2話:お絵描き小旅行*1
王都の広場で、絵を描く。
……つまり、クロアさんが言っているのは……ストリートパフォーマンスってことだろうか?
それは……ええと。
「お。いいんじゃねえの?ほら、トウゴお前、王都に行った時はあんまり色々描いてる暇、無かっただろ?城とか」
「うん」
「広場からは城がよく見えるぜ!描き放題だ!」
……うん。それは、とてもいい。
クロアさんの意図はちょっと分からないけれど……単に王都の絵を描いてくるっていうのは、楽しそうだ。やってみようかな。
「ってことで、5泊6日くらいで王都に取材旅行ってことにしようぜ!な!お前はひたすら絵を描く5日間にしような!」
「うん」
そういうことなら、是非。
……うん。楽しみだ。折角森を出るんだから、森以外のもの、たくさん描いてこよう。うん。クロアさんの狙いはよく分からないけれど。あと、僕の偽物は置いておくことにするけれど……。
ということで、僕らは王都へやってきた。
流石に半年くらい経ったから、クロアさんも王都解禁ということにしたらしい。……それでも、十分に変装している。アージェントさんの家に行った時の秘書スタイルだ。うん、パーティのクロアさんとは全然違うから、王都に居た時のクロアさんを想定している人達はクロアさんに気付かないんじゃないかと思うよ。
「さて。じゃあこの辺りにしましょうか」
クロアさんは王都の中心の広場に僕らを連れてきて、そこでにっこり笑って、折り畳み式の椅子を組み立てて、そこを僕に示す。
「どうぞ、トウゴ君」
「ええと……うん」
僕はそこに腰かけて、それから、リアンが持ってきてくれたスケッチブックとアンジェが持ってきてくれた鉛筆と消しゴムと水彩用具とを手にする。
「……ここで絵を描けばいいの?」
「ええ。そうね、できれば水彩画、だったかしら。あの透明で綺麗な絵がいいのだけれど……まあ、あなたの好きな風に描いてくれていいわ。あなたが楽しく描いてくれるのが一番だから」
うん。分かった。……まあ、こんな場所で油絵をやるのはちょっと難しいし、けれどこの場の色は記録しておきたいから、どのみち水彩絵の具は使うことになると思うよ。
「もし移動したくなったら……そうね、少しなら大丈夫。ただ、あなたの位置から通りの街灯が3本見えるように気をつけておいてね。それから、別の絵を描きたくなったりしてもっと移動したくなったら声を掛けて頂戴ね。私かラオクレスかフェイ君か、或いはリアンかアンジェかが広場にいるようにするから、誰かに聞いてくれればいいわ」
……あれ、皆でずっと広場に居るわけじゃないんだ。
「皆でずっと広場に居たらおかしいものね」
そっか。そういうものか。まあ、そういうことなら……。
それから僕は、絵を描き始めた。広場からは王城が良く見える。それを見ながらスケッチしていく。
……森の中って自然のものばかりだから、王城みたいな人工物を描くのは少し新鮮だ。
特にここのお城は、人工物でありながら自然と形を変えていった部分……くすんだ壁の色とか、少し錆びた柵とか、少し罅が入っている石材とか、そういう部分があるから、ちょっと複雑さも併せ持っていて、とても素敵だ。
最初は近くに居るクロアさんとラオクレスが気になっていたのだけれど、その内、お城にしか意識が行かなくなってしまった。だって仕方ない。こんなに素敵なモチーフ、中々無いよ。
広場の木に隠れてしまう部分を見るために少し移動したりすることはあったけれど、大体その場で僕は絵を描き続けていた。勿論、クロアさんに言われた通り、僕の居る場所から通りの街灯が3本見えるぐらいまでの距離の中で動く。尤も、そこまで動かなくても支障はなかったけれど。
……それにしても、楽しい。とても楽しい。王都へのお絵描き小旅行、最高だ!森にあるものはとにかく形がランダムで、人工物には無い曲線やムラのある色彩が魅力だと思っていたけれど……町の中でだって、ランダムなものは幾らでもある。見れば見るほど、発見がある。
広場の石畳の色合いの1つ1つを全部記録して帰りたい。噴水から吹き上がる水飛沫のまぶしさを表現できるようになりたい。広場で遊び回る子供達の影が子供達と一緒に移動して回る様子も、女性の長いスカートの裾が風に靡いているのも、全部全部、描きたくなってくる。
ああ、こんなのがあと5日もあるのか。なんて素敵なんだろう!
勿論、帰りの時間は考えなきゃいけないし、5日間の途中で寝なきゃいけないだろうけれど、でも、それにしても、単純計算で120時間くらいあるわけだ。それだけの時間があれば、水彩画数枚くらいは描けるだろうか?
早速、僕は水彩絵の具を出して、王城の絵の下描きに色を乗せ始める。……こうなることを見越して、持って来たスケッチブックは水張り不要のやつだ。四方が固めてあって、新しい紙を使いたい時にはペーパーナイフでカリカリやって紙を剥がさなきゃいけないやつ。
これを3冊も持って来たから、絵の具が乾くまでの間に別の物も描ける。最高だ!
時間はたっぷりあるとは言っても、そのたっぷりある時間の中でたっぷりたっぷり描きたいから、上手くやらなきゃいけない。……うーん、これだけ素敵な場所だと、5日あっても描き足りないかもしれない……。
そうして、王城の絵に3割方、色が付いてきた頃。
「君、上手だねえ」
落ち着いた声が横からやってきて、僕はちょっとびっくりした。あんまりにも集中していたものだから、その人が近づいていたことに気付かなかったらしい。
その人……おじいさんは、多分、散歩の途中だったんだろう。そういうかんじの恰好で、それから、多分、貴族ではない。そういう恰好だ。うん。
「あの、ありがとうございます」
「もしよかったら、もっと近くで見てもいいかな?」
僕がお礼を言うと、おじいさんはにこにこ笑ってそう言う。僕は当然、おじいさんにスケッチブックを渡した。
「ほお……立派なものだ。儂は絵の良し悪しはよく分からないけれど、うん、でも、上手だよ。……おや。これではさっきと同じことを言っているか。ははは。すまないね、口が上手いもんでもないから」
「いえ……」
こういう時なんて言ったらいいのか分からず、僕はちょっと口ごもる。もう一回お礼を言うべきなんだろうか?それとも別の、何か気の利いたことを?
……けれど、おじいさんは一通り僕の絵を見て満足したらしい。スケッチブックを僕に返してくれると、『邪魔して悪かったね。頑張ってね』と言って、またお散歩に戻っていった。
ええと……その、新鮮だった。うん。
通りすがりの人に絵を見られるって、すごく、新鮮だ……。しかも、褒められてしまった。うん……。
なんだか新鮮な気持ちになりつつも王城の絵を描き進めていった。それと同時進行で、広場の噴水を中心にした絵も描き始める。絵の具が乾くまでの間にこっちの下描きを進めてしまおう。
「わあ、綺麗!」
……すると今度は、子供達が寄ってきた。
「すごい!お城の絵だ!」
王城の絵にはもう、6割方、色が付いてる。これからもっと細かく描きこんでいく予定だけれど、とりあえず、色は全部分かるし、陰影もある程度はついているような状態だ。それを見て、子供達は珍しがってくれたらしい。
「あら、駄目よ!汚しちゃ悪いでしょう!……ごめんなさいね、うちの子達が」
「いえ、大丈夫ですよ」
絵を覗き込んでいた子供達は、後ろから来たお母さんらしい人に襟を掴まれてそのままひょい、と後ろへ下げられてしまった。……ええと、猫みたいだ。猫ってこういう運ばれ方、するよね?
「……あの、よかったら、見る?」
「いいの!?」
僕がそっとスケッチブックを差し出すと、つままれた猫みたいだった子供達は、目を輝かせてスケッチブックを覗き込み始めた。
「あらあら、もう……ありがとうございます、見せてもらっちゃって」
「いいえ」
子供達のお母さんは申し訳なさ半分、嬉しさ半分くらいの顔で僕にへこん、と軽く会釈すると、子供達と一緒にスケッチブックを覗き始めた。『お城だねえ』『お城よ。ほら、ここから見て描いたんでしょう』なんて話をしてるのを横で聞いていると、なんというか、くすぐったいような気分になってくる。落ち着かない。新鮮だ。
……それから子供達とお母さんはしばらく僕の絵を見ていて、それからお礼を言って去っていった。買い物帰りだったらしい。お母さんは、お礼に、と言って僕にキャンディを3つくれた。
……なので、広場でさりげなく遊んでいたリアンとアンジェを呼んで、キャンディを1つずつ分けることにした。
キャンディはミカン味だった。サッパリする味でいいね。それから、キャンディは透き通ったオレンジ色が綺麗だった。まるで宝石みたいだ。王都のお菓子屋さんで瓶にいっぱいのキャンディを買って帰って、それを日の当たる窓辺に置いて逆光になるアングルから描いたら綺麗かもしれない。うん。お土産はキャンディの瓶。決まりだ。
そうして、僕は王都の広場を通りがかった人に眺められたり覗かれたり声を掛けられたり、褒められたりお菓子を貰ったりしながら、夕方まで絵を描いていた。
その頃には最初の王城の絵が描き終わっていた。噴水は明日に持ち越しだ。太陽が当たるかんじが変わってしまうと絵が変わってしまうから。
代わりに、公園のベンチとその周辺の風景の下書きをしておいた。これは気に入った時刻に彩色しよう。夕方のベンチもいいし、朝のベンチもきっといいだろう。ああ、楽しみだなあ。
「どうだった」
「ええとね、楽しかった。すごく新鮮だ。色んなものがすごく、新鮮で……5日じゃ足りないかもしれない」
「だろうな。見ていてとても楽しそうだった」
「トウゴ君、王都は気に入ってもらえたかしら?」
「うん。とても」
夜の間も描きたかったのだけれど、街灯の灯りだけだとちょっと絵を描くのが難しくなってきたので、宿に入った。
宿はフェイが取っていてくれたので、僕は広場まで迎えに来てくれたラオクレスとクロアさんと一緒に宿へ向かう。
「何人かに話しかけられていたわね」
その道中で、クロアさんがそう言ってにっこり笑う。……見てたのか。
「見てたの?」
「一部だけ、ね。……私も久しぶりの王都だから、彼に付き合ってもらってお買い物、してきたのよ。私も大分森に馴染んだけれど、やっぱり王都も好きだわ」
「うん。僕もここ、好きだよ」
王都に絵を描くために来るって、結構贅沢だよね。こういう贅沢ができるんだから、ありがたいことだ。ここにも僕の好きなものがたくさんある。
「……心配は要らないだろうと思ったけれど、あなた、明日もお絵描きするってことでいいかしら?」
それからクロアさんがそう聞いてきたので、僕は即答する。
「勿論!」
答えなんて、1つだけだ。当然、明日も描く。明後日も描く。それだけのものが、ここにはあるんだから。
「ふふ、よかった。じゃあ、明日も広場で描きましょうか。一応、広場以外の場所も考えてあるから、飽きたら言ってね」
うわ、気になる。王都で過ごしていたクロアさんがおすすめしてくれる場所って、どんな場所だろう。さぞかし綺麗な場所なんだろうな。広場だけでも5日間潰してしまえそうだけれど、折角なら色々なところを見たい。うーん、迷いどころだ……。
宿でご飯を食べて、寝て、そして日の出と一緒に起きて、早速広場へ向かった。
「早いな」
「ごめんね、付き合わせて」
ただ、僕1人で居るのはあまり良くないらしいので、ラオクレスにも付いてきてもらう。……彼も日の出から少ししたら起きてきた。僕が支度している間に宿の居間から出てきてくれたので、声を掛けて付いてきてもらった。(宿の居間って変なかんじだけれど、1つの居間に個室がいくつも繋がった形の宿なんだからしょうがない。)
「まあ、いい。クロアとしても、お前が長時間外に居ることが望ましいらしいからな」
……そっか。クロアさんは何か狙いがあって僕の王都旅行を企画してくれたんだよな。ええと……僕、本当に絵を描いているだけでいいんだろうか?いや、いいならいいんだけれど……。
朝の散歩をしている人達が広場を行き過ぎていく。そして何人かは僕に声を掛けてきたり、絵を眺めていったりする。うーん、新鮮だ。森だと、僕が絵を描いていても知らない人が話しかけてくるってことは無いし。……そもそも、森には知らない人は、居ない。森のことは全部分かるから、知らない馬すら居ない……。
そうして僕は絵を描いて、朝ごはんをすっかり忘れて昼になって、昼になったらフェイに引きずっていかれて近くのカフェでご飯を食べた。
ええと……。朝ごはんと昼ごはんの合体だから、あひるごはんだ。先生がよく言っていた。
先生のあひるごはんは大抵『ブランチ』なんて洒落たものじゃなかったので、その表現がよく合っていたと思う。……そういう点では、僕が今食べているものは小洒落たオープンサンドなので、これはあひるごはんではなくてブランチなのかもしれない。うーん。
「調子はどうだ?何か描けたか?」
「うん。噴水の絵も描き終わった。今はベンチに彩色しながら王都の並木通りを描いてる」
木は森にも沢山あるのだけれど、道の両脇にずらりと整列する木、というものは森には無い。だから、ちょっと新鮮で描いてみている。これはそんなに凝らずにざっと彩色して仕上げる予定だ。それで、次の場所に移ろうかな、と。
「そっか。ま、楽しそうで何より」
「うん」
楽しい。それは確かなので、僕はしっかり思いを込めて頷いた。正にその通りです。
僕の頷きに僕の思いの強さを感じ取ってくれたらしいフェイはにやりと笑いつつ、ジュースみたいなものが入っているグラスをストローでかき混ぜながら、聞いてきた。
「……そういや、お前、誰かに名乗った?」
……名乗った、か。ええと。
「うん。『画家さんかな』って昨日のおじいさんに聞かれたから、はい、って答えた。そうしたら名前聞かれたから答えた。それと、また別のおじいさんとおばあさんの2人組にも教えた。それから子供達が名乗ってくれたから僕も名乗った。あとは、僕と同い年くらいの男子と女子……は2人か。ええと、後は……」
「了解了解。つまり、万事順調ってことだな」
フェイは満足気にストローをぐるぐるやって、それからグラスを傾けて一気にジュースを飲み干した。ストローの意味が無い。
「順調?何が?」
「お前は気にしなくていいぜ。多分、お前は気にするとうまくいかなくなるだろうし」
……ちょっとそれは腹立たしいのだけれど、仕方ない。フェイがそう言うなら、これ以上は聞かないでおこう。そして、絵を描こう。うん。話を聞くよりも、今はただ、描きたい……。
……そうしてその日も1日、広場で絵を描き続けて終わった。
ただ。
「おい、そこの君」
夕暮れ時。僕が画材を片付けていると……声を掛けてくる人が居た。
「き、君、『トウゴ・ウエソラ』を名乗ってるらしいな」
その人は僕と同い年くらいの男子で、少し緊張気味だった。そして、その人の後ろには何人か、同い年くらいの人達が居て、その中には昼前に僕に声を掛けてきた男子や女子も混ざっている。知り合いなんだろうか。
「はい。上空桐吾です」
とりあえず名乗り直すと、彼はますます緊張したような顔で……こう言った。
「僕がトウゴ・ウエソラだ!この偽物め!」
……ええと。
これ、どうしようか……。