3話:お絵描き小旅行*2
偽物、と言われてしまうと、なんというか、反応に困る。
僕が困っていると、相手は『なんか予想していた反応と違う』みたいな顔をし始めた。『トウゴ・ウエソラ』君の後ろでは、彼の友達なんだろう人達が、やっぱりちょっと困った顔をしている。
ええと……もしかしたら、目の前の『トウゴ・ウエソラ』君に聞くよりも、後ろの人達に聞いた方が、事情が分かるだろうか。
「おい、何とか言ったらどうなんだよ、偽物!」
けれど、僕の目の前の『トウゴ・ウエソラ』君は僕を後ろの友達に近づけたくないらしい。うーん。そうか。困った。それに、何とか言ったらどうなんだ、と言われてしまったからには、何か言った方がいいだろう。ええと。
「……君も、トウゴ・ウエソラなの?」
「は?」
とりあえず、僕が最初に聞くべき内容について、聞いてみた。すると、目の前の彼はなんとも拍子抜けしたような顔をする。
「いや、同姓同名なのかな、と思って……」
「な、何言ってるんだ!お前が偽物だろう!トウゴ・ウエソラの名を騙って人を騙そうとしているんだろう!?」
「そう言われても……」
いよいよ困ったな。別にいいじゃないか。同姓同名だってさ。むしろ、そこらへんが落としどころだと思うよ、僕は。
彼が何を言おうと僕は上空桐吾だし、多分、彼は上空桐吾じゃないし……うーん。
……考えれば考えるほど、分からない。
何が分からないって、目の前の彼がどうして『トウゴ・ウエソラ』を名乗っているのか、っていうことだ。彼はどういう気持ちで、どういう事情で僕の名前を名乗っているんだろうか。
そこら辺の事情は、後ろの人達が分かりそうだけれど、聞きに行くには『トウゴ・ウエソラ』君がちょっと邪魔だ。……なら。
「ええと、2人で話さない?」
先に、彼自身から聞いてみた方がいいかもしれない。彼にとって話しやすい環境で。
「……2人で?」
「君、なんとなく、後ろの人達が居ると、話しづらそうに見えるから」
訝し気な顔をした彼にそっと囁くと、彼は少し悩んで……それから、くるり、と振り返って、後ろの友達に言った。
「こいつと話をつけてくる。お前らは帰っててくれ!」
……うん。とりあえず、交渉成立だ。
それから僕と『トウゴ・ウエソラ』君は、近くのカフェに入った。僕がフェイと一緒にあひるごはん食べた店だ。
……僕らが店に入って席に着くと同時に、クロアさんとフェイが店に入ってきた。そして、僕らの近くの席にさりげなく座る。うーん、プロの技。
「すみません、火花ジュース1つ」
そして僕は、ウェイトレスさんに注文を伝えた。フェイが飲んでたやつ。味が気になったので注文してみた。
「君は?何か飲む?」
「え、あ……じゃ、じゃあ、同じの」
『トウゴ・ウエソラ』君は戸惑った様子だったけれど、僕と同じものを注文した。うん。飲み物があった方が多分、話しやすいと思う。
……そして、注文したジュースが運ばれてくるまでの間、『トウゴ・ウエソラ』君はそわそわしていた。何か話そうとしては口を噤んで、また話そうとしては口を噤んでいる。
ええと……相手の事情も相手の気持ちも分からないから、相手が何を考えているのかは分からないけれど、相手の様子を見る限りでは、気まずそうだ。うん。
そして、相手が気まずく思っているってことは……まあ、多分、僕ら、たまたま同姓同名になってしまった絵描き同士、ってわけじゃないんだろう。多分。
「……ええと、名前、聞いてもいい?」
折角だから、飲み物を待つ間に名前だけでも聞いておこう。じゃなきゃ、相手の名前も呼べやしない。
「だ、だから、トウゴ・ウエソラ」
「本名の方。筆名じゃなくて」
僕がそう言うと、彼は迷ったような、気持ちがしぼんでしまったような、そういう顔をして……渋々、言った。
「……ルシアン・プブール」
「そっか。よろしく、ルシアン君」
僕がよろしく、と言った途端にウェイトレスさんがジュースを持ってきてくれた。僕はお礼を言ってそれを受け取って、グラスを1つずつ、僕とルシアン君の前に置く。
ストローの端を咥えて少し吸ってみたら、なんと、驚くべきことに炭酸飲料だった。そっか。この世界にも炭酸、あるのか。びっくりした。成程、確かに火花のジュース、だ。
どことなく柑橘系の味と炭酸の刺激を楽しみながらジュースを吸っていると、ルシアン君はジュースに手をつけず、じっと僕を見て、言った。
「……お前は?」
「え?」
「名前」
ああ、そうか。彼には名乗ってもらって、僕はまだ名乗っていないのか。
「上空桐吾。本名。筆名は特に使ってないから」
僕がそう返すと、ルシアン君は少し怯んだような顔をして、口を噤む。
……緊張させてしまっただろうか。うーん。
「あの、僕、君を訴えようとか、そういう気持ちは無いんだけれど」
「えっ」
なので、最初にそう言ってみると、ルシアン君は驚いたような顔をする。……隣の席で、フェイとクロアさんも驚いたような顔をしている。うん、ごめん。
「けれど、理由は聞きたい。どうして『トウゴ・ウエソラ』っていう名前で絵を描いてるのか。……教えてくれるだろうか」
ルシアン君は、随分と悩んだらしかった。けれど、僕がジュースを半分以上飲み終える頃には、なんとか話し始めてくれた。
「と、友達にもう言ってるんだ。俺がトウゴ・ウエソラだ、って」
「……なんでまた」
友達っていうのはさっきの後ろに居た人達だろうな、と思いつつ、その理由は分からない。聞いてみると、ルシアン君はなんとも気まずげな顔で、諦めたように言ってくれた。
「トウゴ・ウエソラなら名乗ってもバレないだろうと思って……」
「ええ……」
バレないにしても、その、名乗らなくてもよかったんじゃないだろうか?ええと、そもそもどうして名乗ったのかが分からない。
「その……君は、絵を描くの?」
「描かない」
あ、そうなんだ……。ええと、駄目だ、ますます分からない!
「い、幾らだよ」
僕が分からないでいると、ルシアン君は急に、そう言い始めた。
「幾らで俺の代わりに俺の名前で絵を描く!?プブール家で雇ってやってもいい!」
……駄目だ、本当に分からない!
「ええと、まず、僕はレッドガルド家のお抱えだから、君の家には行けないよ」
「なら金か!?」
「それから、お金も要らない。特に必要じゃないんだ」
僕が答えると、ルシアン君は表情を歪めて、机の上のジュースに視線を落とした。
「……でも、もう友達には言ってるんだ。俺がトウゴ・ウエソラで、俺が描いた絵が王都で評判になってるんだ、って」
さっきから今一つ要領を得ない回答なのだけれど……しょうがない。こういう答えしか返ってこないなら、推測を挟むしかない。
僕は、考えて……結論を出した。
「つまり君は、評判が欲しかったから僕の名前を名乗ったのか」
僕がそう言った途端、ルシアン君はじっとりと僕を睨んだ。
「……悪いかよ」
「ええと……いいことではない気がするけれど」
いいか悪いかで言ったら、まあ、多分、悪いと思う。うん。いや、今のところ誰も迷惑してないから、別にいいんじゃないかっていう気もするけれど……その内、フェイ達が困るようになるかもしれないし、僕の名前だけ何処かへ歩いて行ってしまってどうしようもなくなったりするかもしれないから、そういう点では、悪い。うん。
「ええと……絵を、評価されたかったの?」
「なんでもよかったんだよ!でも絵ならなんとなく品があっていいだろ」
そうだろうか。……そういうものか?うーん、品……?
「……一緒に、絵、描く?」
「描かない!ふざけてるのか!」
いや、真面目だったんだけれど、そんなに怒ることだろうか。……彼にとっては、怒ること、だったのかな。
「でも、絵ならなんとなく品があっていいっていうなら、絵、描いた方がいいと思うけれど……」
「だから!なんでもよかったんだ!絵でも音楽でも、狩りの成果でもなんでも!俺の評価に繋がるなら!」
……どうやら。
ルシアン君は、ものすごく、評価が欲しいらしい。
けれど、それは『絵を評価されたい』ではないらしい。
……絵の評価が、自分の評価になる?自分が評価されたい?絵ではなく?
うーん……駄目だ、よく分からない……。
僕が考えていたら、ルシアン君はそわそわし始めて、そして、遂に少し声を荒げて言った。
「ど、どうするんだよ。金か?金を要求するつもりなんだろ?こんな所で2人きりで話そうなんて……友達が居るところで話した方がよかったんじゃないのか?それともこの後バラすのか!?」
声を荒げたのは、怖いからなんだろうな、ということは分かった。なんとなく、怯えの色が見える。
……友達にばらされるのが嫌なんだろうな。それが怖いらしい。
「いや、お友達が一緒だと、君が話しづらいだろうな、と思ったから2人で話そうと思ったんだけれど……」
だから僕がそう言うと、彼は安心したような顔をする。それでいて、『これでいいのか』みたいな、そういう顔も。
僕はストローを吸って、ジュースを飲み切ってしまう。ぱちぱち、と弾ける炭酸が美味しい。最後に氷の隙間にあったジュースまですっかり吸い取ってしまうと、何とも言えない満足感があった。これ、美味しかったな。森にお土産に持って帰りたい。……馬達って、炭酸飲料は好きだろうか。妖精辺りは喜ぶ気がする。
……僕はジュースに満足したのだけれど、ルシアン君はそもそも、ジュースに手を付けていない。余程緊張しているのか。
彼は何かを言おうとして迷っているような、そういう顔のまま、グラスに触れることすらなく、視線を彷徨わせている。
なら、僕から聞いた方がいいか。
「……それで、君はこれからも『トウゴ・ウエソラ』として活動するつもりなんだろうか」
このまま二の足を踏んでいても仕方が無いから、ずばりを聞いてしまうことにした。
ルシアン君ははっとしたように僕の顔を見て、僕と目が合って……それからルシアン君は怯えたような顔をして、俯いて、首を横に振った。
「……もうやめる」
「そっか」
なら、いいか。彼がそう決めて、彼がそうしてくれるなら、僕としてもそれが一番いい気がする。
本当なら、彼の評判を損ねないようにしたり、彼が欲しいっていう評判を得る手助けをしたりした方がいいのかもしれないけれど……それはクロアさんやフェイと相談っていうことにしよう。
それから、ルシアン君はじっと俯いていたけれど、やがて顔を上げて、必死な顔で僕に訴えかけてきた。
「……もう、お前の名前を名乗るのはやめる。金も出す。だから、その、訴えるのは……」
「その気は無いよ。あと、お金は要らない」
僕が答えると、ルシアン君は気が抜けたような顔をして、椅子にへたり込む。
「……そ、その、親や家の者達や、友達にも」
「言わないよ」
「ほ、本当に訴えないのか?誰にも言わないのか?」
「うん。別にいいよ。君がもう『トウゴ・ウエソラ』はやめるって言うなら。ああ、あと、一応君が名乗った範囲は教えておいてほしい。どういう影響があるか分からないし、あと、口裏を合わせるなら必要だよね?」
僕がそう答えると、ルシアン君は『まるで理解できない』というような顔をした。
「……訴えたら金が入るぞ」
「さっきも言ったけれど、僕、お金は特に必要じゃないんだ」
ルシアン君は、何かにつけてお金で解決しようとしてくるなあ。これが都会派のやりとりなんだろうか?
「でも……」
「もし気になるなら、ここのジュース1杯で勘弁してやる、ってことで、どうかな」
なら折角だから、僕も少しお金にがめつくなってやろう。きっとルシアン君も、こういうやりとりの方が慣れてるんだろうし。
結局、ルシアン君は僕のジュース代を出してくれることになった。これで勘弁してやる、ってことにしたから、彼もなんか、こう、収まりが付いたと思う。
それから、彼がどのあたりの人達に『トウゴ・ウエソラ』と名乗っていたのかも大体分かったから、その辺りで何か困ったことが起きていないか、後で調べてみよう。……特に困ったことが無ければ、それでいいよ。うん。
ルシアン君と別れて少し歩いていたら、ラオクレスと合流できた。僕を待っていたらしい。
「どうだった」
「もう『トウゴ・ウエソラ』はやめるって言ってた」
「……それだけか?」
「うん。まずかっただろうか」
僕が聞くと、ラオクレスは少し笑って、首を振った。
「子供が自尊心を満たすために吐いた嘘なら、この程度でいいだろう。どうせ、嘘は嘘だともう知れている」
……もうバレてる?そ、それは……あ、そうか。だからルシアン君の後ろにいた友達は、なんだか困った顔をしていたのか。
もしかしたらルシアン君が僕の所に来たのも、その友達が『本物が広場に居る。お前の嘘はもう分かってるんだからいい加減認めたらどうだ』みたいなかんじに言ったからなのかもしれない。いや、もうちょっとソフトな言い方であってほしいと思うけれど。
……まだ僕に実害が出ていないからこういう考え方になるのかもしれないけれど、僕は、ルシアン君が嘘の罰を過剰に受けるのは、嫌だな、と思う。
これは、考えが甘いんだろうか。僕が評価っていうものの価値をよく知らないからか。
悩むことは山のようにあるけれど……まあ、しょうがない。とりあえず、ルシアン君については、これでよかった。そう思うしかない。
悩みは増えたけれど、肩の荷は1つ下りた。とりあえずこれで、トウゴその1は居なくなった、ということになる。うん。肩の荷が3分の2に減った。
なので、僕はまた、絵を描くことを再開することにした。今描いているものが完成したら、次は場所を移動しようかな。クロアさん、絶好の絵描きスポットをいくらか知っているようだったし。うん。楽しみだ。
……そう思って広場で絵を描いていたら、ふと、ひひん、と馬の声が聞こえた。
馬の声が聞こえるとついそちらを見てしまう僕は、そこで、馬車を引く馬4頭と……停まった馬車1台を見つけた。
馬車は綺麗な細工がされたもので、なんというか……描きたくなるデザインだった。
そして、その馬車の窓から、じっと、僕の方を見ている人が居る。
けれど、僕がその人の顔をよく見る前に、その馬車はまた動き出してしまった。
……誰だったんだろうか。あれ。