラオクレスはそう言って……それから、ぎろり、と、男性を睨んだ。
「これ以上の問答がしたいなら司法の場に来てもらうことになるが」
結局、ラオクレスのその言葉が決め手になったらしくて、男性は『トウゴ・ウエソラ』を名乗ることをやめると約束してくれた。
けれど、恋人にはきっとふられてしまうんだろうな。嘘を吐いていたのだから、当然と言えば当然なんだろうけれど……もし、彼の恋人が『トウゴ・ウエソラ』以外のところを少しでも好きになっていたなら、すごく申し訳ない。
……うん。僕は、知らない女性とお付き合いしていることにされてしまうのも、スケッチブックを持っていかれてしまうのも困るけれど、でも、彼らの邪魔をしたいわけじゃ、ないんだ。
「あの」
打ちひしがれた様子の男性に、そっと声をかけてみる。すると男性は途端に顔を上げた。
「……一緒に、絵、描きますか?」
なので僕は、提案する。
相手が芸術家が好みの女性だって言うなら、今からでも芸術家になってみてはどうですか、と。
「……断られてしまった」
「まあ……そうだろうな」
男性には断られてしまった。『今から練習したって間に合わないし性に合わない』らしい。
「理想の女性のために芸術家になろうとしたのに、絵を描くのは嫌なのか……」
なんというか、不思議だ。中身は無くてもいいから肩書きだけ欲しかったっていうことなんだろうか?でも、それって絶対にすぐに分かってしまうと思うのだけれど……。
「……俺は絵を描かないから、あいつの気持ちは少し分かる」
「えっ」
僕が不思議に思っていたら、ラオクレスが苦い顔でそんなことを言ってくれた。
「絵を描かない者は、絵を描く者の考えが分からない。何をどのように見ているのかも分からない。だから、『何が見えていないといけないのか』も分からず、『自分と同じようにものが見えていればいい』と思い込む」
……ええと、難しい話だな。でも、言いたいことは分かるよ。なんとなく。
「絵を描く知識が無い者は、絵描きの知識が無いから、絵描きが持っているべき知識が何か分からない。絵描きから見たらすぐ露見するだろうと思われるような嘘も、平気で吐く。知識が無いからこそ、絵描きが自分と同じように見えるんだろう。だから自信満々にああいう嘘を吐くんだ」
専門的な知識が無いと、専門的な嘘を吐くのは難しい。逆に、専門的な知識が一切無いなら、専門的な嘘を吐くことが難しいってことすら知らないから、嘘を吐く。そういうことか。
「……でも、卵を産めなくても卵の味は分かる、って、時々聞くけれど」
「そういうこともあるだろうな。だがそれも、卵を産んだことのない者の言い分だ。卵を産んだ者にしか分からない何かが無いとは言えない」
ラオクレスはそう言って……そしてまた、苦い顔をする。
「欲しいものの価値を安く見積もる奴に限って、その対価を払うことを渋るものだ。さっきの奴はまさにその典型だな」
……そうか。さっきの男性は、絵を描くことや、僕の名前を安く見積もっていたのか。それでいて、自分が絵を描くのは嫌、っていう……。
「……なんだかちょっと、腹が立つ」
「ちょっとで済ませなくていいと思うが」
そうか。ええと、ぼちぼち腹が立つ。
……でも、いいんだろうか。僕はどうして腹が立つんだろう。絵を描くことを貶されたような気がしたから?それとも、自分の名前が安く見積もられて腹が立っている?
後者だとしたら僕は、自分を高く見てほしい、んだろうか。
それは……なんだか、嫌なかんじじゃないかな。
「複雑そうな顔だな」
「うん……」
ラオクレスは僕の顔を見て、苦笑いを浮かべた。
「俺は……いや」
そして何か言いかけて、それからそっと、口を噤む。そして代わりに……僕の頭をわしわし撫で始めた。
「うわ」
「まあ、災難だったな」
……そう言われて、続けて撫でられて、髪をぐしゃぐしゃにされて……すとん、と納得できた。
うん。災難、だった。
難しく考えるのはやめよう。多分、慣れないことが続いて、ちょっと疲れてる。考えるなら、元気な時に考えた方がいい。
「とりあえず、これでトウゴその1とトウゴその2は何とかなったんだ。少し気を楽にして絵を描けばいい」
「……うん。そうする」
そうだね。悩んでいる時間がもったいない。王都に居られる時間は短いんだから、その間に描けるだけ描かなくては。
早速、描きかけの時計塔を描き進めようと思って……僕は、びっくりした。
「……きらきらしている」
絵が、きらきらしていた。
画面の端からふわり、と光の破片を撒いたような、そういうかんじだ。
……そして、僕の横で、妖精が2匹、もじもじしていた。
どうやら、妖精の鱗粉が落ちて、絵がきらきらになってしまったらしい。
うん、ええと……。
……まあ、これはこれで……。
不思議ときらきらする絵が出来上がってしまった後も、僕はひたすら、絵を描いた。
時計塔の奥には小さな教会らしい建物があって、そこの漆喰の褪せてひび割れたようなかんじが素晴らしかったし、夕日の差し込むステンドグラスも素晴らしかった。
……けれど描いている間に夜になってしまったので、続きはまた明日だ。
僕は画材を片付けて、ラオクレスと一緒に宿へ向かう。
……その道中でのことだった。
「あ」
僕は、街灯の下に見覚えのある馬車を見つける。
昨日見た馬車だ。4頭立ての、細工が綺麗な馬車。それが、道の脇、街灯の傍に停まっている。
「……知り合いか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけれど、昨日も見た馬車だったから」
ラオクレスにそう説明すると、ラオクレスは片眉を少し上げて『少し怪しいな』みたいな顔をした。
僕らはそのまま進んでいって、馬車の横を通り過ぎる時、ちらり、と、馬車の方を覗く。
……けれど、中の様子は暗くてよく分からなかった。
大分馬車を行き過ぎてから、僕らは話し始める。
「何処かの貴族の家の馬車だろうが……心当たりはあるか?」
「ううん。全く」
心当たりは、無い。貴族の家の馬車だっていうなら、中に乗っているのは貴族か、その関係者だと思うんだけれど……唯一心当たりがあるとすれば、『トウゴその3』さん、だろうか。
……けれど僕は、少し嬉しい。
「……嬉しそうだが、どうした」
不審げな顔をしたラオクレスに、僕は、喜んで報告した。
「馬車の横を通った時、鉛筆デッサンしてる音がした。中に居た人、絵を描く人だ!」
「……分かるものなのか」
「うん」
分かる。だって、僕がずっとやってた奴だ。紙に鉛筆が擦れる時の音は、分かるよ。
「絵を描いていた、ということは……つまり、トウゴその3、か?貴族のお抱え絵師をやっている、という」
……かもしれない。
けれど、だとしたら今度はきっと、色々上手くいくと思うし、何なら、僕ら、仲良くなれるかもしれない。
だってその人は、絵を描く人なんだから!